息子の小学校の卒業式。

桜のつぼみもほころび始めたというのにあいにくの天気。
ババシャツを着込み背中にはカイロを張り、足元も寒いので足先にもカイロを入れていく。
ポケットに涙をふくためのハンカチもしのばせる。

人前で涙を見せるのはキャラではない。
が、先週のサッカーチームの卒団式ではまんまとコドモたちの涙にやられてしまった。
普段あまり喜怒哀楽のない息子もこのときは涙をぬぐっていた。
心が動けば涙も出るし、「泣いちゃったなー」と思いながらも達成感(?)もあるというもの。
なんだかんだ言って泣ける場面ではきっちりと泣かせていただきたいのだ。

息子の学校はマンモス校のためかどの行事もそのへんの演出がイマイチ。
あっさりしすぎているというか、カラッとしているというか。

泣きのツボは「思い出」と「音楽」だろう。
低学年のころを振り返って「そういえばそういうこともあったね」と思えば我が子の成長にしみじみする。
音楽は人によって「ツボ」はさまざまだろうが、私の場合は「ビリーブ」や「ありがとうさようなら」なんて前奏を聴いただけで涙腺がゆるむ。
泣ける場面では泣いてやるーと思っていたのに、とどこおりなく式は終了し、卒業生たちは拍手に送られ退場してしまった。
まあ、あいさつも歌もとても立派だったし、よびかけもなかなか凝っていた。

卒業おめでとう。息子。
泣き虫で甘えんぼは今も変わらないけど、ずいぶんおにいさんになったね。
これからも母はいつでも応援するからね。

息子の大きすぎる紺ブレも心配したほどでもなかった。
式だけのためにわざわざ買うのはもったいないと思ったので、中学の制服のブレザーを着せたのだった。
2月のころは手の甲が半分隠れるくらい・・と思っていたが、それから伸びたのだろうか。

「植物は器の大きさに育つ」と言う。
小さい植木鉢に植えればそれなりの大きさだが、大きい植木鉢に植えれば大きく育つ。
地植えすればもっと大きく育つ。
人間も大きめの服を着ていると体がそれに合うようになるのかもしれないな。

そう思ってはっとする。
今回私は卒業式用のスーツを新しく買った。
試着するときに、最近ちょっとヤバイかなーと思っていたのでひとつ上のサイズのものも一応着てみた。
着比べて「今までのサイズでイケる」と私は思ったのに、店員さんが「ミセスの方はゆったりめの方が」とひとつ上のをすすめるままにそちらを購入した。
その時点ではちょっとゆるめかなと思ったのに、きょうはまるであつらえたようにぴったりになっている・・・。
私も「器の大きさに」育ったのか。
もう元には戻れない予感がする。ううー。

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索