100円ショップで来年のカレンダーを買う。
去年「ロフト」で見て「いいなあー」と思っていた「月の満ち欠けがわかるカレンダー」だ。
ロフト価格1400円のものにはオシャレさで及ばないが、ちゃんと毎日の月の満ち欠けがわかるよう描かれている。

スケジュール帳はともかく壁にかけるカレンダーはわざわざ買わなくてももらえるもので十分、と思っている。
というより貧乏性なので、あるものを使わないでわざわざ買うことがもったいないような気になる。
部屋数もそうあるわけでもなくカレンダーなんてそんなにいらないし。
でも去年ロフトで見て「毎日の月の満ち欠けがわかるんだあ。ロマンティック・・・」と思ったのがコレ。
年末だったんで買わないでしまったが100円ショップで出会ったのもなんかの縁でしょう。

カレンダーを見ると「十六夜(いざよい)」「立待月(たちまちづき)」などの言葉が目に飛び込み、ロマンの世界に誘う。
これらの美しい言葉は満月から少しずつ月の出が遅くなり形も欠けていく月の呼び名だ。

満月(15日目の月)は日没時に太陽とちょうど反対側の位置で昇ってくる。
翌日16日目の月は日没よりやや遅れて昇ってくるため、ためらっているという意味で「十六夜(いざよい)」。
翌17日はさらに月の出は遅くなるが、日没後立って待っているうちに昇ってくるので「立待月(たちまちづき)」。
日が経つにつれてさらに月が現れるのは遅くなり、18日目は座って待つ「居待月(ゐまちづき)」、19日目は寝ながら待つ「寝待ち月・臥し待ち月」、20日目は夜更けまで待って見た「更待月(ふけまちづき)」。
美しい言葉である。

私は古典が好きで専攻も古文だった。
「ライオン先生」(月10・竹中直人主演)で高校生が「古典なんか勉強してなんになるんだよー!」と言っていたが、「さもありなん」である。
実社会において何の役にも立たないだろう。
でもね、「古典はロマン」なんだよ。

毎日の月が欠けて行く様子をこんなに美しい言葉で呼ぶなんて、昔の人々はよほど月の出が待ち遠しかったんだろうなあと思う。
今のような夜の電気がない時代。
平安の貴族たちは、決して手の届くことのない天上界に輝く月にどんな幻想的な思いを抱いたのだろうか。
古来より日本人が持ち続けてきた「もののあはれ」の精神を月によって思い出す。

本日10月16日は月齢20の更待月(ふけまちづき)。
月の出は午後8時40分。現代ならば夜はこれからというこの夜9時にもならない時間。
それを「夜更け」とし、月の出を今か今かと待ったのだなあと思うとき、平安の貴族のお姫様の気持ちに少しだけリンクできるような気がする。

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