職場の小学校の校外学習で1年生たちといっしょに市立博物館に行く。

目的は「昔あそび体験」。
博物館には「昔あそび」が体験できるコーナーがあり、市内小学校は順番にここを訪れ職員の方々に説明してもらったり遊んでもらったりする。

「羽子板」「コマ」「凧揚げ」が屋外で、「竹とんぼ」「お手玉」「けんだま」「だるまおとし」「あやとり」などが屋内で体験できる。
子供たちはいくつかのグループにわかれて順番にそれぞれのコーナーで昔あそびをする。
ブリキのおもちゃや竹細工のおもちゃ、すごろくやカルタなども置いてあり時間があれば自由に遊べる。

ここで私も博物館の職員の方々のように、上手にコマを回せたりお手玉やけんだまを手さばきも鮮やかにあやつることができたら一気に株もあがろうが・・・。
残念ながら私の子供時代は高度経済成長の昭和40年代。
外あそびは大人数での缶けりや馬とび(馬のり?)、ゴムとび。
屋内の遊びはリカちゃんなどのお人形ごっこやブロックあそびなど。
リアルタイムでコマやお手玉をやった時代ではない。
だからできない。
コマなんてひもの巻き付け方も知らなかったし、けんだまやお手玉は小学校1年生レベルである。

逆に、今のコドモたちは1、2年の「生活科」で昔あそびを「学習」している。
さんすうやこくごと同じく学校の勉強の時間を使って「学習」するのである。
だからうちのコドモたちは私よりもだんぜんお手玉もけんだまもじょうず。
あやとりだって低学年のころの冬の休み時間に爆発的にはやったということで、かなりハイレベルな「5段バシゴ」とか「亀」とか「月」とかも何も見ないでできる。
今の若い先生たちもそれに対応すべく「昔あそび」はひととおり「勉強」してきているので、1年生の○先生なんてジャグラー並みに4個のお手玉をくるくる回す技を披露して喝采をあびていた。

あそびなのに「体験」とか「学習」とかいう言葉を使うのもなんとなく変なハナシ。
でも・・・これらの「昔あそび」は意識してこれからの時代に伝えていかないと失われてしまうものなのだろう。
そして今まさに博物館の体験コーナーでしかできないことになってしまっているという現実。
博物館には「昔の道具」も展示してあり、別の学校の3年生が「石うす」で大豆をひいてキナコにしたり「洗濯板とたらい」で洗濯をしたり、という「体験」をしていた。

博物館には「再現コーナー」もある。
思わず見入ってしまったのが「昭和40年代の食卓再現コーナー」。
ちゃぶ台にホウレンソウのおひたしや焼きサンマなどがのっている。
なつかしいどピンクのプラスチックお子様用はしには昔のパーマンの絵。
食器棚には暑い夏の日にお店でカキ氷を食べたような上品なすりガラスの足つき器。
テレビにはガチャガチャのチャンネルと4本脚がつき、壁には今にも鳴り出しそうな振り子時計。
電話はダイヤル黒電話。
横っちょにはローラーの脱水機がついた洗濯機も。

そして「昔の駄菓子屋さん再現コーナー」。
ところ狭しと置かれている色とりどりの飴玉や水あめが入っている大きなビン。
くじのついたイチゴ飴や日光写真、うつし絵。
昔風の絵柄の塗り絵や着せ替え。
リリアンやメンコ。
当時のものらしいそれらのモノがいい具合に煤けて古びて裸電球に照らされているのだ。
ああ・・・・思わずトリップしていた私はクレヨンしんちゃん「オトナ帝国の逆襲」のヒロシ状態であった。

時間がなくてよく見られなかったが、「昔の学校再現コーナー」もあり、赤いつりひも付きプリーツスカート(背中バッテン)の頃の私が勉強していたような二人分つながった木の机と木のいすもあった。

なにはともあれ、自分が生きてきた時代というのはすでに「博物館」に展示されるほど昔のものなのだ。
今年の中3生が卒業すると昭和生まれは小中学校にはいなくなる。
あと何年かすれば平成生まれの若者たちが次の世代の親ともなる時代になるのだ。
昭和は遠くなりにけり・・・である。

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索