4月から通った訪問介護員講座の通学部分が終了。
あとは実習4日間を残すのみ。
仕事に行きながら、そしてPTA役員もしながら、だったのでとんでもなく忙しい2ヶ月間だった。
講座はとにかく出席すればなんとかなるのだが、テキストを読んで書いたレポートも出さなければいけない。
コドモたちの学校・習い事関係の参観・懇談会・見学もある。
スケジュール表とにらめっこの毎日だった。
主婦仲間とのつきあいはちょっとごめんなさいさせてもらったことも多かったし、映画や本、けっきょく春ドラマも忙しくてほとんど見ないでしまった。
整理しようと出していたアルバムや子供の小さいころのビデオも3月からかわらず積み重ねてある。
時間の過ぎ去るのがこんなに早く感じたこともない。
それでも目標にしていた「夏休み前の資格取得」は達成できそうでうれしい。
よし!やった!という達成感がある。
こんなことがあったので実感としてわかる言葉がある。
「人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない。
何かを得るためにはそれと同等の代価が必要になる。
それが錬金術における等価交換の原則だ」。
コドモたちに人気のアニメ「鋼の錬金術師」のオープニングで流れる言葉。
この言葉自体はアニメが始まった去年から何度も耳にしていたのだけれど。
たまたま息子の中学の学年通信に先生がこの言葉を引用していたのを見て「その通りだなあ」と思う。
学年通信では、定期テストに向けて「努力した者はそれに見合った成績を修めることができる」といった感じで使っていた。
「楽して何かを得ようとしてもだめだよ。
何かを手に入れようとしたらそれだけ努力しなきゃ」。
そんな感じ。
自分も今回、実感としてこれはよくわかった。
時間とお金と引き換えに資格を手に入れられたので、忙しくて大変だったけどまあ良かった、ということで。
なんだかよくわからなかった介護保険制度のしくみがだいたいわかったことも良かった。
洗髪・清拭(体を拭く)・姿勢交換・移動や車椅子への移乗・衣服着脱・食事の介助・オムツ交換などなどは、実際に実習でやってみたので、今後も家庭内でも介護を必要とするときはやれそう。
親の介護のときも、保険のしくみや介護の技術など知っていればそれだけ役に立つだろう。
講座は、子供の手が離れたオバサンが多いが、まだ高校出たばかりとか70近いおばあちゃんとか、もちろん若い男性も定年退職したオッサンもいる。
一枚着た上からであっても、ぜんぜん知らない人たちと服をぬがせっこしたり、髪の洗いっこしたり、オムツ交換し合ったり、食事の食べさせっこしたり、体全体密着させてベッドから車椅子への移乗などする。
はじめは「いやだなー。やりたくないなー」と思っていた。
次の日に「洗髪実習」なんてあると、「うわー行きたくないなあ」なんて暗い気持ちになったりしたのに、行けば教室全体がけっこう和気あいあいのノリなので、なんだか自然にできてしまうのが不思議。
ぜんぜん知らない人同士だからかえってよかったのかも。
ちょっぴり足を踏み入れた福祉の世界は奥が深く、老人介護ばかりではなく全身障害や視覚障害・知的障害の人々も支援の手を待っているという。
成人の人も子供たちも。
なんだか「自分が世のため人のために役立ちそう」な気持ちにもなってくる。
人手はこれからますます必要になるらしいし。
今までとは違った別の世界を見られそうでうれしい。
あとは実習4日間を残すのみ。
仕事に行きながら、そしてPTA役員もしながら、だったのでとんでもなく忙しい2ヶ月間だった。
講座はとにかく出席すればなんとかなるのだが、テキストを読んで書いたレポートも出さなければいけない。
コドモたちの学校・習い事関係の参観・懇談会・見学もある。
スケジュール表とにらめっこの毎日だった。
主婦仲間とのつきあいはちょっとごめんなさいさせてもらったことも多かったし、映画や本、けっきょく春ドラマも忙しくてほとんど見ないでしまった。
整理しようと出していたアルバムや子供の小さいころのビデオも3月からかわらず積み重ねてある。
時間の過ぎ去るのがこんなに早く感じたこともない。
それでも目標にしていた「夏休み前の資格取得」は達成できそうでうれしい。
よし!やった!という達成感がある。
こんなことがあったので実感としてわかる言葉がある。
「人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない。
何かを得るためにはそれと同等の代価が必要になる。
それが錬金術における等価交換の原則だ」。
コドモたちに人気のアニメ「鋼の錬金術師」のオープニングで流れる言葉。
この言葉自体はアニメが始まった去年から何度も耳にしていたのだけれど。
たまたま息子の中学の学年通信に先生がこの言葉を引用していたのを見て「その通りだなあ」と思う。
学年通信では、定期テストに向けて「努力した者はそれに見合った成績を修めることができる」といった感じで使っていた。
「楽して何かを得ようとしてもだめだよ。
何かを手に入れようとしたらそれだけ努力しなきゃ」。
そんな感じ。
自分も今回、実感としてこれはよくわかった。
時間とお金と引き換えに資格を手に入れられたので、忙しくて大変だったけどまあ良かった、ということで。
なんだかよくわからなかった介護保険制度のしくみがだいたいわかったことも良かった。
洗髪・清拭(体を拭く)・姿勢交換・移動や車椅子への移乗・衣服着脱・食事の介助・オムツ交換などなどは、実際に実習でやってみたので、今後も家庭内でも介護を必要とするときはやれそう。
親の介護のときも、保険のしくみや介護の技術など知っていればそれだけ役に立つだろう。
講座は、子供の手が離れたオバサンが多いが、まだ高校出たばかりとか70近いおばあちゃんとか、もちろん若い男性も定年退職したオッサンもいる。
一枚着た上からであっても、ぜんぜん知らない人たちと服をぬがせっこしたり、髪の洗いっこしたり、オムツ交換し合ったり、食事の食べさせっこしたり、体全体密着させてベッドから車椅子への移乗などする。
はじめは「いやだなー。やりたくないなー」と思っていた。
次の日に「洗髪実習」なんてあると、「うわー行きたくないなあ」なんて暗い気持ちになったりしたのに、行けば教室全体がけっこう和気あいあいのノリなので、なんだか自然にできてしまうのが不思議。
ぜんぜん知らない人同士だからかえってよかったのかも。
ちょっぴり足を踏み入れた福祉の世界は奥が深く、老人介護ばかりではなく全身障害や視覚障害・知的障害の人々も支援の手を待っているという。
成人の人も子供たちも。
なんだか「自分が世のため人のために役立ちそう」な気持ちにもなってくる。
人手はこれからますます必要になるらしいし。
今までとは違った別の世界を見られそうでうれしい。
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