ヒヨドリを助けた。
うちの近所はまだまだ畑が残っている。
自転車で買い物に行こうと家を出たそのとき、ヒヨドリがキュウリ畑を囲んでいるネットにからまって動けなくなっているのを見つけた。
そばに寄ると大きく鳴いてはばたきますますネットにからまっていく。
どうやら脚と首がからまって動けなくなっているらしい。
家に戻ってハサミを持ち出し「うまく助けられるか」とドキドキしながらヒヨドリの体をそっとつかむ。
からまったネットをハサミで切りながら、頭の中にはさまざまな思いが交錯する。
幼いころ。
私はアリが水たまりに落ちてもがいているのを見ていた。
母は葉っぱをアリのところに差し出しアリを助けてみせた。
そして「アリさんが『どうもありがとう。このご恩は一生忘れません。いつかあなたがおぼれそうになったとき私が助けてあげましょう』って言ってるよ」と。
母は私に「小さなアリにもやさしい心を持てるように」と私の目の前でアリを助けてみせた。
決して「恩を返してもらえるという見返り」のために助けてやるということではないだろう。
このテの話は「鶴の恩返し」もそうだし、イソップ童話の「ライオンとねずみ」もそうだ。
グリム童話だったかにも醜いカエルを助けたらなんとすてきな王子様でした、みたいな話がある。
私は蚊やゴキやハエは鳥肌立てながら殺すくせに、なぜか家の中のクモには「無益な殺生はいけない」と思い、そっとティッシュでつかんで外に放してやる。
それは「クモを助けてやりたい」のではなく、「家の中のクモは縁起のいいものされるから殺してはいけない」とともに「いざというとき助けてもらえるかも」と見返りをどこかで期待する気持ちがあるからだ。
大人になって困っている人を助けてあげるのだって「情けは人のためならず(いつかは自分に戻ってくるんだよ)」みたいなそんな気持ちもある。
じゃあ、このヒヨドリを助けるという行為も見返りを期待する気持ちからなんだろうか。
若い頃、素直に困っている人・社会的に弱い立場の人に手をさしのべることができないことがあった。
自己満足の偽善ではないのか。
そう思うと素直に電車でお年寄りに席も譲れなかった。
今では行為が偽善だと悩むほど若くない。
だって偽善でもなんでも「何もやらないよりずっとマシ」だとこのトシになればわかるから。
何よりも、ヒヨドリはかわいいから助けてあげたいのだ。
ヒヨドリは無事救出。
ハムスター使いの私はヒヨドリにバタバタあばれられてもくちばしでつつかれてもかまれても「はいはい。だいじょうぷだからね」と優しい言葉を彼(?)にかけ、「私が困ってるときは若いイケメンの人間の姿で助けにきてよ」と頭をなでて離してやった。
ヒヨドリはネットにからまって弱っている様子もなく元気に空にはばたきすぐ見えなくなってしまった。
手に残るぬくもりはヒヨドリの命が救われたことを思わせ、なんだかうれしくてひとりでフフッと笑ってしまった。
人んちの畑でひとりでニヤついている私は、他人が見ていたら確実にあやしい人だっただろう。
うちの近所はまだまだ畑が残っている。
自転車で買い物に行こうと家を出たそのとき、ヒヨドリがキュウリ畑を囲んでいるネットにからまって動けなくなっているのを見つけた。
そばに寄ると大きく鳴いてはばたきますますネットにからまっていく。
どうやら脚と首がからまって動けなくなっているらしい。
家に戻ってハサミを持ち出し「うまく助けられるか」とドキドキしながらヒヨドリの体をそっとつかむ。
からまったネットをハサミで切りながら、頭の中にはさまざまな思いが交錯する。
幼いころ。
私はアリが水たまりに落ちてもがいているのを見ていた。
母は葉っぱをアリのところに差し出しアリを助けてみせた。
そして「アリさんが『どうもありがとう。このご恩は一生忘れません。いつかあなたがおぼれそうになったとき私が助けてあげましょう』って言ってるよ」と。
母は私に「小さなアリにもやさしい心を持てるように」と私の目の前でアリを助けてみせた。
決して「恩を返してもらえるという見返り」のために助けてやるということではないだろう。
このテの話は「鶴の恩返し」もそうだし、イソップ童話の「ライオンとねずみ」もそうだ。
グリム童話だったかにも醜いカエルを助けたらなんとすてきな王子様でした、みたいな話がある。
私は蚊やゴキやハエは鳥肌立てながら殺すくせに、なぜか家の中のクモには「無益な殺生はいけない」と思い、そっとティッシュでつかんで外に放してやる。
それは「クモを助けてやりたい」のではなく、「家の中のクモは縁起のいいものされるから殺してはいけない」とともに「いざというとき助けてもらえるかも」と見返りをどこかで期待する気持ちがあるからだ。
大人になって困っている人を助けてあげるのだって「情けは人のためならず(いつかは自分に戻ってくるんだよ)」みたいなそんな気持ちもある。
じゃあ、このヒヨドリを助けるという行為も見返りを期待する気持ちからなんだろうか。
若い頃、素直に困っている人・社会的に弱い立場の人に手をさしのべることができないことがあった。
自己満足の偽善ではないのか。
そう思うと素直に電車でお年寄りに席も譲れなかった。
今では行為が偽善だと悩むほど若くない。
だって偽善でもなんでも「何もやらないよりずっとマシ」だとこのトシになればわかるから。
何よりも、ヒヨドリはかわいいから助けてあげたいのだ。
ヒヨドリは無事救出。
ハムスター使いの私はヒヨドリにバタバタあばれられてもくちばしでつつかれてもかまれても「はいはい。だいじょうぷだからね」と優しい言葉を彼(?)にかけ、「私が困ってるときは若いイケメンの人間の姿で助けにきてよ」と頭をなでて離してやった。
ヒヨドリはネットにからまって弱っている様子もなく元気に空にはばたきすぐ見えなくなってしまった。
手に残るぬくもりはヒヨドリの命が救われたことを思わせ、なんだかうれしくてひとりでフフッと笑ってしまった。
人んちの畑でひとりでニヤついている私は、他人が見ていたら確実にあやしい人だっただろう。
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