その1「エースをねらえ!」
原作はかなり思い入れのある漫画なので、ドラマ化は素直にうれしい。
30年の時を越えて初恋の人に会えるようなものだ。
だからこそドラマを見る前に、そのうれしさをまず大切にしてケチをつけることなく「素直に見よう」と思う。
初恋の人がどんなに変なおやぢになっていたとしてもこうして不思議なめぐり合わせがあって再会できる、そのうれしさ。

ま、お蝶夫人はやっぱり今の平成の世にどうよと思うし、藤堂さんも尾崎さんもオーラが出てなくて違うんだよなあ〜とは思う。
何より私の初恋の人尾崎さんは、藤堂さんの親友でさわやかスポーツマンのはずだが。
ちょいと猫背でヤンキー入っていたなあ・・・。

それでも、ドラマに流れるあの「空気」は、わくわくどきどきしながら週刊マーガレットの「エースをねらえ!」のページを真っ先に開いた小学生の私に引き戻した。
当時、毎週毎週発売日を心待ちにして熱中して読んだそのときの情景や気持ちまでもがよみがえる。

怪我したひろみを藤堂さんが自転車で送ってくれたあとのセリフ。
「きみ、テニスをやめるなよ。テニスはいいよ。じゃ、失敬」。
くあーーーーっ。これだよっこれ!
小学生の私もこのセリフにクラクラしたもんだったが、不惑を過ぎた私もクラクラしたよ。
もうこうなったら吉沢悠がやろうが誰がやろうが同じだっっ。
藤堂さんは私にとってはやっぱり「永遠のあこがれの先輩・藤堂さん」なのだよ。
次回、緑川蘭子のキャラに期待。

その2「ファイヤーボーイズ・め組の大吾」
原作が大人気漫画だとは知らず。
火曜日9時のボーイズつながりってことで見る。
ウォーターボーイズのさわやかな感動をもう一度!ってことで見た人は私だけではないだろう。
「ウォーターボーイズ」と関連づけるのもそもそも違うだろうとも思うが・・・
たくさんの若い男の子の水着姿がおがめた前作と違って「ボーイズ」じゃないじゃん!
若いのは二人だけじゃん!

燃え盛る火事の中、一刻も早く救助しなくちゃいけない場面でしんみりと語っていたり、15キロの骨をも砕く放水を受けて平気だったり(命中したっつーのもすごい)、「アリかよ?」なのだが、ラストには強引になんだかいい話を見たかなあって気分に盛り上げられている・・・。
とりあえず山田くんの熱さに「おいおい」とつっこめるうちはいいけど、あまりにも設定に無理がありすぎだと一気にさめちゃうかもね。

その3「僕と彼女と彼女の生きる道」
ドラマってのはそもそもおもしろかったり楽しかったり興味深かったりするから見るもの。
なのになんでムカつきながら見なくちゃなんないの?ってほど、草薙パパの言動には嫌な気分になる。
というのも「あーダンナもこうだな」と思うから。うちもコドモ残されたら同じだろう。
私の実家が見るに見かねてコドモを引き取ることになりダンナはホッとするのが目に見えている。

第一回のとき、「人間は何かを守るために何かを切り捨てて生きている。自分は何を守ろうとしているんだろう」という草薙パパのセリフがあった。
草薙パパもうちのダンナも「自分の生き方」を守るために「子供」を切り捨てる・・のか。

ダンナに言わせれば「違うんだな。子供を守るためにはまず金がなくちゃいけない。そのためには仕事しなくちゃいけない。
だから子供たちには自分でなんとかしてもらって仕事しなくちゃいけない。仕事は生活のためだし子供のためでもある」。
・・・結局コドモはほおっておかれるわけだ。
それを聞いて絶対に自分に何かがあってコドモたちだけ残すわけにはいかないと思う。

草薙パパが今後どうなるのか。
これで「良きパパ」になるなんていう安易な展開ならウソだなーと思う。

「白い巨塔」「新撰組!」についても書こうと思ったが文字数が多くなるのでまたの機会に。

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