どうもありがとう またね 2022春
3月も残すところあと少し。
長年お世話になったダイアリーノートと読んでいただいた皆様に感謝!です。
ありがとうございました。

書くことでずいぶん気持ちが整理され、読んでくれる人がいるということにずいぶん励まされた。
特に自分も子供も同じ年ごろの皆様とは同じ時代を伴走する戦友のような気持ちになってました。

書き始めた頃はまだ息子も娘も小学生。
仕事も子供関係も家事も日々忙しかったのに毎日よく更新してたと思う。
しかも居間のパソコンで笑。
瞬発力も持久力もあって若かったってことね。

子育て時期や子供たちといっしょに暮らしていた時期はたしかにあった。
でもなんだか過ぎ去ってしまえば無声映画のようにさらさらーーっとしたもので。
うれしい悲しい悔しいなどその当時のいろいろな感情は、今となれば上澄みしか残ってないような。
そんな時期が私にもあったのかな?という感じ。

今はシェアハウス同居人のダンナとポメ子となんのアクセントもないような日々を過ごしています。親きょうだいや子供も遠くにいるのでコロナで分断されてしまいもどかしいです。
もしかしてこのままなのかな?とあきらめに近い気持ち。
散歩行って仕事行って散歩行って家事やって。あらもう1週間終わったわ、みたいな毎日。
別荘アメブロであたりさわりのないポメ子や季節の写真載せるくらいでいいのかもね、と。

こちらは「ダイアリー=日記」。
書く目的は人によっていろいろだと思う。
私の場合は「記録」と「気持ちの整理」。
書いておくと振り返ったときに「あのときああだった」と思い出せる。
心の中にモヤモヤと沈んだものも「書き出すことで客観的に整理される」。

本音を言えば。
アメブロの方はあたりさわりのないことしか書けない。
気持ちのモヤモヤは書けないのでそのまま心の中に沈んだまま。
ここなら秘密日記もあるし、オモテに書いたってひっそりと存在してる感じなのでだれかに読まれることもないだろう、と。
アメブロは検索されたらポメ子写真も載ってるので一発でわかってしまう。
だれに読まれてもいい当たり障りのないことしか書けない。
ダイアリーノートの新規更新ができないのは気持ちを吐き出す場がなくなるってこと。
それでも新規更新はできなくても編集はできるみたいだから近況くらいは書けるのかな。
ここがいつまであるかわからないけどどんな形でもいいから存在していてほしい。

みなさん。ほんとうにどうもありがとう!
感謝!しかないです。
元気でね。またね。

アメブロ
https://ameblo.jp/calendula29/

モヤモヤは秘密に。

本宅と別荘

2022年2月13日 日常
本宅と別荘
寒さがいつまでも続きますが元気です。
ポメ子も元気。無事13歳を迎えました。
こちらとアメブロと書いてましたがなかなか思うように手が回らず。
気持ちとしてはこちらが本宅であちらが別荘。
本宅は秘密日記もあるし本音も書ける。
別荘はあたりさわりのない万が一身内に見られてもいい内容。
写真が載せられるのがいいところ。

本宅の更新が滞ってしまったのですみません。
別荘の方はあたりさわりのないことをほぼ毎日写真とともに載せてるので、時間のある方は見てくださいね。

こちら↓
https://ameblo.jp/calendula29/
ポメ子 術後3か月検診
ポメ子 術後3か月検診
ポメ子 術後3か月検診
熊本に出発する前日。
ポメ子、術後3ヶ月後検診でした。

手術をした3ヶ月前がはるか遠い昔のような。
つい最近のことのような。
手術前あんなに迷ってあんなに悩んで。
あんなに張りつめて過ごしていた真夏の暑い日々がなんだったかと思うほどポメ子元気になった。

病院はキライじゃないみたい。待合室でも笑顔のポメ子。
血液検査。エコー。心電図。レントゲンのフルコース。

数値はびっくりするほど改善!
もうなんの薬も飲まなくて良くなった!!
ひところは朝晩5個ずつ服薬してたのに一粒も飲まなくていいとはびっくり。

実感としても2歳くらい若返ったような感じ。
手術前と比べて動きがとても機敏。元気。
呼吸も静か。心臓の音も聞こえない。
朝の「いってらっしゃい」も復活。
玄関で待っててのテンションMAX「おかえりの舞」も復活。
術前はやっぱりだるいのか朝は起きるのが遅かった。
お出迎えも耳が聞こえてないから帰ったのに気づけなかった。

先生「肉球がほんとに柔らかくなりましたね。お耳も聞こえるようになるなんてびっくりですね。ほんとにいいタイミングで手術して良かったですね」。
先生の言う良いタイミングとは。
今までのお話を総合すると「1度目の肺水腫が軽くすんで落ち着いたところでの手術」。

肺水腫を起こす前に手術できればそれがいいのだろうがみなさんなかなか決断できないという。
私もそのふんぎりがつかなかった。
手術をして運悪くそのままダメかもしれないことを思うと、もしかしてこのままステージB2で過ごせるんじゃないかとの淡い期待があって気持ちは揺れに揺れた。

そうなるといつ起きるかわからない肺水腫にピリピリして過ごすことになる。
肺水腫は時間との勝負なので早く気づいて早く処置する必要があるから。
気温・湿度・気圧の変化・心拍数・呼吸数。ずっと気をつけて過ごしていた。

今振り返ると。
心臓専門医に通い始めて、去年の冬にはすでに数値的には「いつ肺水腫を起こしてもおかしくない」レベルになっていた。
先生もそう言っていたし、私もその数値を見ていたのに「こんなに元気なんだからだいじょうぶだよね」と信じようとして客観的な判断をあえてしないでいた感じ。
都合の悪いことは聞こえません、みたいな。
冬に強いポメ子は気温が低いうちは元気だったし。

暑くて湿度の高い夏をやっと越えたか汗というところでの肺水腫。
そうなればもう余命宣告なので決断するしかない。そして手術。
あっさり元気に!!
臆病でほかのワンちゃんもダメなので入院もムリ、おしっこうんちもムリ、ごはんも食べられないと思ってた入院生活も順調に。

こんなことなら早くやってしまえばよかったのか、とあとで思うものの、きっとステージBのままなら今でも決断できてなかったんだろうな。
次は6ヶ月後検診で4月。
桜が散って新緑のきれいないい季節になってるね。
2泊3日はじめての熊本旅
2泊3日はじめての熊本旅
2泊3日はじめての熊本旅
熊本に行ってきました!
祝!九州初上陸!!

ダンナちゃんの転勤で2年前コロナが始まった春に式も挙げられず熊本に行った娘。
私も行ってみたかったんだけどずっとコロナコロナで。
今回は感染者数が減って「今行くしかない!」と12月に飛行機チケットをとった。
それなのにー。感染急拡大。こんなに増えちゃって。

私は「富士山」みたいに「阿蘇山」っていう大きいお山があるんだと思ってた。
そしたら事前にガイドブック調べてびっくり!
阿蘇山がない。
阿蘇火山の中央火口岳を構成する5つの峰を総称して阿蘇山と言うんだと!!
「阿蘇五岳」根子岳・高岳・中岳・杵島岳・烏帽子岳。いつも噴煙を上げてるのが中岳。

1日目は娘ダンナちゃんの車で阿蘇快適ドライブ。
お天気も良く東北や関東では見ない形の山並みが興味深い。
お昼はあか牛丼の「やま康」。
阿蘇にはあか牛丼のお店がいくつかあってどこも行列。開店30分前に着いたのに1時間半は待ったか。
レアな状態のあか牛がどんぶりごはんの上にびっしり。おいしい!柔らかい!
これは並んででも食べたいね。→写真1

上色見熊野座神社や草千里ヶ浜、旧女学校跡のおしゃれカフェに行って、阿蘇ドライブのラストは大観峰へ。
外輪山の最高峰にあるので360度の絶景が見られる。はずが。
夕暮れに近くて風がビュービュー。
寒くて車の外に長く出てられず、展望台まで行くのは断念。
前に娘たちは夏に来たけど夏は夏で日差しが強くて暑すぎるそうだ。
帰り道に産直市で馬刺しや蒸し牡蠣の握り寿司など購入。
天草も近いから海鮮もおいしいとはいいところだな熊本。
阿蘇ドライブ連れてってくれて娘と娘ダンナちゃんに感謝!

2日目は娘と2人、路面電車で熊本城方面へ。
小田原城や大阪城見学で「城見学は疲れる」イメージ。
熊本城は見学ルートが新しく作られていてとても見やすい。迷わない。疲れない。わかりやすい。
震災で崩れたところそのままのところもある。

熊本城は黒い壁がかっこいい。青空に映えるね。→写真2
内部もプロジェクションマッピングなど最新テクノロジーが使ってあって飽きさせない。
1階ごとに見るところがあるので、疲れず6階の天守閣まで行ける。
すごい!!新しいってこういうことなんだと感心。
見学ルートを歩けば迷わず出口へ。

城見学を疲れないで終えて、新成人たちがわちゃわちゃ集っている巨大商業施設サクラマチクマモトへ。
お昼はここで熊本ラーメン「黒亭」。焦がしガーリックのパンチのある味。
ラーメンの腹ごなしに下通りや上通りといった繁華街をひととおり見て老舗デパートの「鶴屋」も行ってみる。
その後熊本駅前に移動してこれまた巨大商業施設アミュプラザへ。
2日目歩いた歩いた!2万歩近く!
熊本が思ったよりずっとずっとずーーっと大都会だったということにびっくりだったよ!

2泊3日の熊本旅。
1泊めは娘マンションにお泊まり。
2泊めは熊本駅近くの東横インに。3日目は娘たちもお仕事だからね。
東横イン。こんなに便利な場所で朝食ついて5000円ちょっととはコスパ良し。

阿蘇も熊本城もお天気に恵まれてあったかかったけど3日目は朝から雨。
雨の晴れ間に水前寺成趣園へ行ってみた。阿蘇の伏流水が湧いていて池の水がとてもキレイ。

阿蘇にいるときも熊本城にいるときも自分がここにいるのが不思議な感じで。
人の御縁とはほんとに不思議なもの。
娘ダンナちゃんの転勤がなければ娘が熊本に行くこともないし、私も一生熊本に行くことはなかっただろうな。
長崎・福岡あたりは旅行で行ったかもしれないが。

そして、ずっと「阿蘇山」という大きい山が富士山のようにあると思ってただろう。
熊本市がこんなに大都会とは知らないままだっただろう。

息子も娘も父も遠くに離れてるから会えなくてつまらない。
そう思ってたけど、考えようによっては離れてるおかげで父のいる岩手に行けたり息子のいる神戸に行けたり娘のいる熊本に行けたりする。
そう思うと悪いことばかりでもない。
しみじみ感慨深い。

いろいろ買いました。→写真3
道の駅なども寄ったので地元の人が買うものなども見られてテンションあがった。
また行けるかな?次行けたら天草の方に行きたいな。

こちら写真あります
https://ameblo.jp/calendula29/entry-12720753937.html
https://ameblo.jp/calendula29/entry-12720899610.html
https://ameblo.jp/calendula29/entry-12720975596.html
雪のお散歩と大腸内視鏡検査その後
雪のお散歩と大腸内視鏡検査その後
雪のお散歩と大腸内視鏡検査その後
南岸低気圧で雪が降った日。
天気予報通り昼過ぎから雪。
お仕事中、窓の外見てて思ったより降っててびっくり!
舞うくらいかなーと思ったのに。

お仕事は車。
私もだけどここらの車はほぼノーマルタイヤ。
帰ったらおうちの庭も雪。あとからあとから降ってくる。
年に1度か2度の雪。去年は雪見てないね。

さっそくポメ子と雪のお散歩に出発。
小走りに玄関から走り出るポメ子。
あちこち走り回ったり雪に鼻つっこんだり。

東京では大雪警報が出た。大雪とは10センチ?
ここらは積雪1センチってニュースで言ってたけど。
うーん。3センチくらいあるかな?
私は手袋・帽子・ダウン・スノーブーツの完全防寒。ポメ子はハダシ。
足冷たくないんだろうか?
ふるえてるようでもないから寒くもないらしい。

雪の次の日は年末の大腸内視鏡検査結果を聞きにいく日。
前の日の雪が残って路面凍結。
うちのあたりがこんな雪国っぽかったから雪国スタイルでそのまま街へ。
あれれっ。
街を歩く人々は軽装。ヒールをはいてる方々も。
雪国仕様スノーブーツは私だけ。
日がさして路面は溶けて乾いていた。
まぶしいくらいのおひさまを浴びて病院へ。

先生のお話。
「ひとつとったポリープは大腸腺腫。前癌状態でした。放っておくと癌になるものです。右側いちばん奥の上行結腸にあったのでもし癌が育っても集団検診ではなかなか見つからなかったでしょう」。
ええーーーそうなんだ。

血便はS状結腸から。
こちらは腸炎。原因は細菌感染か虚血性のものか。はっきりしたことは言われなかった。
血便のおかげで大腸内視鏡検査やってポリープが見つかってよかった。
大腸内視鏡検査は「検査の準備が大変」で「下から入れる」ためハードルが高い。
2日分の便で検査する集団検診では精度が低いので内視鏡検査やらないとヤバいかも!と思っててもやらないでいた。

血便出なかったらそのままやらずに上行結腸内に癌を育ててしまってたよ。
まずは良かった!!

先生「では1年後にまた検査しましょう」。
えっ。1年後ってことはまた寒い時期にモビプレップ。
考えただけで体が冷たくなる。

前の晩に作って冷蔵庫で冷やしておいてストローで飲むといいらしい。
3日前くらいから消化の良いものを食べればモビプレップ1リットルくらいで便は透明になり、そのあと飲まなくてもいいらしい。
検査のあといろいろ学習した。
冷やすといいんだから冬の検査はキツイよね。
2022年寅年 自分への言い聞かせ
2022年初散歩は強風。→写真

コロナ前の年末年始は毎年岩手の実家。
妹家族も集まって父を囲んで餅つきしてにぎやかに過ごした。
今は父も施設入所し実家は空き家。
関東圏からの帰省は風当たりが強く行けなくなった。
コロナだからしょうがないと去年は思ったけど、けっきょくのところもうあんな年末年始はこの先ないんだろう。

行くところも来る人もなく特にやることもないお正月。
娘は娘ダンナ実家へ。息子は彼女と。
息子が結婚しても盆正月にわざわざうちに来るとも思えないので、これからはこうなんだな。

私がずっと親に責任を感じて岩手に行ってた30年間。
息子娘がいっしょに行ってた間は良かったけど、行かなくなってからはこちらの家を置いて私だけが岩手に行ってた。
ここでみんなで盆暮れを過ごすことをしてこなかったのだから、いざ私がここにいるようになってもひとりぼっちは因果応報。

歳を重ねてわかってきたことのひとつに「けっきょくは血縁」というのがある。
コロナ禍であらためてわかる。友達や知り合いではなく親や子との関係が最後に残ること。
だから私などはいつまでも基本の部分が安定しなくて将来に対しての不安がいつもずっとぼんやりとある。
娘は年末年始をいっしょに過ごす娘ダンナのご家族ができて良かったのだ、これでこの先も娘は安心だ、よかったんだと思わなければ。
息子の結婚もどうなるかいまひとつ不安要素はあるけど、良いお相手とご家族に恵まれてよかったのだと感謝しなければ。息子もあちらのご家族の方に行くはず。楽しそうだもの。
ふたりとも私とダンナのところより相手のご家族と寄り添った方がずっと楽しく幸せだと思う。
私は・・・・私としてはがんばったんだけどけっきょくのところ「家族」は作れなかったな。

盆正月GW。帰省ラッシュのニュースやほかの人が親や子で集まりがあると聞くと気持ちがザワつく。
こういうの脱却したい。
人と比べるのはまだまだ修行不足と思うね。

2022年初頭あらためて自分に言い聞かせる。
「ないものを無理に追い求めると自分が苦しくなる。人と比べるものでもなく、ゆだねるものでもなく、自分の今に感謝して過ごしたい」。
「カムカム」「青天」
「カムカム」「青天」
「カムカム」「青天」
「カムカムエヴリバディ」。
安子のターンは毎日泣きながら見た。
テーマ曲の前奏だけで泣けた。
録カムを1日に2〜3回見て、見るたび泣いてた。
けなげな泣き顔の安子をふと思い出すだけでも泣きそうになった。
英語がモチーフなのも良かった。

そしてるいのターン。
ううーーーん???
自分の感想としてはこうなるだろうなあと思ってたとおり「違和感で入り込めない」。
あんなに泣けたテーマ曲を聞いても心は動かず。
ストーリーも「ふーんそうですか」な感じ。
録カムも2話3話とたまる始末。

深津絵里が悪いんじゃないよ。
実年齢を考えると奇跡的とも思う。
でも18歳は。
がんばっても脳内補完できません。
そういうのひっかかって入り込めない。
風間俊介とだって姉と弟な感じ?→写真1.2枚目

るいの岡山弁を聞くと泣き顔の安子を思い出す。
そうなると泣きそうになるので「泣きのスイッチ」はまだあるんだけどなあ。

そして「青天を衝け」。
これまたラスト近く「違和感」で入り込めない。
「91歳。私も歳をとりました」と言うには若すぎる。
渋沢栄一がものすごいエネルギーの持ち主で偉業を成し遂げた人だというのはわかった。
若々しい栄一の何事にも興味があって前向きな感じは吉沢亮だからこそ。
勢いがあって良かった!

吉沢亮じゃなかったら途中脱落したかも。
でも吉沢亮だから老けメイクをしても年寄りには見えなかったのかな。
おめめがカワイイんだよね。
われらがいっくん(山崎育三郎)の老けメイクがまさに伊藤博文なことを思うと、やっぱり吉沢亮は若くてイケメンすぎたか。→写真3枚目

吉沢亮くん27歳。
息子の篤二・泉澤祐希28歳。
孫の敬三・笠松将29歳。
ううーーーん???
ちょっと私には脳内補完追いつきませんでした。
大腸内視鏡検査 本番
朝早くからの冷たい大量のモビプレップで気持ち悪い。
繰り返しトイレに行ったおかげでおしり痛い。

最悪な感じで病院にたどり着き、検査着に着替える。
前合わせの膝丈の浴衣みたいなやつ。
「下着に金具がなければそのまま上に着ていいですよ」。
え!そうならそうと早く言ってよ。だったらブラトップ着てきたのに。
上半身は関係ないだろうと普通の金具付いたブラだよ。
しょうがないからブラだけはずしてヒートテックの上に検査着。
そして、おしりの部分がパックリ開くようになってる不織布ハーフパンツ!→写真
使い捨てスリッパ。えー靴下も脱ぐの?足冷えるなあ。

腸の動きを止める筋肉注射を肩にしていざ検査室へ。

左を下にして横たわると目の前には大腸の中が映し出されるモニター。
ゼリーの局部麻酔?のおかげでスッとなんの抵抗もなく入っていく内視鏡。
体の向きを変えて足を組んで。

ブーブープシュシュシュゴゴゴゴなんてな音の中、腸の中に空気を入れたり洗ったり?しながら機械がすすむ。
まずいちばん奥まで入れて戻りながら見てくるそう。
「腸の曲がってるところにつかえて痛いよ。顔をしかめるくらいだよ」と聞いていたがなんのなんの。

ぜーんぜんっっ痛くなーーーい!!!

モニターに映るピンク色の自分の大腸。
特に変なものも映らずなかなかにキレイなもんじゃないの。
鎮静剤を使っているとのことだけど意識はしっかり。

上行結腸(右側)にひとつポリープあり、つまんで取る。
S状結腸、表面に多数の赤いスジ。
「ここからの出血ですね。出血はもう止まってますね」。
S状結腸からの出血だから左下腹がずっと痛かったんだ。

何度かカメラを止めて写真をとる。
そこには何かあったのかもしれないが、素人目にはあきらかにあやしいものはなさそう。
はあーーーー良かったあああ。
検査時間は15分くらいかな?

鎮静剤を使っているので、中には記憶が定かではなくなる人もいるとのことで当日は先生の説明はなし。
でもモニターで自分の目で見ながらだいじょうぶだ!直腸癌ではないよね?とわかって安心。

先生のお話は年明けに。
下痢も腹痛もおさまったが気持ち悪いのは続くショボーン
何も食べてないからかな?と思い、せっかく街まで出たんだから何かおいしいものでも買って帰ろうと思う。
が。やっぱり食欲なし。
「食べてまたあの激痛に襲われたら」と思うと食べるのもこわい。

モビプレップを思い出すだけでオエっ!となる。
激マズだったよ。さんざんだったよ。と心は折れたまま。

声を大にして言う。
大腸内視鏡検査そのものは屁でもない!!!
検査前の準備が大変すぎる!!!
なんとか改善してほしいもの。

それと、このときだけはトイレットペーパーはぜひ柔らかい最高級なものを。



大腸内視鏡検査 事前準備
大腸内視鏡検査 事前準備
世の中はクリスマスだったけど私はクリスマスどころではなかった。
大腸内視鏡検査の事前準備のためこんなものしか食べられない。→写真1枚目

検査前日。消化の良いものを食べる。
食べたもの。
朝→梅干し入り白がゆ、バナナ、ハチミツレモン
昼→たまごがゆ、パン、バナナ、だてまき、白湯
夜→かきたまそうめん、バナナ、卵焼き、白湯
おやつ→バームクーヘン、たまごボーロ、ハチミツレモン

腹痛と下痢はおさまったけど左下腹が張った感じ。
押すと痛いし食欲もなし。血便はまだある。

50歳を過ぎてからは健康診断もまじめに受けるようになっていた。
ポメ子を置いて先に逝くわけにはいかないのだ。
私がいなくなったらだれがポメ子のお世話をする???
お散歩もちゃんとできて毎日元気で暮らす。
そんなのは若いときはあたりまえのことだが、血液検査の数値があやしくなったりするお年頃。
早期発見早期治療が大切!

胃カメラをやるようになってからは大腸内視鏡もやったほうがいいよね?と考えるようになった。
2日間の便潜血検査では大腸癌は見落としが多々あるらしい。
「集団検診ではわかりませんよ。大腸癌は何年もかけて育つものだから、定期的に内視鏡でポリープを観察しないと」と先生。

女性の癌死亡数トップは大腸癌。
大腸内視鏡検査のハードルの高さが死亡数トップの一因だと思う。
「検査前の準備が大変」も「下から入れる」も。
今回初めてやることになり、やらなきゃなと思ってたので良かった。

食事の事前準備もだけど、ドラッグストアで尿取りパットを購入。
生理用ナプキンじゃないよね?尿取りパットだよね。
もももももしかして漏れるかもしれないでしょ。
えー?私のじゃないんだけど。頼まれたんだけど。なんてな小芝居を自分の中でしながら。←まったく意味ない。

大腸内視鏡検査当日。
5:30起きで6:00からモビプレップを飲む。→写真2枚目
早朝なので寒いし暗い。
室温でも冷たいこの液体を2リットル、さらに水や白湯を1リットル。
3リットルは飲むことになるよね。

「まずいまずいというけどどれほどのものか?」と興味しんしんで前向きな気持ちで飲み始める。
ポカリスエットを重たくして梅干し入れたようなお味。おいしくはないけどまずくもないじゃん!
調子良く飲み始めた。

6:00スタートでモビプレップを飲んで白湯を飲んで、を繰り返す。
7:15ころ。来た来た!という感じでトイレへ。
8:00すぎには便も固形ではなくなり9:00すぎには水様便に。

モビプレップ1リットルまでは余裕だった。
が!そのあと。
大食い選手権とかのテレビ番組で、調子良くいけてたのに突然一口も食べられなくなる状況。そんな感じ。

梅味というかシソ味の重い液体(しかも冷たい)がなかなか入っていかない。
と同時に怒涛のトイレラッシュ!!!!
おしっこか??と思う勢いでうしろから出る!!
流した水がタンクにたまる間もなく。おろしたズボンをあげる間もなく。
繰り返し繰り返しトイレへGO。

下痢のときみたいに腹がキュキュッとなるわけではないのにトイレに行くと勢いよく出る。
そのうち拭きすぎておしり痛い。
モビプレップもがんばって飲むんだけど、気持ちわるいいいいーーー。
あふっっ!となって鼻から出るモビプレップ。
あと300mlが入っていかない。

病院から電話が来た!
「便は透明な黄色になりましたか?」
「はい。はいっ!!なりました!もう気持ち悪くて飲めないです」
「透明になったのなら残りは廃棄してください」。
ひゃあーーー助かったあ。

キツかった真冬のモビプレップ。
時期を選べるのなら夏がいい。
冷やした飲み物がおいしい季節ならシソ味のポカリスエットと思えばいける?たぶん。

そしてもうひとつ。
トイレットペーパーはこのために最高級のやわらかいものを用意するべし。
うちのはドラッグストアで1番安い12ロール238円のもの。
おしりがこすれてさんざんだよ。
やる気まんまんだった早朝の勢いはどこへやら。

4時間近くモビプレップを飲み続けて、心は折れたが大腸の準備はととのった。
自宅から病院まで電車と徒歩で30分弱。
いきなり襲ってくる波をかわして無事病院までたどりつけるのか?
用意していた尿取りパットを2枚重ねで仕込み、めっちゃ心配しながら病院へ。

続きます。

突然の腹痛と血便

2021年12月25日 日常
突然の腹痛と血便
突然の腹痛と血便
クリスマスだけどこんなハナシですみません。
ここ1週間「地獄を見た」くらいの感じ!
大変だったよーの記録。

夜8時ころ突然おなかがギュルギュル。
私はお腹は強い方でたくさん食べても平気。
賞味期限切れでもだいじょうぶ。
だからおなかを壊したことはあまりない。

なのに。
前触れも特になく突然。
腹いたいーーーー!!
今までで1番いたいーーーー!!!

何か悪いものを食べたのか??
心当たりなし。
出ればスッキリするのになかなか出ない。うううーーー。

わんこがいる人はみんなそうかな?と思うけど、ポメ子はどこでもついてくる。
トイレにもついてくる。
人間の2歳児くらい?な感じ。
だれも家にいなければトイレのドアは開けっぱなし。
トイレの前でおりこうにふせして待っていられると出るものも出ませんって。→写真1枚目

ギュルギュルギュルギュル。
今までは多少腹が痛くても出ればスッキリしたのにダメだった。
何度もトイレに行ってはトイレ前の床で行き倒れる。痛くて痛くて。
そのうち汗が出て暑くなってきたので服脱ぐ。
今度は寒くなってガタガタ震えがくる。
手も冷たくなる。ヤバいヤバい。

ポメ子、わん!わん!わんっ!
おかあさんの異変を感じてるんだけど「だいじょうぶだよ」という気力もなく、ペロペロしてくるけど抵抗もできず。
ただ横たわってペロペロされるまま。

夜8時から9時半くらいまで顔をしかめてトイレとトイレ前を往復。
床に倒れこみ激痛に耐える。
下痢。
少し落ち着いたころ悪寒がしてヤバいので風呂スイッチ入れて風呂に入る。
これ血圧とかヤバくなったら風呂で倒れるパターン?と思うもののとにかく温まりたかった。

夜の間ずっと腹痛。1時間おきにトイレ起きる。
暗いときはわからなかったけど。
朝明るくなって見るとなんと血便!!!!
トイレの中が真っ赤に。
ええっ!!なになに????鮮血便イコール直腸癌???

コレステロールの薬を出してもらっている内科へ行く。
「検査したほうがいいね。でも今どこも混んでるから年明けになるかな」と紹介状書いてもらい検査できる別の内科へ。

こうしている間も下痢の波はときどき押し寄せ血便は続く。
紹介状を書いてもらった内科は電車で行かなければならない。
いやマジで途中でもらしてしまったらどうしよう??
腹痛の波と波の間でたどり着けて・・・「大腸内視鏡検査しましょう」ということに。そうだよね。

説明を受け、ウワサの「モビプレップ」を渡される。これかーーー激マズで吐くほどっていうの。→写真2枚目

「混んでるから年明け」と思っていた検査は急きょ今週中になる。
「枠はいっぱいですけど枠外で入れました」と言われ、え??そんなに悪いのか。そうとうヤバいってこと?と青ざめる。

続きます。

偶然ではなく必然

2021年12月16日 日常
偶然ではなく必然
偶然ではなく必然
叔母が亡くなり都内まで行った。
亡き母の妹。1年ほど入院していた。
子どもの頃からかわいがってくれていたので入院中に行けばよかった。コロナ禍の東京はこわいなあと行かないでしまった。
今回も「家族だけでやるし葬式的なこともしないし気にしなくていい」ということ。

初めはコロナ禍だしなあ、と行かないつもりだった。
が「いや。あんなにお世話になったのに。顔を見ないと後悔する」と思い直す。

早朝7:30。いとこたちが出迎えてくれる。
棺の中の叔母はきれいに化粧されていた。
すっかり歳をとった叔父。それなりに歳を重ねた私のいとこたち。いとこの子どもたち。岩手から急きょ来た私の妹。
みんなで棺にお花を入れ、叔母は生前の華やかさを取り戻したよう。

火葬を待つ間。
叔母の息子が話す。
「亡くなる人は残される人みんなが一番いい時期を選んで逝く、っていうけどほんとにそうだった。おばちゃん(私の母)のときもそうだったよね。
たまたま、がうまく積み重なってうまく流れて。
そうなると偶然じゃなくて必然だよね」。

ああーーーそうだ。
私の母も離れたみんなが集まれるこれ以上のタイミングはない、というときに逝き、集まったみんなに満開の桜を見せてくれた。
今回もいくつかの偶然が重なり、家族に囲まれた中叔母は逝ったのだという。

今回行って叔母のお顔を見られてよかった。
子どものころ仲良く遊んだいとこたちにひさしぶりに会えて良かった。
いとこの小さいころにそっくりの子どもたちに会えてよかった。
すべては叔母が引き合わせてくれたこと。

そしてもうひとつ。
都内の妹の娘にも何年ぶりかで会えた。妹と妹の娘と私で東京駅でランチ。
たまたま、その日仕事が休みだったと。
これも叔母の引き合わせか。
ひさびさの東京一番街の京橋千疋屋。→写真
フルーツカレー・フルーツサンド・ポテトサラダ・フルーツティーのランチ。これにデザート。
(フルーツカレーは微妙)
妹もコロナで県外に出られなくなり、東京に2年ぶりに思い切ってきて良かった、と。

人生長く生きるといくつかの気づきがある。
「あのときああだったのは今こうなるためだったんだ」と思う瞬間が何度かある。
そのときは「なんで今こうなの?」と思ってもそれはあとで「こうなるためだったんだ」と。

流れに変に逆らわず流されていくことで一番いいところにいきつく。それは「神様に提示される道」なのだと思う。
生きているものは一番いいタイミングを選んで逝く。
たまたま、が重なれば偶然ではなく必然。

行ってよかった。叔母の顔を見られてよかった。みんなに会えてよかった。
ディズニークリスマス
ディズニークリスマス
ディズニークリスマス
今年も来た!
アラカン主婦たちでディズニークリスマス!
ディズニーシー20周年。→写真1枚目
子育て終わって自分たちで来るようになって数年。おとなディズニーいいわー。

まずはビッグバンドビートが当選。ミッキーが男前すぎる。
ダンス!ドラム!タップダンス!
ビッグバンドビートのミッキーは神。シーに来たらやっぱりこれを見なくちゃ。

12月1日からは2万人?入れてるらしいけど、アトラクションは5分〜15分でほぼ乗れる。
ニモやインディジョーンズ、シンドバッドなどさくさく乗って。
今回のメインイベントはソアリン!!
去年、ランド「美女と野獣」にシステム調整で乗り損なったので並ばないですぐ乗れるパスをもらっていた。
「美女と野獣」に乗れなかったのになぜ「ソアリン」?というのはあれこれフクザツな事情が。まあこれは置いといて。
パスをスキャンして横の入り口からすいすーい。
VIPソアリンうれしい!
スケール、疾走感、美しさ、ソアリン最高。
前回は初めてだったので匂いまで味わう余裕なかった。今回はマスクをずらして。
ううーん!サバンナとタージマハルと南の島フィジー?モルディブ?ではいい香りが。

開園のとき子供たち連れてみんなで来たのははるか遠い昔。
あれから20年もたったの???
いやー私たちもがんばったよねえ。
子どものためにレストラン予約したりファストパスとったり、そのために開園と同時に走ったよね!若かったわーと昔の話で盛り上がる。
チケットだって何か食べるんだってあのころはカケル2とかカケル3とか。
今ならひとり分でいいんだからお高いディズニー飯だって平気平気!と。

アトラクションもガツガツ乗らない。ディズニーの雰囲気楽しんでおいしいもの食べて。
ディズニーはいくつになっても夢の国。

ところが。
今回はディズニーのホスピタリティどうした???と夢の国ではない現実をつきつけられる。
ビッグバンドビートは当たったしアトラクションは待ち時間もなく乗れたんだけど。
なにやらこの日発売のグッズがあるらしくショップもスタンバイパスが必要。 
入ってすぐパスをとろうとしても「取得できません」と。
んーーー???
ビッグバンドビートでエントリーしてるのでそれが終わらないとだめなのかなあ?なんて言ってたが。
そうではなくショップに入るパスは10:00前になくなってたみたい。
早いところは開園9:00すぐには終了。ええ??

それと本日発売のミッキーのポッキー。ポッキーの断面がミッキー。
入ってすぐのショップもハーバーのところのショップも「売り切れ」。10:00すぎくらいだよ?
そしたらちょうどショップのおねえさんが箱を持ってきて並べ始めた!
むらがる人々!!!
われ先にと10箱くらい奪いとる人もいた。
ゆ・ゆ・夢の国なのにっっっ。

マスクが品薄だったころドラッグストアでマスクに群がる人々を思い出したよ。
現実に引き戻されたよ。
主婦友のひとりが4箱別の売り場で手に入れてきてわれわれは1箱ずつ分け与えられる。
すみません。夢の国なのにおばちゃんパワー。

もうひとりの主婦友は頼まれてきたみやげ買えず。ショップ入れないんだもん。
入場制限してるからショップの中はガラガラなのに入り口には長蛇の列。もちろんパスなしでは入れない。
パスは早い時点で終了。
ディズニー公式通販も「売り切れ」続出で買えない。
これってどうなのよ??

そしてランチ。
「カフェポルトフィーノ」のディズニーシー20周年記念メニュー。
予約はとれないお店なので10:30に開店したらすぐ食べよう!の予定だった。
10:30に行ったら長蛇の列。
ええー???60分待ち???
まあいいかこんな時間だからどこか空いてるよね?なんて言ってるうちにどこもどんどん待ち時間が伸びていく。

「いざとなったらそこらでミッキーのポッキー食べるしかない?」と言ってたら救いの神の「ハドソンリバーハーベスト」。
タンドリーチキンとベイクドポテトチーズソース。
ミッキーカステラケーキ。ホットアップルドリンク。→写真2枚目
ミッキーカステラは冷製だったけどほかはあったかくてお腹も心もポカポカ。
落ち着きを取り戻す。
やっぱり腹が減ってはダメですわ。

予約がいらないレストランはどこも待ち60分以上。
そもそも予約は1ヶ月前に争奪戦だしね。
いつもなら空いてる「マンマビスコッティ」や「ニューヨークデリ」も待ちの列。
外から見るとガラガラなのに入れてない。外は行列。中が密にならないように??

かといって屋台系のすぐ食べられるところは閉まってる。
こりゃないよディズニーさん!
早いランチに備えて朝食抜いてきたのに。
きょうだけでどれだけの人々がランチ難民になったことか。
腹減るとイライラするよ?夢の国じゃなくなるよ?

きょうから入れる人を増やしたのなら、屋台系のを開けるとかしてたくさんの人が食べられるようにしなくちゃさー!
ショップに入ってグッズを見る楽しみもなく、お腹がすいても食べられない。
争奪戦も起きるなんてなんだかがっかりだよ。

キラキラのディズニークリスマスなんだけど、なんかモヤっと?
写真3枚目は夜のディズニーシー。美しい。
まあとにかくディズニーは健康のバロメーター。
特にシーはアップダウンがあるから足腰が元気じゃないとなあ。
今回は18000歩。約13キロ。毎年元気でみんなで行けるようがんばろう!と誓う。
「カムカムエヴリバディ」 泣ける
「カムカムエヴリバディ」 泣ける
「カムカムエヴリバディ」 泣ける
録カムを帰宅後見る。
どれだけ泣かせるか!と。
木曜も泣いた。金曜はもっと泣いた。

稔さんの戦死。
ネタバレを見てしまっていたのでストーリーわかってたけどそれは私の見間違いで、勇ちゃんが戻ってきたとき、配達員さんが来たとき、「稔さん帰ってきた???」。
そう思った。そう思いたかった。

引き寄せられるような足取りで神社に行く安子。
うううーー走る安子の後ろ姿だけで、神社の木漏れ日だけで。
泣けて泣けてダメだ・・・。
安子の笑顔がかわいくてかわいくて、この子が辛い思いをするのは見たくない・・と思っていたからよけいつらい。

安子。つらいよね。
みんないっちゃうなんてひどいよね。

というか、もう本編始まる前のオープニングテーマ曲の前奏が流れただけで涙目。
AIの「アルデバラン」にのせてオレンジ色の女性の成長が描かれていく。
その時点で私の視点は赤色の「女性のおかあさん」。
娘の髪をとかしてやったりお弁当を作ってもたせてやったり。こういうときあったよね・・ってその時点でもう泣ける。

そのうち赤色のおかあさんは出番はなくなり、オレンジ色の女性はおかあさんのいない世界で友達と仲良く過ごしたり仕事をしたり雨に降られて車に水をはねられたり。
そのうち娘が産まれて成長して。

そして。
おばあちゃん・むすめ・おかあさん。
初めは3人並んで歩いて行くのよ。
それがだんだん違う道を歩くようになる。
みんなひとりで自分の道を歩くようになる。
最後には娘がおかあさんを追い越して駆けて行く。→写真1〜3枚目

あああーそうだよな。そうだよね。みんな違う道を行く。いつのまにか先に行ってる。って。
見るたびに泣けるんだよね。

テーマ曲だけでもう泣いてて安子にすっかり感情移入してるんだから泣けて当然。
安子に感情移入というか、母親目線。
「こんないい子なんだから幸せになってもらいたい。悲しい思いはさせたくない」っていう。
そう思わせる上白石萌音ちゃんはやっぱりすごい。
カムカム。思い出すだけで泣ける・・・。


困った!お歳暮

2021年11月23日 日常
困った!お歳暮
困った!お歳暮
困った!お歳暮
またまたこの季節が来た。
「お歳暮」!
いやもうどうしよう??
年に2回「お中元」「お歳暮」の時期になると頭をかかえる。

だって埼玉コレといったもんがないんだよ。
なぜ?なぜ埼玉何もない???
まさか「十万石まんじゅう」でもないよね?

親戚やお世話になった人には、以前は「白だし」を送ってた。
特別「いやっほーーい!」と思うものではないけど盆暮れには重宝するので喜ばれていた。と思う。

困ったのは娘が結婚してから!!
娘夫婦は今九州にいるけど、ご実家はフルーツ王国山梨。
ばばーーん!と桃やシャインマスカットが来る!
そして山梨といえばワイン!
富士山の水?とか水も良いのでお酒も美味しい。オシャレな日本酒飲み比べセットなども届く。

どうする?どうするっっ??
本場シャインマスカットに対抗できるものなどなし。
息子は入籍前だからまだいいだろうけど次のお中元からは何か送らないと。

私が埼玉でコレ!!と思うのは上品な和菓子「白鷺宝(はくろほう)」。
白あんをチョコレートでくるんであって一個ずつおひねりされた紙に包んであります。→写真1.2枚目
3枚目のように季節によってスイカとかメロンとか。今なら栗。

カワイイよね。
それに上品。
ところが!!!!
日持ち1週間!
手土産なら良いけど送るとなるとね。

それに「甘いお菓子」は良いか悪いかわからない。
われわれ世代は成人病も心配だし、私みたいに糖尿病予備軍だと甘いお菓子は「うれしい!でも困る」。

困った困った。
周りの埼玉育ちの人たちに聞いても良い品はなし。
みんな困ってる。
結果。「埼玉の名産品」と考えると正解にはたどり着けないとわかる。
東京のものを送るとか。自分の縁のある土地のものを送るとか。

今回はこの前行ったばかりの岩手の「館が森アーク牧場の高原豚」にしてみたよ。
牧場にいたカワイイ豚さんたち。
岩手のきれいな空気と水で育った高原豚だからおいしいに違いない!
もらって困るものでもないだろう、と。
いやホント埼玉、コレといったものがなくて困るわー。
岩手紅葉 館が森アーク牧場
岩手紅葉 館が森アーク牧場
岩手紅葉 館が森アーク牧場
実家滞在最終日。
紅葉を見ようと思い、岩手県一関市「館が森(たてがもり)アーク牧場」に行きました。
さいたまあたりの街中の紅葉じゃなくて引き締まったキレイな空気の中で鮮やかな紅葉を見たい。
岩手は小岩井牧場や中尊寺は知られてるけど、館が森はそれほどでもない。アクセス悪いしね。イングリッシュガーデンやお花畑・一面のラベンダー畑があってステキなところです。

正門には「Ark farm」とある。
arkは方舟(はこぶね)。「正しい農業のあり方を次世代に伝えていく」という創業者の理念がこめられているそう。
紅葉も終わりかけかな。あと1週間早かったらよかったかな。

アメジストセージがキレイ!
ぷくぷくしたビロードのような手ざわりも良き。→写真1枚目
時期によっていろいろお花が咲き乱れるけど、今はアメジストセージと秋のバラ。
朝イチで行ったので美しい景観独り占め!
静かでいい!
イチョウもキレイ。銀杏たくさん落ちてる。→写真2枚目
7月には満開になるラベンダー畑はこれから冬眠。
ラベンダー畑のあたりは一帯とてもいい香りが漂ってる。
イチョウの匂い・枯れたラベンダーの匂い・枯れ葉の匂い。そんなのが混ざり合って晩秋のとてもすてきな香りになってる。
マスクをずらして思いきり息を吸い込む。ふわーーーー。いい香り!

洒落たバイキングレストランやバーベキューハウスもあり。今回は散策のみでレストランには行かず。
ここは豚さんが売りなので、肉厚の豚肉や無添加ソーセージ類がとにかくおいしかったし牧場栽培の有機野菜も新鮮。
三角屋根の「オーガニックレストランティルズ」。
ティルとは耕すという意味だと。
ショップの屋根には風見鶏。豚肉や加工品、焼きたてパン、昔たまご、ジャム、スイーツ、ハーブティーなどいろいろ。ネット通販も人気。

コロナでしばらくお休みだったビュッフェも再開してるので次回行きたいな。
一番人気のくるみパンとハーブクッキーを買いました。
日常を離れてリフレッシュ。
気仙沼の海も館が森の紅葉も美しかった。

写真あります。ダイアリーは写真メインにならないのが残念。
気仙沼遊覧船→ https://ameblo.jp/calendula29/entry-12710419067.html
おかモネ展→ https://ameblo.jp/calendula29/entry-12710543558.html
館が森アーク牧場→https://ameblo.jp/calendula29/entry-12710747200.html
気仙沼 ウミネコ遊覧船・「おかえりモネ」展
気仙沼 ウミネコ遊覧船・「おかえりモネ」展
気仙沼 ウミネコ遊覧船・「おかえりモネ」展
施設の父の面会が解禁になったので岩手の実家に行きました。
電話とかオンラインとかではなくて会えたのは1年ぶり。
年末に向かってまたすぐ面会禁止になるかもしれないのでまず良かった。
ひとまわりやせたけど元気だった!
「面会時間は15分」とのことだったけど父はおしゃべりなので話し出したら止まらない。まあ同じ話も繰り返すんだけど、話が途切れずあっという間に30分。

さてさて。
「今度行ったら気仙沼で遊覧船乗る!!」と思ってたので妹夫婦と気仙沼へ。
父が実家にいたときはいっしょに何度も気仙沼にうまい寿司を食べにいってたなあ。
湾内ぐるっと一周。
遊覧船乗り場は「おかえりモネ」のFM局があった設定の建物の向かい側。
PIER7「気仙沼まち・ひと・しごと交流プラザ」。2019年春にオープン。
ここには実際にコミュニティFMのラヂオ気仙沼あります。
なかなか行けないうちにコロナ禍になってしまってやっと中も見ることができた。すごい建物たてたんだねえ。→写真1枚目

遊覧船のまわりには出航前からウミネコちゃんたちがスタンバイ。
船が出発するとウミネコちゃんたちもずっとついてきます。→写真2枚目
おめあてはかっぱえびせん!
遊覧船チケットを買うときにかっぱえびせん100円もすすめられる。→ちっちゃい袋だから30円くらいのかな?と思う。

船に合わせてついてくるウミネコちゃんたちはわれわれが投げるえびせんをナイスキャッチ。慣れてるからじょうず。
普通のかっぱえびせんでしょっぱいヤツ。塩分取りすぎでウミネコちゃんたちの健康が心配。
ちなみにカモメは渡り鳥。ウミネコは留鳥。
下から見てしっぽ(尾羽)の先が黒いのがウミネコ。

遊覧船なので見どころなどのアナウンスがずっとある。
橋の上を歩く人たちや対岸にいる人たち、すれ違う船の人たちと手を振りあって楽しい。ディズニーランドみたい。
気仙沼大島大橋の下を通ったり「おかえりモネ」で永浦水産として使われた建物を見たり。牡蠣棚の漁師さんたちと手を振り合ったり。

湾内一周して戻ってきました。
大島に橋が架かる前はここから大島行きの定期便が出ていて、うちの子供たちが小さいころ何度も乗った。
ウミネコにかっぱえびせんをあげられるから子供は大喜びだよね。

津波で気仙沼や大島が被害を受け、この船の乗り場も壊されたのを見たときはショックが大きかった。でもこんなふうにきれいに生まれ変わってすごいな良かったなとしみじみ思う。
ひさしぶりに大人だけでウミネコにかっぱえびせんあげた。大人というか初老?
大人だって楽しい!テンション上がりました!
50分の船旅でした。

ウミネコちゃんと遊覧船を楽しんだあとは「海の市」へ。
ここは海産物やお土産品が売っていておいしいお寿司や海鮮丼など食べるところがある。今回の目的は「おかえりモネ展」。→写真3枚目
役者さんの等身大パネルとか撮影に使われた小物類とかさまざまな説明パネルとか。
オープニングで使われてたなないろの布とか。
テーマ曲も流れててサーキュレーターで風も送られてる。
みなさんモネになりきって写真撮ってた。もちろん私たちも!
われわれアラカン姉妹はりょーちんや菅波の等身大パネルとも何枚も撮影。
「ちょっと。寄り添いすぎ!」
「どうも納得のいく仕上がりにならん」
「ガツガツいっちゃダメなんだよ」
「りょーちんも菅波も小顔すぎる」あーあ。

おいしい海鮮丼を食べて帰りました。満足!


ポメ子 心臓手術1ヶ月検診
ポメ子 心臓手術1ヶ月検診
ポメ子 心臓手術1ヶ月検診
ひさしぶりのお出かけ!!!
1ヶ月ぶりのドライブ!
テンション上がるポメ子。→写真1枚目

術後1ヶ月検診。写真2枚目は待合室でのポメ子。
エコー。レントゲン。心電図。血液検査。

どの数値も良くてびっくり。
2年半前の春に初めて検査した数値よりどれもこれも良くなってる!
心臓もきゅっと小さくなって逆流もほとんどなし。(ひと筋だけ軽い逆流)

数値を見るまでもなくポメ子ほんとにほんとに元気になった!
前はだっこすると手に心臓の動きが伝わってきた。横に寝てると心臓の音が聞こえてた。
今はさわっても「え?心臓どこ?」。せきも出ない。
呼吸も静か。毛並みも良くなり肉球も黒くツヤツヤに。

「毛並みが良くなったのは血行が良くなったからですか?」と聞いたら「利尿剤飲まなくなったからですね。利尿剤飲んでると水分足りなくなってパサパサになるんですよ」と先生。
はあーなるほど!
肉球が柔らかくなったのもそれか。

「3ヶ月検診まではお散歩もゆっくり。まだ安静期間と思って興奮させないように気をつけて生活してください。3ヶ月までは血栓予防の薬を飲んでるので出血などじゅうぶん注意してください」と。
とりあえず1ヶ月の安静期間は無事過ぎた。
明日からはお散歩も行けるね。
写真3枚目→ふわーーつかれました。
朝ドラ「カムカムエヴリバディ」
「朝ドラ」モネちゃんからもねちゃんへ。
「カムカムエヴリバディ」とはなんとなく古い響きの言葉だなと思ったら。
戦後始まったラジオ英語講座の主題歌だそう。
「証城寺の狸ばやし」のメロディで「♪カムカムエヴリバディ」と始まるんだと!
YouTubeにあった。
へえーーー!

ポメ子の安静期間で仕事休みなので朝カムを見てます。
その前に家事など終わらせればちょうど朝食にいい時間なのね。

まあとにかく安子がかわいい!
チビ安子も子犬のようにかわいくて「鬼滅」伊之助のホワホワになったよ。
「エール」の子役たちも秀逸だったけどよくあんなに似てる子役がいたもんだ。
「おちょやん」の子は杉咲花にはならないけどな。

萌音ちゃんの安子はレトロなお洋服も良く似合っていてほんとカワイイわ。
キンプリ廉くんの次はSixTONESが来たね。松村北斗くん。なんて端正なお顔立ちでしょう。
泣いたり叫んだりするのが似合う(勝手なイメージ)村上虹郎くんも楽しみだ。
ナレーションの城田優もいいね。

事前知識もなく見始めたけど「100年の物語」。
戦争だとか高度経済成長だとか震災とか描かれるのかな。

朝ドラは長丁場なので途中ダレたりラストで失速したり。
最後まで面白いかどうかわからない。離脱朝ドラ多数あり。

「いいお話だったのになーんでこうなるの?」と思った「べっぴんさん」「ひよっこ」とか。
「役者がそろってるのになぜ??」とムカムカしながら見た「まれ」「半分、青い。」とか。
「悪くない。悪くないんだけどひとつもまったくおもしろくない」という「なつぞら」とか。
ここ何年かで毎日が楽しみになる朝ドラとして良かったのは「あまちゃん」「マッサン」「まんぷく」「エール」。
「おかえりモネ」はじんわり良かったけど朝ドラとしてはどうなんだろう?

だいたいは録画して仕事終わったおやつタイムに見るので「朝ドラは毎日のお楽しみ」としたいよね。
「まれ」のときみたいに「きょうはどれほどひどいハナシか?」と見るのはやっぱりちがうと思う。
最後までおもしろく楽しみな朝ドラであってほしいです。

深谷「大河ドラマ館」
深谷「大河ドラマ館」
深谷「大河ドラマ館」
まさに「青天を衝け」といった感じのお出かけ日和。
深谷に来ましたよ。
深谷市はふっかちゃんと渋沢栄一と深谷ネギの街!
ふっかちゃんはお耳が深谷ネギのカワイイゆるキャラ。駅前にからくり時計もあり。
定時には渋沢栄一に変わるらしい。

「青天を衝け」深谷大河ドラマ館。(写真1枚目)
循環バスもあるけど駅から1キロないので運動のため歩いていきました。
ドラマで使ったそのままの小道具などたくさん展示してあり「ええ?これを吉沢亮くんが?」とか「岡田健史くんが!」とか高まったー!
映像などもじっくり見て見学時間は1時間15分くらい。「こんばんは徳川家康です」のメイキングなどおもしろかった。
映像見ないで展示見るだけなら30分くらいかな。
見学のあとは物産館あり。渋沢栄一グッズもいろいろ。

循環バスで渋沢栄一生家「中の家(なかんち)」へ。
尾高惇忠生家や渋沢栄一記念館は先を急ぐのでパス。

「中の家」今ある建物は明治28年に建てられたものだそう。(写真2枚目)
ドラマでよく見るあのお家がここにあったと思うと感慨深い。
屋根に天窓があるのは養蚕農家の形式。
この庭で藍玉を作ってたのねーとか。今は駐車場になってるけどこの家の前一面が藍の畑だったのねーとか。
座敷には80歳のころのお姿の渋沢アンドロイド。動いてます。
渋沢栄一記念館には70歳の洋装の渋沢アンドロイドがいて予約していれば講義を聞けたらしい。

「中の家」から歩いて5分ほど。諏訪神社へ。
血洗島の鎮守社で渋沢栄一は故郷に帰ると必ずここをまず参拝したと。
ドラマでもここで獅子舞の場面あったね。
渋沢栄一は歳をとってからも秋の祭礼のときはここで獅子舞をみるのを楽しみにしていたそう。
まわりには深谷ネギ畑。

中の家(なかんち)と諏訪神社をゆっくり見学して40分くらい。ざっと見れば20分?
中の家に隣接して名物「煮ぼうとう」屋さんがあってにぎわっていた。
それにしても「血洗島(ちあらいじま)」とは横溝正史の小説に出てきそうな地名。
「血洗(ちあらい)」は荒れ地を表す「地荒れ」や、川の水にいつも洗われる「地洗れ」が変化したもの、らしい。
「島」は高くなった土地。
なるほどね。
諏訪神社近くに「血洗島自治会館」があって「あら。やっぱり架空の地名じゃないんだ」とフシギな感じ。

血洗島をあとにして、循環バスで「道の駅おかべ」に行きました。
めざすは本日のランチ「NORA深谷のめぐみ食堂」。
新しくできたオシャレなレストラン。
写真撮り忘れたけどここでもふっかちゃんが出迎えてくれたよ。

メイン料理(煮ぼうとう・グリル・ピザ)に深谷の新鮮野菜、スープ、デザート、ドリンクのビュッフェがついてます。
この地元の新鮮野菜がとにかくおいしい!!
小松菜ひとつとっても青々とみずみずしく、ふだんはあまり見ないわさび菜とかからし菜とかケールなど何種類もの青菜。
きょうのスープはネギのポタージュ。
メインが来る前にもう一度おかわりしようかな?と思うほど野菜もポタージュも美味しかった。
「深谷ねぎの和風ピザ」をオーダー。店内の窯で焼いてるので香ばしくていい香り。焦げ目までおいしい。
ネギも自分が知ってるネギと違ってクセも辛味もない。
ピザは普通サイズなので少食の方は食べきれないかと思われます。
デザートのかぼちゃパウンドケーキや杏仁豆腐やフルーツもいただき大満足でした。

コロナになってひとりランチに慣れたおかげでどこでも行けそうだな。
ここのレストランもかなり賑わって満席に近かった。
でもカウンターは私しかいないから、あとの方を気にすることもなくバス時間まで時間調整できました。

「道の駅おかべ」なので時間までお店を見る。
道の駅テンション上がるー!!
新鮮野菜がお安く売られていて買いたかったけど重いだろうから断念。深谷ネギもほしかったけど電車で帰るからなあ。

ありとあらゆるものが渋沢くん関連の商品になっていた。
いやマジでなんでもあるから!
渋沢まんじゅう、渋沢せんべい、渋沢バームクーヘン、渋沢クッキー、渋沢ポテチ、渋沢ドレッシング、渋沢人形焼・・・。
干し大根と昆布の漬物「青天漬」、「深谷ねぎ麦味噌漬け」「ねぎ味噌かりんとう」買ってみた。

ということで。
電車は逆方向なので空いてるし、お出かけも久しぶりでちょっとした小旅行みたいでめっちゃ楽しい1日でした。

いろいろ写真あり↓
深谷「大河ドラマ館」 https://ameblo.jp/calendula29/entry-12707148458.html
深谷グルメ https://ameblo.jp/calendula29/entry-12707506811.html
「おかえりモネ」最終回
「おかえりモネ」最終回
「おかえりモネ」終劇。

キラキラ光る気仙沼の海も浜も空も尊い。
ラストの海の場面などはこの世のものとは思えない美しさ。

俺たちの菅波は2年半の時空を超えて安定の青チェックシャツで降臨。
りょーちん親子のはじける笑顔も最高。
同級生たちも良かった。大人たちも良かった。
それでもまるっとまとめにかからずコージーに「そんなもんじゃねえだろ。そんなに簡単じゃねえだろ」と言わせる。
脚本の妙。すばらしい。

私は録モネを毎回じっくり見たけど、朝何かをしながら時計がわりに見るドラマではなかったね。
流し見してたら「なんだか朝から暗いドラマだな」と思うんだろうな。
役者さんたちの細かい表情ひとつひとつがよかったし、しみる言葉もたくさんあった。
朝ドラの元気なヒロインが苦手な私には良きドラマであった。
ご都合主義は多々あったけど、うるさい、カンに触る人物がいなかったのが何より。

モネがこのあとどうするのか(仕事で結果出せる?島にずっといる?菅波とはどうなる?)はわからなかった。
けど、まあいいか。
現実だってはっきり答えがあるわけじゃないし、そこにとどまらなくたって何かに縛られなくたっていい、ってことをドラマで言ってたよね。

コロナから2年半後の近い未来。
「都会」から「東北の島」に来た「医療従事者」ともマスクなしで安心してハグできる。
そんな未来を見せてくれた。

あえてカギカッコつけてみたのは、私自身がコロナ禍で故郷とすっかり分断されてしまったから。
気仙沼にほど近い私の故郷あたりでは「都会から来た人」はものすごく警戒される。
「感染拡大地域」から来た人と会ってしまうと、デイサービスも行けずヘルパーさんも来れなくなる。保育園も行けない。通院時にも「県外の人と会ってませんか?」とチェックされる。
「都会から娘来てるよ。コロナ運んできたんだべが?」と近所のウワサになる。

そんな話を身内から聞くと「ここは感染拡大地域のわれわれが足を踏み入れてはいけない場所なのだ」とうかつに実家にも行けない。
そろそろいいかと思った先月でもそうだった。
立場が逆になればそれはあたりまえで「都会から来た人」は警戒して当然。

そんなこんなを思うと、モネと菅波も周囲からの風当たりは強かっただろうし、いろいろ思うことはあっただろう。
船出したりょーちんも銀行を辞めたコージーも東京に行ったみーちゃんも突然のコロナでこの2年半どうして暮らしていただろう。とにかく大変だっただろう。

だからこそ最後の海の場面がよりいっそう尊く心にしみるのだった。

少し先の未来は、首都圏から行くわれわれが「感染拡大地域から来た人」と警戒されない、そんな世の中になっているかな。

津波とコロナ。地方と都会。
故郷を出た人と残った(残らざるをえなかった)人。
私自身「故郷を出た人」で「気持ちは故郷とともにあるけど現実を考えると戻りたくない人」だからよけいいろいろ考えちゃうんだよね。
いろいろ考えさせられるドラマでした。

安達先生ありがとう。

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