秋の味覚づくし

2004年10月5日 日常
本日の給食は「秋の味覚祭り」。
メニューは、栗とさつまいものごはん・栗ときのこのシチュー・秋鮭・牛乳・季節のくだもの。
「栗ごはんなんて今年初めてだあー」と私が喜ぶと、小学生たち「わたしもー」「オレもー」。
・・・よかった。秋の盛りだというのに家庭で栗ご飯を作っていないのはウチだけじゃなかった。

学校給食はありがたいもので、家で年中ハンバーグだのカレーだの食べさせていても、コドモたちは旬のものとか季節を感じさせるものを食べさせてもらえる。
春は桜餅や柏餅、夏には七夕スープ、秋にはサンマや栗・きのこ。節分にはいわしや豆、雛祭りにはちらしずしや雛あられ。
最近の給食はなかなかバラエティに富んでいて、しかもおいしい。

シチューに栗が入っているのは初めて食べたが、栗の歯ごたえとほんのりした甘みがなかなかのもの。
栗も一口大にカットしたものがゴロゴロ入っていて、殻からむいたのだとすれば調理員さんたち大変だっただろうなあ。
これはぜひ自分でも作ってみたいメニューのひとつ。

さて「季節のくだもの」。
去年も日記に書いたが、私にとっての「秋のくだもの」というのは巨峰系のぶどうがうれしい。
食後のデザートとして「柿」なんぞが出されるとちょっとがっかり。
だって柿は子供のころ、庭にくさるほどなっていてそのときに一生分食べたから。

果物、なんだろなーと思いながら、給食当番が開けた食缶をのぞきこむと・・・目にも鮮やかな山吹色の柿!
当番の子供たちによって一個一個食器に盛り付けられていくその柿は、半ば透き通るような美しい黄金色に近い山吹色なのである。
6分の1にカットされたそれはたっぷりと甘い果汁を含んでいるようでいかにも柔らかくおいしそう。

私が知っている柿という果物はこんなに鮮やかできれいな色はしていない。
庭でとれる柿は甘い柿にあたったらラッキー。
切ってみるまでわからない。
切ると、渋い柿は白っぽい色をしているし甘い柿は赤っぽい点々がびっしり並んでいるからすぐわかる。
甘さの証である点々は当時、実家では「ゴマ」と呼んでいて「ゴマがたくさんあるほど甘いよ」などと母はよく言っていたものである。
だから甘い柿は切ったときの見栄えはイマイチなのである。

が、給食に供されたその柿はどこまでも黄金色でゴマなんかひとつも見当たらない。
スプーンもさっくりと入り、やわらかくみずみずしい。
舌に広がるその味覚は・・・渋みなんて微塵もない甘い甘い柿の味。
人生40ウン年生きてきたが「柿」という果物を今の今まで誤解していたことに気づく。
幼少のころの体験により、柿に対して大変失礼なイメージを抱いてきた、ということか。

「季節のデザート」として柿が出されると、田舎モノは「うえー柿ぃーー?」と言い、都会の方々は「うわー!柿っ!」と言うというが・・・
まさに本日食べた柿は「うわっ柿!うれしい!」というにふさわしい秋の果物であった。
学校給食の柿でさえこうなんだから、レストランで出される柿や売っている柿はさぞおいしいに違いない。

小学生たち・・・なんとその「柿」をお残しする子がいるではないか!
「食べないの?おいしいよー」というと「だって食べたことないから」。
「食べてみなよ。絶対おいしいって」と続けていうと、別の子「パパイヤみたいだよ」。
「ほんと?パパイヤ?」と言い一口食べてみたものの、どうやら彼のお口にはあわなかったらしく「せんせ、あげる」と私の食器にヨダレつきの柿をくれる。

・・・そうか、パパイヤか。
今どきの小学生にとっては柿よりもパパイヤのほうがなじみのある果物だったりするわけだなあ。
30年前の小学生である私は、心の中で「このーバチあたりめがー・・・」などと思いながらも、せっかくなのでその柿をありがたくいただいた。

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索