のんびりゆったり生きましょう
2003年8月23日 日常今住んでいるところはそんなに都会でもないのだが、やはりそこらのスーパーに買い物に行くのだってスッピンでは出歩かない。
(出歩けない、って話か)
服装もTシャツジーンズでも体にフィットしたものを着て少しは緊張感を保とうとしている自分がいる。
そして「情報」を毎日取り入れることで「時代」についていこうと自分で自分を忙しくしている自分がいる。
新聞やパソを開かないでいるとなんとなく情報についていけない気がして不安になる。
新しい映画や新しい本や新しい店は早くチェックしたいし流行のものもとりあえず知っておきたい。なんだかいつも忙しいのだ。
「おかあさん、忙しい忙しいって何忙しいの?」と娘に聞かれて私は「あのビデオも見なくちゃいけないしこの本も読まなくちゃいけないし・・」と答えてしまったことがあった。
娘「そんなの変だよ。見たいから、とか、読みたいから、とかでしょー?」
私「・・・ああそうだよね」。
・・・確かに、読みたいから見たいからやっていることなのに、義務感が入ってきてしまうのはどうしてなのか。
新しいお店や週刊誌の記事だって「知りたい」からであるはずなのに、なんだか「見ておかなくちゃ」「行ってみなくちゃ」と思ってしまうのはなぜなんだろう。
だいたい一体私は何のために情報を取り入れて時代についていこうとするのか?
人と話したときに「知ってる知ってる〜」ととりあえず一言語りたいからなのか??
今こうして「だいありー」を書いてるんだって「書きたいから」書いてるはずなのに、忙しい中なんとか時間のやりくりをして必死で毎日更新して・・・っていうのは本末転倒な気がする。
こういう趣味の範疇のことはやりたきゃやりゃーいいし、やりたくなきゃやんなきゃいいだけのハナシだ。
・・・・というようなことを実家にいると気づかされる。
田舎では時間は何かに縛られることもなくゆったりと流れ、いつもいつも「あれしなくちゃこれしなくちゃ」と追い立てられるということがない。
まあ私は「帰省」として実家に滞在しているだけで、「生活」となるとまた別なんだろうけど。
それでもいろんなことが見えてくる。
情報はこちらが選ぶべきものなのに、私はいつのまにか情報に踊らされていたんだな。
若い子でもないのに情報の海の中で泳ごうとしてアップアップしてたんだな。
携帯もパソもなきゃないでいいんだ。
早く早くといつも何かに追われ今その時をないがしろにして「明日のために生きる」ような毎日じゃなく、「の〜んびりゆ〜ったり」って大切なことじゃない?・・・など。
田舎の父母の年代の人たちは笑顔がそのまま表情になったようなやさしい顔をしている。
きっと今の私は少しだけやさしい顔をしていることだろう。
(出歩けない、って話か)
服装もTシャツジーンズでも体にフィットしたものを着て少しは緊張感を保とうとしている自分がいる。
そして「情報」を毎日取り入れることで「時代」についていこうと自分で自分を忙しくしている自分がいる。
新聞やパソを開かないでいるとなんとなく情報についていけない気がして不安になる。
新しい映画や新しい本や新しい店は早くチェックしたいし流行のものもとりあえず知っておきたい。なんだかいつも忙しいのだ。
「おかあさん、忙しい忙しいって何忙しいの?」と娘に聞かれて私は「あのビデオも見なくちゃいけないしこの本も読まなくちゃいけないし・・」と答えてしまったことがあった。
娘「そんなの変だよ。見たいから、とか、読みたいから、とかでしょー?」
私「・・・ああそうだよね」。
・・・確かに、読みたいから見たいからやっていることなのに、義務感が入ってきてしまうのはどうしてなのか。
新しいお店や週刊誌の記事だって「知りたい」からであるはずなのに、なんだか「見ておかなくちゃ」「行ってみなくちゃ」と思ってしまうのはなぜなんだろう。
だいたい一体私は何のために情報を取り入れて時代についていこうとするのか?
人と話したときに「知ってる知ってる〜」ととりあえず一言語りたいからなのか??
今こうして「だいありー」を書いてるんだって「書きたいから」書いてるはずなのに、忙しい中なんとか時間のやりくりをして必死で毎日更新して・・・っていうのは本末転倒な気がする。
こういう趣味の範疇のことはやりたきゃやりゃーいいし、やりたくなきゃやんなきゃいいだけのハナシだ。
・・・・というようなことを実家にいると気づかされる。
田舎では時間は何かに縛られることもなくゆったりと流れ、いつもいつも「あれしなくちゃこれしなくちゃ」と追い立てられるということがない。
まあ私は「帰省」として実家に滞在しているだけで、「生活」となるとまた別なんだろうけど。
それでもいろんなことが見えてくる。
情報はこちらが選ぶべきものなのに、私はいつのまにか情報に踊らされていたんだな。
若い子でもないのに情報の海の中で泳ごうとしてアップアップしてたんだな。
携帯もパソもなきゃないでいいんだ。
早く早くといつも何かに追われ今その時をないがしろにして「明日のために生きる」ような毎日じゃなく、「の〜んびりゆ〜ったり」って大切なことじゃない?・・・など。
田舎の父母の年代の人たちは笑顔がそのまま表情になったようなやさしい顔をしている。
きっと今の私は少しだけやさしい顔をしていることだろう。
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