あの頃は夢を見ていたわ
2003年7月16日 日常息子は英語教室に行っている。
うさぎのぬいぐるみがほしくて行き始めたのだ。
ばっかじゃねーの?と思ったが一応「行きたい」という意欲を買っていくことにさせた。
・・・どうもこれに関してはただただお金を捨てているような気になる。
「今日は何覚えてきた?」と聞いても「・・・う。あ。わすれた」とかいう返事ばかり。
スイミングやピアノなら技術の進歩が目に見える。
学校に行っているだけでは泳げるようにも弾けるようにもならないので、それはまあ良しとする。だけど英語は?
コドモが習い事に行くとき、私は「子供の頭に1000円札を2枚か3枚のせて出してやる」というイメージがある。
タヌキが木の葉を乗せているように。
落としちゃいけないから、イメージの中でていねいにヒモで縛ってもやっている。
私としては、そのお金と引き換えにきっちり知識なり技術なりを身につけてきてほしいと思っている。
それを・・・まったく息子も娘もちゃんと生かしているのか?
ただ行って、その1000円札をおいてきているだけじゃーないのか?
先生も「よしよし、磯野くん、きょうもお金を持ってきてくれてありがとう。一時間黙ってすわってていいからね」なんて思ってるんじゃないのか?
昔、塾でバイトしていたことがある。
今でこそ個別指導も主流となってきているけど、昔は一斉指導が主。
10人20人、多ければ30人ほどを相手に授業する。
机間巡視もするけどやっぱり3分の2、いや5分の4の生徒は「お客様」でいてもらえるとありがたい。
「お客様」っていうのは、ただそこに来てただ帰っていく生徒。
本人なりに自分でやってる子もいるけど、たいていはぼやっとしているか寝てるか。
騒いだり質問したりせずに先生の手を少しもわずらわすことがないのが「お客様」である。
よしよしきょうもお金を運んできてくれたね。ありがとう♪などと思ってしまう。
うちのコたちなんてきっといいお客様のはずだ。
コドモにかけるお金ってどこまでどうなんだか・・・。
コドモがまだ小さくて幼稚園の頃などはスイミングにしてもヤマハにしても、いくらかかっても「コドモの将来への投資」として惜しくもなかった気がする。
「もしかしたらうちのコには才能があるかもしれないし、どこで何がどう開花するかわからないから」と希望を持って習い事をさせてたなあ。
思えば夢を見させてもらった。(←すでに過去形?)
でも自分のコドモの性格や能力などがだいたい見えてきた今となっては・・・・どうも開花しそうにないし、なんだか無駄なお金のような気がする。
砂漠に水まきしてるようなもんだろうか。
ちっとも芽なんか出やしないぞ!
今の世の中、「教育は将来への投資」だと思えるほど、お金に余裕があるわけでもないしね。
義務教育のうちはいいけど、ただでさえこれからもっとお金がかかってくるのだ。
コドモだけではない。自分の老後のためにだって自助努力しなければいけない時代だ。
そう考えたらその分、無駄な習い事などしないで貯金でもしたほうがよほどかしこいお金の使い方かもね。
うさぎのぬいぐるみがほしくて行き始めたのだ。
ばっかじゃねーの?と思ったが一応「行きたい」という意欲を買っていくことにさせた。
・・・どうもこれに関してはただただお金を捨てているような気になる。
「今日は何覚えてきた?」と聞いても「・・・う。あ。わすれた」とかいう返事ばかり。
スイミングやピアノなら技術の進歩が目に見える。
学校に行っているだけでは泳げるようにも弾けるようにもならないので、それはまあ良しとする。だけど英語は?
コドモが習い事に行くとき、私は「子供の頭に1000円札を2枚か3枚のせて出してやる」というイメージがある。
タヌキが木の葉を乗せているように。
落としちゃいけないから、イメージの中でていねいにヒモで縛ってもやっている。
私としては、そのお金と引き換えにきっちり知識なり技術なりを身につけてきてほしいと思っている。
それを・・・まったく息子も娘もちゃんと生かしているのか?
ただ行って、その1000円札をおいてきているだけじゃーないのか?
先生も「よしよし、磯野くん、きょうもお金を持ってきてくれてありがとう。一時間黙ってすわってていいからね」なんて思ってるんじゃないのか?
昔、塾でバイトしていたことがある。
今でこそ個別指導も主流となってきているけど、昔は一斉指導が主。
10人20人、多ければ30人ほどを相手に授業する。
机間巡視もするけどやっぱり3分の2、いや5分の4の生徒は「お客様」でいてもらえるとありがたい。
「お客様」っていうのは、ただそこに来てただ帰っていく生徒。
本人なりに自分でやってる子もいるけど、たいていはぼやっとしているか寝てるか。
騒いだり質問したりせずに先生の手を少しもわずらわすことがないのが「お客様」である。
よしよしきょうもお金を運んできてくれたね。ありがとう♪などと思ってしまう。
うちのコたちなんてきっといいお客様のはずだ。
コドモにかけるお金ってどこまでどうなんだか・・・。
コドモがまだ小さくて幼稚園の頃などはスイミングにしてもヤマハにしても、いくらかかっても「コドモの将来への投資」として惜しくもなかった気がする。
「もしかしたらうちのコには才能があるかもしれないし、どこで何がどう開花するかわからないから」と希望を持って習い事をさせてたなあ。
思えば夢を見させてもらった。(←すでに過去形?)
でも自分のコドモの性格や能力などがだいたい見えてきた今となっては・・・・どうも開花しそうにないし、なんだか無駄なお金のような気がする。
砂漠に水まきしてるようなもんだろうか。
ちっとも芽なんか出やしないぞ!
今の世の中、「教育は将来への投資」だと思えるほど、お金に余裕があるわけでもないしね。
義務教育のうちはいいけど、ただでさえこれからもっとお金がかかってくるのだ。
コドモだけではない。自分の老後のためにだって自助努力しなければいけない時代だ。
そう考えたらその分、無駄な習い事などしないで貯金でもしたほうがよほどかしこいお金の使い方かもね。
コメント