「蹴りたい背中」綿矢りさ を読む。
冒頭。
「さびしさは鳴る。
耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締め付けるから、その音がせめて周囲には聞こえないように、私はプリントを千切る」。
出だしからして上手い、と思う。そう。さびしさは鳴る、んだ。
文中より。
「どうしてそんなに薄まりたがるんだろう。
同じ溶液に浸かってぐったり安心して、他人と飽和することはそんなに心地よいものなんだろうか。
私は余り者も嫌だけどグループはもっと嫌だ。
できた瞬間から繕わなければいけない。不毛なものだから」。
「グループのほかの子たちが私を囲んで話をしようとする。
きっと良心からだろう。でも彼らには薄い膜が張られている。
笑顔や絡まる視線などでちょっとずつ張られていく膜だ。
膜は薄くて透けているのにゴム製で、私がおそるおそる手を伸ばすとやさしい弾力で押し返す。
多分無意識のうちに。
そして押し返された後のほうが、私は誰とも喋らなかった時よりも、より完璧に一人になる」。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
言葉の使い方=表現の仕方、が上手い。
「グループ」を「他人と飽和すること」とし、「薄い膜が張られている」と表現する。
グループに微妙に溶け込めない主人公の気持ちに共感できるのは、私も同じような心の動きがあるから。
以前読んだこの作者の「インストール」はネット風俗サイトで稼ぐ女子高生と小学生という興味深い題材ではあるものの若い子の文章そのままだった。
それから見るととても表現が上手になったなあと思う。
オタク少年「にな川くん」の描写、にな川くんとオリチャンとの関わり、そして主人公がにな川くんの背中を「蹴りたい」と思う気持ち・・・読みやすいので一気に読んだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
職場の同僚から話題の2冊を借りる。
話題の本なので読んでみたいが自分で買おうとは思わなかったし、かといって「文芸春秋」で2作品一気読み、というのも違う気がした。
本は装丁まで含めて「作品」であるように思うので。
「芥川賞」にどんな作風のものが「ふさわしい」のかはよくわからない。
が、あの太宰治大先生が芥川賞選考委員だった川端康成大先生に「なにとぞ私に与へて下さい」と手紙を書いた・・・という逸話からしてかなりの格式のものと想像できる。
その芥川賞としてこの「蹴りたい背中」「蛇にピアス」はどうなのかと論争されているのも確かにそうだろう。
人間を描いているか、深みや重みや広がりは、と問われれば・・・「芥川賞」のくくりに入れるのはどうか。
が、ひとつの作品として読めば「蹴りたい背中」はたしかに「読ませる」勢いがある。
「蛇にピアス」はまだ読んでいないが、もっと勢いを感じる。そちらは後日。
冒頭。
「さびしさは鳴る。
耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締め付けるから、その音がせめて周囲には聞こえないように、私はプリントを千切る」。
出だしからして上手い、と思う。そう。さびしさは鳴る、んだ。
文中より。
「どうしてそんなに薄まりたがるんだろう。
同じ溶液に浸かってぐったり安心して、他人と飽和することはそんなに心地よいものなんだろうか。
私は余り者も嫌だけどグループはもっと嫌だ。
できた瞬間から繕わなければいけない。不毛なものだから」。
「グループのほかの子たちが私を囲んで話をしようとする。
きっと良心からだろう。でも彼らには薄い膜が張られている。
笑顔や絡まる視線などでちょっとずつ張られていく膜だ。
膜は薄くて透けているのにゴム製で、私がおそるおそる手を伸ばすとやさしい弾力で押し返す。
多分無意識のうちに。
そして押し返された後のほうが、私は誰とも喋らなかった時よりも、より完璧に一人になる」。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
言葉の使い方=表現の仕方、が上手い。
「グループ」を「他人と飽和すること」とし、「薄い膜が張られている」と表現する。
グループに微妙に溶け込めない主人公の気持ちに共感できるのは、私も同じような心の動きがあるから。
以前読んだこの作者の「インストール」はネット風俗サイトで稼ぐ女子高生と小学生という興味深い題材ではあるものの若い子の文章そのままだった。
それから見るととても表現が上手になったなあと思う。
オタク少年「にな川くん」の描写、にな川くんとオリチャンとの関わり、そして主人公がにな川くんの背中を「蹴りたい」と思う気持ち・・・読みやすいので一気に読んだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
職場の同僚から話題の2冊を借りる。
話題の本なので読んでみたいが自分で買おうとは思わなかったし、かといって「文芸春秋」で2作品一気読み、というのも違う気がした。
本は装丁まで含めて「作品」であるように思うので。
「芥川賞」にどんな作風のものが「ふさわしい」のかはよくわからない。
が、あの太宰治大先生が芥川賞選考委員だった川端康成大先生に「なにとぞ私に与へて下さい」と手紙を書いた・・・という逸話からしてかなりの格式のものと想像できる。
その芥川賞としてこの「蹴りたい背中」「蛇にピアス」はどうなのかと論争されているのも確かにそうだろう。
人間を描いているか、深みや重みや広がりは、と問われれば・・・「芥川賞」のくくりに入れるのはどうか。
が、ひとつの作品として読めば「蹴りたい背中」はたしかに「読ませる」勢いがある。
「蛇にピアス」はまだ読んでいないが、もっと勢いを感じる。そちらは後日。
コメント