秋を探しに

2003年10月10日 日常
かわいい1年生たちと大きな公園に行く。

生活科「秋をさがしに」の単元の校外学習の引率である。
とはいっても公園にどんぐりや落ち葉拾いに行きお弁当を食べてくるプチ遠足みたいなもの。
行き帰りに車にはねられたり迷子になったりしないよう、子供たちがもれなく担任の先生たちに付いていくよう気を配るのが役割。

空は青く風は少しひんやり。
色とりどりのリュックを背負った1年生の集団は、紅白帽の丸い頭もかわいらしくとんだりはねたり。
おしゃべりすると車や自転車に気をつけられなくなるから先生達には「しゃべらずだまってあるきなさい」と出かける前に注意されている。
が、これから大きな公園に行ってお友達とどんぐり拾いをしてお弁当を食べるのだ、それは無理と言うものだろう。

公園到着。「秋」を探す。
林の中は土と枯葉のにおいでいっぱい。
あちこちにどんぐりや赤い実、黒い実などが落ちている。
色づき始めた黄色い葉っぱも落ちている。
子供たちはそれぞれに歓声をあげ思い思いに「秋」を収穫する。
「せんせー、みてみてー」「ほらふとっちょどんぐりだよ〜」
「ぼうしつきのみどりどんぐりもあるよ」
かわいい1年生たちが笑顔いっぱいで見せにくる。

子供たちといっしょに林の奥のほうへ枝振りのいい赤い実を探しに入っていく。
より形のいい大きいつやつやしたどんぐりや実がみつかるとただ単純にうれしくて持って帰りたくなる。

うちのコドモたちも低学年の頃、よく学校帰りに石や枝や実を拾ってくることがあって「こんなの持ってきてどうすんの〜」とあきれたもんだが・・・・
どうすんのかはコドモも考えていなかっただろう。
ただ素敵なものを見つけたからうれしい、持って帰りたい、それだけだったんだろう。
大人の行動のように明確な目的とか効率を考えた行動とかそんなのとは別の世界のことなのだ。
気の利いたおかあさんだったら「あら素敵な石をよくみつけてきたね。きれいだね」なんて言えたんだろうな。
過ぎ去ればわかることはたくさんある。
子育てはホント、やり直しのきかないものだ。ごめんよ、息子&娘。

1年生たちは目線が低いので虫を見つけるのも得意。
コオロギやバッタ、カマキリもつかまえて「収穫」する。
虫もそのまま教室に持ち込むんだよなーどうなるんだろ?と一瞬思ったが、その先は考えるのはやめておく・・・。

なんだかこういう時間を過ごすのはひさしぶりだなあ〜と思う。
今では息子も娘もそれぞれ忙しくなり、きっと幼い頃にどんぐりを探した素敵なとろとろとした時間の流れのことは忘れてしまっただろう。

「忙しい忙しい」と呪文のように唱え「早く早く」と自分も周囲の人も追い立てる、「今」をないがしろにするそんな日常を送るようになるのは悲しいことだ。
毎日のスケジュールが埋まっていることが充実した生活だなんてそんな思い違いをしちゃいけない。
空の高さや空気のにおいを肌で感じ、季節の移り変わりに素直に感動できるような心の豊かさを持ちたいものだ。

「どんぐり拾いに行こうか?」なんて言ってもコドモたちは「えー・・・?」って言うだろう。
でも、「ベランダから見えるきれいな夕焼けをいっしょに見ようよ」ならつきあってくれるかな。

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