バタバタとあっちもこっちも忙しい新学期。
この時期、主婦仲間と会うと必ず話題になるのは「子供の新しい担任の先生」。
「先生誰になった?」から始まる情報が飛び交う。
「あっ良かったね。『当たり』だよ」。
「えー。それって『ハズレ』。サイアク」。
「前の学校で変なうわさがあって飛ばされてきたらしいよ」。
「なになにっ」。
真偽のほどは確かではないけれど、親にとってはどんな情報も貴重で、そのあやしい情報がさらに尾ひれをつけて飛び交っている。
「当たりハズレ」。
適切ではない言い方だとは思うが、確かにそれはある。
私がいっしょに職場で仕事をした先生たちの中にも「こんな先生には子供の担任持ってもらいたくない」という先生たちはいる。
子供の話をしっかり受け止めない先生。
厳しすぎて遊びを許さない先生。
脱線しすぎて肝心の勉強がおろそかになる先生。
先生たちの中でうまくやっていけない先生・・・。
そんな先生たちもクラス担任を持つ現実。
先生たちは忙しすぎて他の先生にはあまりヘルプできない現実。
自分のクラスがあやしくなっても「助けて」と言えない現実・・。
「学校」という場を親の目や子供の目、元現場にいた者の目、現在の補助的立場の目など、さまざまな角度から見ると、いろんなことが見えてくる。
でも、勝手に親たちにあれこれ批判されたりして「ハズレだよー・・・」なんてため息つかれたりしたら、私だったら確実にガックリ落ち込むだろうな。
先生たちはそんなウワサなどものともせずに、新学期のあわただしい嵐の中、なんでもないという顔をしてしっかりと地に足をつけて立ち、40人弱の子供たちをたばねていくのだ。
錯綜するスケジュール。怒涛のような事務処理。
そんな中でスタートする新しいクラスを率いていく。
ものすごいエネルギーだと思う。
私には絶対マネできない。
そして子供たちも前向き。
毎年4月になるたびに新しいスタートラインに立つ子供たち。
新学期になるたびに「よしがんばるぞ!」という気持ちになれるなんてすごいことだと思う。
今度はこれができるようになりたいと新しく目標を立てる。
今まで知らなかった子とどんどん友達になる。
その前向きなエネルギーは私なんて足元にも及ばない。
年をとるにつれて「変化に柔軟に対応していく力」が衰えているなあと感じる。
停滞を良しとしてしまう自分がいる。
担任の先生が「当たり」か「ハズレ」かなんていうのは一面的な見方。
ある人にとっては当たりでも、別の人にとってはハズレかもしれない。
「今度の先生ハズレらしいよ」と、親の一面的な見方で子供を惑わすことだけは子供のためにもならないだろう。
子供は親と違って変化に柔軟だから、新しい先生やクラスの子たちともうまくあわせて行くエネルギーを持っているから。
先生も親も子も人間。
なんといっても相性は大切だから親にとっても子供にとってもドキドキドン!な新学期。
その新学期のドキドキでワクワクな新鮮な気持ちを、毎年4月になるたび感じられる私はしあわせなのかもしれない。
☆ハム子とその子供たちの写真、ハム子の子供時代の写真追加しました。
この時期、主婦仲間と会うと必ず話題になるのは「子供の新しい担任の先生」。
「先生誰になった?」から始まる情報が飛び交う。
「あっ良かったね。『当たり』だよ」。
「えー。それって『ハズレ』。サイアク」。
「前の学校で変なうわさがあって飛ばされてきたらしいよ」。
「なになにっ」。
真偽のほどは確かではないけれど、親にとってはどんな情報も貴重で、そのあやしい情報がさらに尾ひれをつけて飛び交っている。
「当たりハズレ」。
適切ではない言い方だとは思うが、確かにそれはある。
私がいっしょに職場で仕事をした先生たちの中にも「こんな先生には子供の担任持ってもらいたくない」という先生たちはいる。
子供の話をしっかり受け止めない先生。
厳しすぎて遊びを許さない先生。
脱線しすぎて肝心の勉強がおろそかになる先生。
先生たちの中でうまくやっていけない先生・・・。
そんな先生たちもクラス担任を持つ現実。
先生たちは忙しすぎて他の先生にはあまりヘルプできない現実。
自分のクラスがあやしくなっても「助けて」と言えない現実・・。
「学校」という場を親の目や子供の目、元現場にいた者の目、現在の補助的立場の目など、さまざまな角度から見ると、いろんなことが見えてくる。
でも、勝手に親たちにあれこれ批判されたりして「ハズレだよー・・・」なんてため息つかれたりしたら、私だったら確実にガックリ落ち込むだろうな。
先生たちはそんなウワサなどものともせずに、新学期のあわただしい嵐の中、なんでもないという顔をしてしっかりと地に足をつけて立ち、40人弱の子供たちをたばねていくのだ。
錯綜するスケジュール。怒涛のような事務処理。
そんな中でスタートする新しいクラスを率いていく。
ものすごいエネルギーだと思う。
私には絶対マネできない。
そして子供たちも前向き。
毎年4月になるたびに新しいスタートラインに立つ子供たち。
新学期になるたびに「よしがんばるぞ!」という気持ちになれるなんてすごいことだと思う。
今度はこれができるようになりたいと新しく目標を立てる。
今まで知らなかった子とどんどん友達になる。
その前向きなエネルギーは私なんて足元にも及ばない。
年をとるにつれて「変化に柔軟に対応していく力」が衰えているなあと感じる。
停滞を良しとしてしまう自分がいる。
担任の先生が「当たり」か「ハズレ」かなんていうのは一面的な見方。
ある人にとっては当たりでも、別の人にとってはハズレかもしれない。
「今度の先生ハズレらしいよ」と、親の一面的な見方で子供を惑わすことだけは子供のためにもならないだろう。
子供は親と違って変化に柔軟だから、新しい先生やクラスの子たちともうまくあわせて行くエネルギーを持っているから。
先生も親も子も人間。
なんといっても相性は大切だから親にとっても子供にとってもドキドキドン!な新学期。
その新学期のドキドキでワクワクな新鮮な気持ちを、毎年4月になるたび感じられる私はしあわせなのかもしれない。
☆ハム子とその子供たちの写真、ハム子の子供時代の写真追加しました。
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