ブラザーフッド

2004年7月8日 映画
「ブラザーフッド」を見る。
先日のサッカーチーム飲み会でヨン様はじめ韓国アイドルたちの話になったときに、ウォンビンをイチオシした自分としては「ブラザーフッド」を見ずしてウォンビンを語れないだろうと思ったし。

ハリウッドのエンターテイメント映画に慣れている私には「戦争映画」はキツかった。
チャン・ドンゴンとウォンビン、今をときめく韓国二大スターの競演ではあるが、「シュリ」とテイストを同じくするというので、いつものように「映画は娯楽」と思っていくときっと違うな、と思いながら見始める。

映画の最初には「現在」が描かれ「過去」への回想に流れていく、その流れがとても自然で美しくちょっと感傷的になる。
「過去」のはじめのほうには、まだ平和だったときの町のにぎわいや家族のなごやかな生活ぶりが描かれ、にこにこ顔のウォンビンの笑顔に「ああーやっぱりかわいいなあ」なんて思っている余裕もあった。
が、戦争シーンが始まると、そんな感傷や俳優さんの演技どころではない。
回想シーンへと続く場面が美しいほど、平和だったときのシーンがしあわせなほど、その落差は大きい。
愛する者たちとの絆が「戦争」によってばっさりと断ち切られ、別れを惜しむそんな時間も与えられずに戦場へと場面は進んでいく。

かなり生々しい戦闘場面の圧倒的な迫力にまず驚く。
演技だとかセットだとか、そんな「作り物」とは無縁のような臨場感に、実際の韓国戦争の映像を見ているようで心が痛くなる。爆撃によって吹き飛ばされる家や地面、汗と血と泥にまみれた兵士たちの様子はとても映画の世界とは思えず、もういいよもうやめて、と席を立ちたくなるほどの残酷さ・生々しさで迫ってくる。
戦争とはすなわち「殺し合い」なのだと、いやおうなく現実をつきつけられた気持ちになる。

終盤、弟(ウォンビン)が兄(チャン・ドンゴン)を探すために、捨て身で38度線に乗り込んでいき和解する場面は、もうウォンビンだろうがだれだろうが私の中ではどうでもよくなっていた。
実際、ウォンビンもチャン・ドンゴンも、映画最初の家族でのしあわせな場面から戦争が進むにつれて顔つきが別人のように変わっていった。

ラストの場面、戦争で狂気に取り付かれた兄になんとか思い出してもらおうと必死の弟。
敵だと思い相手を殺すことしか頭にない兄。
そして自分を取り戻す兄・・・。
もう涙があふれてあふれてしょうがなかった。
それは戦争の残酷さ・悲惨さもそうだが、汗と泥で顔もわからなくなっているほどの俳優さんたちの熱演がスクリーンから伝わってくるからだ。

映画館でハンカチを出して涙を拭く・・・というのは初めてかもしれない。
観客がそれほど多くなかったこともあってけっこうヒックヒック・・となるほど泣けた。
(エンドロールのあまりの短さにヤバイっ!まだ体勢を立て直してないっ!と思ったのは私だけではないだろう)

韓国戦争、というものについてもくわしくは知らないのだが、韓国には現在でも徴兵制度がありウォンビン自身ももうすぐ行くのだという。
映画の中で「同胞が殺しあうほど思想は大事なのか」という言葉があるが、同じ民族が思想が違うということで殺しあわなければいけない・・・そんなことを思うと胸が詰まる。

ウォンビンは深田恭子とのドラマ「フレンズ」で初めて見て、なかなかさわやかで素敵な俳優さんだなと思った。
が、今回の「ブラザーフッド」ではさわやかなだけではなく精悍さもあり、演技力のすばらしさもあるということがわかる。
一部、主婦仲間ではキムタクやツマブキに似ているとのウワサだが、ふにゃっとした笑顔が私はずっと木村一八(故横山やすしの息子)に似ているとひそかに思っている。
何はともあれ、私の中でのウォンビンの株はぐくーっと上がったのであった。

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