現実とバーチャル

2003年10月21日 日常
「スパイキッズ3D ゲームオーバー」を観て思う。

映画の中でジュニが入っていったバーチャル世界に、ジュニと同じようなバーチャル上の少年少女が出てくる。
その女の子にジュニが恋しそうになるが、おねえさんのカルメンが言う。
「バーチャルの世界の女の子に恋しちゃいけないわ」(なんかこんなようなセリフ)。
その少女には実体がないのだ。

少年たちも「頭脳明晰な少年」や「クールな少年」でサイバー風スーツも似合ってるのだが、現実世界で再会したら生活感たっぷりのただのオタクっぽい普通の人たち。
なーんかこれって笑える。

子供たちに対して「ゲームはバーチャルだから現実世界とは区別しなくちゃいけないよ」とオトナたちは警告する。
でもハンドルネームと自分の勝手な想像で、バーチャルの世界で出会った架空の相手像を作り上げてしまうオトナもいるのだ。
ネット恋愛なんてまさにそれでしょ。
自分が勝手に作り上げた自分に都合のいい虚像に恋してるだけ。
現実とバーチャルは違うものなのに。

私はゲーム、特にRPGが好きで「ドラクエ」「ファイナルファンタジー」シリーズはずっとプレイしていた。
最近はめっきり機械に弱くなったことと時間がないってことでご無沙汰してるが、それこそ寝食を惜しんで毎夜毎夜、冒険の旅に出たものだ。

「ファイナルファンタジー」のネットゲームが出ると聞いたとき「やりたいっっ!」とワクワクしたが、ただでさえゲームをすると時間がたつのがあっという間でそれ以外のことができなくなる。
ネットゲームなんかにはまったら生活が破綻すると思い購入をやめた経緯がある。

ゲームでもパソでもバーチャルの世界に繋がっている人は、そこには実体がない・・・と私は思う。
息子がゲームしていたらそこにあるのは「息子の抜け殻」。
電車などでケータイメールしている人がいたらそこにいるのはやはり「その人の抜け殻」。
気持ちはバーチャルの世界へ行ってしまっている。
だから話しかけてもすぐに返事などこない。

私がこうしてパソの前にいるときもこれは「抜け殻」なのか。
書き始めたらキリのいいところまで文章は書きたい。
だいありーは自分だけの世界なのでそうでもないが、ネットゲームやメッセなど相手のあることをバーチャルの世界でやってしまうと完全に気持ちは「そっちの住人」になってしまう。
周囲から話しかけられても「今忙しいから!!!」って冷たく言ってしまいそうだ。
経験上そうわかっているから私はコドモたちやダンナがいるときはパソはしない。

逆に言えば生活とか人生とかそういうしがらみから逃れられるのがバーチャルかなとも言える。
これからの子供たちはもちろん大人たちだって、この便利な魔法の箱(バーチャル空間)に飲み込まれることなく、つきあっていくことが課題になるんだろうな。

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