「100万回の言い訳」
2004年2月7日 読書
「100万回の言い訳」唯川 恵 を読む。
本は好きだが、保管する場所もないので特にハードカバーは借りて読む派。
この本は特に読みたいというわけでもなかったがたまたま主婦友から借りたので。
本文より。
「多くの夫婦がそうであるように、生活は互いを緩やかに去勢していく。
たぷんそのほうが暮らすのに適しているからだ。
くつろげる場所と欲情する場所が同じなんて考えただけで落ち着かない。
生活は手ごわい。
電気代の数字や、排水管が詰まったトイレや、流しに出しっぱなしになっている茶碗が相手なのだから」。
「時折、人はいっしょに暮らし、生活をともにしてこそ絆は深まるというようなことを口にする。
けれども本当にそうだろうか。
むしろ生活ほど二人のいちばん柔らかく大切なところを容赦なく踏みしだいてゆくものはないのではないだろうか。
そうでなければ、毎年右上がりに数字を伸ばしていくあのおびただしい離婚件数は何なのだ」。
「若いころ、恋がはばむものが現れても最終的には自分たちの気持ちだけで乗り越えられると信じていた。
けれども年をとりそれぞれの立場や状況を持つようになると、気持ちはいつも順送りで後回しにされていく」。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
本を読んでいて、自分がふだんから思っていることがうまく活字で表現してあると「ああ。これこれ」ととてもうれしくなる。
上記の表現がまさにそう。
「恋愛すると結婚したくなり、結婚すると恋愛したくなる」というキャッチコピーが目を引くが・・・。
こんな表現は本文中にはない。
筆者が言いたかったのはこれともまた違うだろう。
このコピーの印象が強いために不倫話かという先入観で読んでしまうが、「夫婦の意味を問いかける」のがテーマだろう。
安易に「結婚すると恋愛したくなる」と表現して読者の気を引くのはなんだか違うように思う。
結婚とは確かに「生活」だ。
「生活は互いを緩やかに去勢していく」という表現は巧い。
まあ、ひとつの出来事を男の側と女の側から描写しているので、違うとらえ方でこんなふうに物事はすすむんだなあという点ではおもしろく読めた。
本は好きだが、保管する場所もないので特にハードカバーは借りて読む派。
この本は特に読みたいというわけでもなかったがたまたま主婦友から借りたので。
本文より。
「多くの夫婦がそうであるように、生活は互いを緩やかに去勢していく。
たぷんそのほうが暮らすのに適しているからだ。
くつろげる場所と欲情する場所が同じなんて考えただけで落ち着かない。
生活は手ごわい。
電気代の数字や、排水管が詰まったトイレや、流しに出しっぱなしになっている茶碗が相手なのだから」。
「時折、人はいっしょに暮らし、生活をともにしてこそ絆は深まるというようなことを口にする。
けれども本当にそうだろうか。
むしろ生活ほど二人のいちばん柔らかく大切なところを容赦なく踏みしだいてゆくものはないのではないだろうか。
そうでなければ、毎年右上がりに数字を伸ばしていくあのおびただしい離婚件数は何なのだ」。
「若いころ、恋がはばむものが現れても最終的には自分たちの気持ちだけで乗り越えられると信じていた。
けれども年をとりそれぞれの立場や状況を持つようになると、気持ちはいつも順送りで後回しにされていく」。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
本を読んでいて、自分がふだんから思っていることがうまく活字で表現してあると「ああ。これこれ」ととてもうれしくなる。
上記の表現がまさにそう。
「恋愛すると結婚したくなり、結婚すると恋愛したくなる」というキャッチコピーが目を引くが・・・。
こんな表現は本文中にはない。
筆者が言いたかったのはこれともまた違うだろう。
このコピーの印象が強いために不倫話かという先入観で読んでしまうが、「夫婦の意味を問いかける」のがテーマだろう。
安易に「結婚すると恋愛したくなる」と表現して読者の気を引くのはなんだか違うように思う。
結婚とは確かに「生活」だ。
「生活は互いを緩やかに去勢していく」という表現は巧い。
まあ、ひとつの出来事を男の側と女の側から描写しているので、違うとらえ方でこんなふうに物事はすすむんだなあという点ではおもしろく読めた。
コメント