♪ダイヤルまわして 手をとめた〜
2003年8月29日 日常テレビを見ていたら「恋におちて」がフルコーラス流れた。
コドモたちは「ああーこれこれ!あいじゃすあ みつか〜ん きんのゴマだ〜れ♪」と歌う。あのフリン物語「金曜日の妻たちへ」パートなんだったかの主題歌である。
このシリーズを見たのはまだ結婚前だったのでフリンの何たるかも知らず、ただその主人公たちの優雅な生活にあこがれたものだった。
いつもふわふわとしたワンピースなどを優雅に着ている篠ひろこ。キリッとした都会的ないしだあゆみ。
シリーズごっちゃになってるけど、毎週毎週楽しみに見たのを覚えている。
何が楽しみだったのか。素敵な生活もそうだが、やっぱりそのドロドロの人間関係か。
ああいう内輪でもめてる話を外から見てるのは本人たちが真剣になればなるほどおもしろいものだ。
まあ、それはいいとして ♪ダイヤルまわして手を止めた〜 である。
今のようにメモリーボタンなんぞない時代の歌なのだ。
私がちゃんと恋愛した独身のころはもちろん携帯もメールもなかった。
通信手段は手紙か固定電話。
私の実家には子機すらなかった。
夜中、みんなが寝静まったあと足音を忍ばせそーっと居間に行って黒電話のダイヤルを回す。
途中まで回してから「やっぱり・・・」と思い悩み手を止めることもある・・そんな時代だった。
結婚する頃にはメモリー機能がついたプッシュホンや子機も普及したが、メモリー機能などなかった時代は相手の電話番号はソラで出てこなきゃ電話もできなかった。
夜中に電気もつけず真っ暗な中テーブルの陰にしゃがんで声をひそめて恋人と電話する・・・。なかなか風情がある。
今ならボタン一個軽く押すだけで他人が出る心配もない個人の携帯にいつでもどこでもすぐ繋がってしまう。
以前はただ声だけ聞きたくて電話してみる、というのが許されていた(?)時代だった。
相手の「もしもし。どちら様?」という声だけを聞いてひっそりと電話を切る・・・。
今考えればただの迷惑電話なのだが、どきどきしながらダイヤルを回して相手が出るまで待つ心臓がバクバク鳴るそのときめき、そしてひそかに声だけ聞いて胸がいっぱいになる、その恥じらい・・・。
今の若い子たちには経験できないひそやかな楽しみだった(←そんなに何度もやってませんって)。
今なんて非通知すれば初めから繋がらないし通知すれば履歴が残ってしまう。
情緒もなにもあったもんじゃないっつーの。
写真もすぐ携帯で送れる時代の恋愛は経験してないのでわからないが、きっと楽しいものだろう。
いつでもどこでも大好きな相手と繋がっていられるという喜びは何ものにも変えられないに違いない。
でも・・・縛られるのが好きじゃない人にとっては不便なものなのかもねと思ったりする。
私もどちらかというといつでもどこでも干渉されたり縛られたりするのは好きじゃない。
ひとりでいたいことも多い。
電話やメールの返事だってタイミング合わなかったり忙しかったりめんどくさかったりで、すぐしないこともある。
それは相手をないがしろにしたり無視したりするというのとは違うのだが・・・。
「なんでメール一本くらいできないかなー?」なんて言われると「えっ?」と思ったりする。
なんでそこまで縛られなきゃなんないの〜?なんて。
そのくせ自分としてはメールを送ったそのときから返事を待ったりして「返事こないなーシカトされたかなー」とひとりで勝手に傷ついたりすることもある。
言葉の持つ情報は限られているのでうまく気持ちが伝わらないこともあるので「ムカついてんのかなー冗談かなー」と言葉だけで判断できないことも多い。
気持ちのすれ違いやよけいな詮索をするのは心が波立ちわずらわしい。
今ではメッセや携帯にしばられることがなくなって私としてはどこかほっとしている。
通信手段が変化したことによって確実に恋愛模様も変化してるんだろうなあ〜。
コドモたちは「ああーこれこれ!あいじゃすあ みつか〜ん きんのゴマだ〜れ♪」と歌う。あのフリン物語「金曜日の妻たちへ」パートなんだったかの主題歌である。
このシリーズを見たのはまだ結婚前だったのでフリンの何たるかも知らず、ただその主人公たちの優雅な生活にあこがれたものだった。
いつもふわふわとしたワンピースなどを優雅に着ている篠ひろこ。キリッとした都会的ないしだあゆみ。
シリーズごっちゃになってるけど、毎週毎週楽しみに見たのを覚えている。
何が楽しみだったのか。素敵な生活もそうだが、やっぱりそのドロドロの人間関係か。
ああいう内輪でもめてる話を外から見てるのは本人たちが真剣になればなるほどおもしろいものだ。
まあ、それはいいとして ♪ダイヤルまわして手を止めた〜 である。
今のようにメモリーボタンなんぞない時代の歌なのだ。
私がちゃんと恋愛した独身のころはもちろん携帯もメールもなかった。
通信手段は手紙か固定電話。
私の実家には子機すらなかった。
夜中、みんなが寝静まったあと足音を忍ばせそーっと居間に行って黒電話のダイヤルを回す。
途中まで回してから「やっぱり・・・」と思い悩み手を止めることもある・・そんな時代だった。
結婚する頃にはメモリー機能がついたプッシュホンや子機も普及したが、メモリー機能などなかった時代は相手の電話番号はソラで出てこなきゃ電話もできなかった。
夜中に電気もつけず真っ暗な中テーブルの陰にしゃがんで声をひそめて恋人と電話する・・・。なかなか風情がある。
今ならボタン一個軽く押すだけで他人が出る心配もない個人の携帯にいつでもどこでもすぐ繋がってしまう。
以前はただ声だけ聞きたくて電話してみる、というのが許されていた(?)時代だった。
相手の「もしもし。どちら様?」という声だけを聞いてひっそりと電話を切る・・・。
今考えればただの迷惑電話なのだが、どきどきしながらダイヤルを回して相手が出るまで待つ心臓がバクバク鳴るそのときめき、そしてひそかに声だけ聞いて胸がいっぱいになる、その恥じらい・・・。
今の若い子たちには経験できないひそやかな楽しみだった(←そんなに何度もやってませんって)。
今なんて非通知すれば初めから繋がらないし通知すれば履歴が残ってしまう。
情緒もなにもあったもんじゃないっつーの。
写真もすぐ携帯で送れる時代の恋愛は経験してないのでわからないが、きっと楽しいものだろう。
いつでもどこでも大好きな相手と繋がっていられるという喜びは何ものにも変えられないに違いない。
でも・・・縛られるのが好きじゃない人にとっては不便なものなのかもねと思ったりする。
私もどちらかというといつでもどこでも干渉されたり縛られたりするのは好きじゃない。
ひとりでいたいことも多い。
電話やメールの返事だってタイミング合わなかったり忙しかったりめんどくさかったりで、すぐしないこともある。
それは相手をないがしろにしたり無視したりするというのとは違うのだが・・・。
「なんでメール一本くらいできないかなー?」なんて言われると「えっ?」と思ったりする。
なんでそこまで縛られなきゃなんないの〜?なんて。
そのくせ自分としてはメールを送ったそのときから返事を待ったりして「返事こないなーシカトされたかなー」とひとりで勝手に傷ついたりすることもある。
言葉の持つ情報は限られているのでうまく気持ちが伝わらないこともあるので「ムカついてんのかなー冗談かなー」と言葉だけで判断できないことも多い。
気持ちのすれ違いやよけいな詮索をするのは心が波立ちわずらわしい。
今ではメッセや携帯にしばられることがなくなって私としてはどこかほっとしている。
通信手段が変化したことによって確実に恋愛模様も変化してるんだろうなあ〜。
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