近くに新しいパン屋がオープンする。

さっそく味をチェック。
そのパン屋さんはフランスパンメインで、明太子フランスやガーリックトーストなどフランスパンをアレンジしたものが多い。
フレンチトーストと書いてあるものもけっこう硬めの三角形。

おやつに食べた娘も「・・・ここってカリカリが売り?」と言うほど硬い。
さて、硬いパンを食べると思い出す話がある。
自分が小学生のときの道徳かなにかの教科書にのっていたお話なのだが・・・。

主人公の男性は必要に迫られて逃亡する。
出発するときおかあさんだったか誰かお世話になった人に「ハンカチにつつまれた一切れのフランスパン」を手渡される。
「食べるものがどうしてもない、というようないざというときまでこの包みを開けてはいけない」という言葉とともに。
主人公は服の内ポケットにその小さなフランスパンの包みをしまいこむ。

・・・くわしく覚えていないが、逃亡の旅は過酷なものでお金も底をつき精神的にも肉体的にも限界に近い行程だった。
寒さや飢えに襲われ、何度も主人公はそのフランスパンを食べてしまおうと思う。
が、「いざというときまで」というその言葉を守り、内ポケットの包みを手で触りフランスパンの固い感触を確かめることで「もう少しがんばろう」と歯をくいしばってつらさを乗り切る。

無事、目的地に到着したときに「自分がここまでがんばれたのはこのフランスパンのおかげだ」と感謝しながらその包みを開けると・・・・なんと包みの中身は木片であった!
主人公は涙を流し、「この木片が自分をささえてくれたのだ」とその木片に感謝した・・・というようなお話。

なにしろ30年前に読んだお話なので細部は違うかも。
でもこんなような話だった。
カリカリのパンを食べながら、娘にそんな話をし「こういうことってあるよね。実際は使わなくてもそれがあるだけで安心、っていうような。信じていればその気持ちだけで精神的に支えられる、っていうような」。

たとえば何、っていう具体例があればもっと説得力あるんだけどなーと思い「たとえばさー・・・」と考えていると・・・
娘、「学校帰る途中でうんこしたくなったときのティッシュ!痛さの波が押し寄せてきてあ゛――っなって・・・。そーゆーとき、ポケットの中のティッシュを触るだけで安心、とか」。
・・・ま、そーゆーことだね。
たとえが美しくないけどなあ。
それに実際問題として、たとえティッシュがあってもそのへんでできるかって言えばギモンだし。

今となってはういたハナシのひとつもない私だが、昔の恋人の電話番号をいつまでも持っている、ってのもそんなもんだろうか。
もう絶対自分からかけることはないしかかってきても出る気もないし番号だってとっくに変わってるかもしれないのに、それでも削除もせずに残しておく。
なんとなくそれを持っていればパンドラの箱の鍵を持っているようで平凡な日常も過ごしていける。そんなような。

と考えたりしていると娘、「おかあさん、あるじゃん!『ヘソクリ』・・・」。
・・・ああーそういえば・・・。
ヘソクリのしまい場所といえば全国的にタンスの中がトップらしいが、実は私も封筒に入れて奥のほうに入れてある。
タンスを開け閉めするたびにその白い封筒が目に入り、それがあるだけで安心。
それは本当に「いざというとき」のためのもので、封筒を見るだけで「よし。もう少しがまん」と思い、使わないでなんとかすごしたこともある。
ところが、ある日急な出費があり「しょうがないな」と封筒を開けてみると・・・ない!

コドモたちやダンナに疑惑の目を向けたりもしたが、よく考えてみれば自分で使ってあとで補充しようとしてそのままだったものだ。
娘、そんなことは覚えていなくてよし。

でもまあ、人間、そんなふうに心の支えがあれば窮地も切り抜けられる、というようなお話。
さて、肝心の新しいパン屋のお味はというと。
カリカリのガーリックトーストはたしかにおいしかったけど、娘は食べカスをそのへんにパラパラ落とすし、一度食べればいいやという食べ応えであった。

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