少年と寝る
2003年10月3日きのうの夜。
いつものように「おやすみ」をして部屋を出ようとしたとき息子が言う。
「きょうはいっしょに寝て。もうきょうが最後で一生寝ないから」。
突然のその言葉への戸惑いを笑ってごまかしながら息子のところへ行く。
このあいだ誕生日を迎えたばかりだ。
まだまだほっぺもぷくぷくして寝顔も赤ちゃんのころのままだけれど、手足は急にすらっと伸び出しときどき声もかすれることもある。
まるっこい頭をなでると息子は太陽をいっぱいに浴びた子犬のようなにおいがする。
「なんでもう一生なんて?」と聞くと「みんなひとりで寝てるしいつまでもだめかなと思って」と言う。
ついこのあいだまで「きょうはおかあさんと寝る〜」と毎日のように甘えて年下の娘に「何年生だってよ〜?」とあきれられていた息子だ。
「もういいかげんにしたらー!」と私も本気でイライラして怒ったこともあるが「男の子はそこがかわいいんだよね」なんて思っていた。
それなのに急に「一生」だなんて言われるとさびしくなる。
思えば「上の子」なんて損なものだ。
私も「上の子」だからよくわかる。
下がうまれたとたん上の子は「なんでもひとりでできて下の子にもやさしくする手のかからないしっかりした良い子」を期待される。
親は下の子にはいつまでも小さくて赤ちゃんのままでいてと望み、上の子は早く大きくなれと望む。
息子は小さいころから神経質で手のかかる子だった。
人一倍甘えんぼで寂しがり屋の息子なのに、娘がうまれてからはずいぶんがまんもさせたし寂しい思いもさせた。
「ママーいっしょにねてー」「ママーだっこしてー」。
泣きながら訴える幼かった息子に私は幾度となく「どうしてそう赤ちゃんなの!?」と叱りつけたことか。
どうしてもっと余裕を持ってやさしくできなかったのかと今思うと、胸がキリキリ痛み涙が出る。
コドモは親を選んで生まれてくるという。
私は息子にも娘にも選ばれた、と思う。
人間として未熟な私を成長させるために息子は私のもとにきたのだろうか。
そして私と息子を助けるために娘は私たちのもとへ来たのだろうか。
コドモたちからたくさんのことをもらい私は今ここにいる。
小学生の息子と過ごすのはあと半年になった。
あと少しでコドモたちは私の腕の中から確実に出て行くのだと思うとき・・・まだやわらかいコドモたちのぬくもりは、とても優しく温かく神様がくださった宝物のように思える。
少年は青年になる。
「いつまでもコドモに縛られて自分の自由にならない!」と少しでも早く手から離れてほしかったのに、その時期が確実に近くに来ていると思うと戸惑いを感じてしまう。
しっかりと私はコドモたちを手放してあげられるだろうか。
少年との日々もあと少しになった。
いつものように「おやすみ」をして部屋を出ようとしたとき息子が言う。
「きょうはいっしょに寝て。もうきょうが最後で一生寝ないから」。
突然のその言葉への戸惑いを笑ってごまかしながら息子のところへ行く。
このあいだ誕生日を迎えたばかりだ。
まだまだほっぺもぷくぷくして寝顔も赤ちゃんのころのままだけれど、手足は急にすらっと伸び出しときどき声もかすれることもある。
まるっこい頭をなでると息子は太陽をいっぱいに浴びた子犬のようなにおいがする。
「なんでもう一生なんて?」と聞くと「みんなひとりで寝てるしいつまでもだめかなと思って」と言う。
ついこのあいだまで「きょうはおかあさんと寝る〜」と毎日のように甘えて年下の娘に「何年生だってよ〜?」とあきれられていた息子だ。
「もういいかげんにしたらー!」と私も本気でイライラして怒ったこともあるが「男の子はそこがかわいいんだよね」なんて思っていた。
それなのに急に「一生」だなんて言われるとさびしくなる。
思えば「上の子」なんて損なものだ。
私も「上の子」だからよくわかる。
下がうまれたとたん上の子は「なんでもひとりでできて下の子にもやさしくする手のかからないしっかりした良い子」を期待される。
親は下の子にはいつまでも小さくて赤ちゃんのままでいてと望み、上の子は早く大きくなれと望む。
息子は小さいころから神経質で手のかかる子だった。
人一倍甘えんぼで寂しがり屋の息子なのに、娘がうまれてからはずいぶんがまんもさせたし寂しい思いもさせた。
「ママーいっしょにねてー」「ママーだっこしてー」。
泣きながら訴える幼かった息子に私は幾度となく「どうしてそう赤ちゃんなの!?」と叱りつけたことか。
どうしてもっと余裕を持ってやさしくできなかったのかと今思うと、胸がキリキリ痛み涙が出る。
コドモは親を選んで生まれてくるという。
私は息子にも娘にも選ばれた、と思う。
人間として未熟な私を成長させるために息子は私のもとにきたのだろうか。
そして私と息子を助けるために娘は私たちのもとへ来たのだろうか。
コドモたちからたくさんのことをもらい私は今ここにいる。
小学生の息子と過ごすのはあと半年になった。
あと少しでコドモたちは私の腕の中から確実に出て行くのだと思うとき・・・まだやわらかいコドモたちのぬくもりは、とても優しく温かく神様がくださった宝物のように思える。
少年は青年になる。
「いつまでもコドモに縛られて自分の自由にならない!」と少しでも早く手から離れてほしかったのに、その時期が確実に近くに来ていると思うと戸惑いを感じてしまう。
しっかりと私はコドモたちを手放してあげられるだろうか。
少年との日々もあと少しになった。
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