背が高くなりたい

2004年10月11日 日常
コドモたちの長袖のトレーナーや長ズボンを出す。
春までは着られても秋になると着られなくなっている、というのはコドモにはよくあること。
だから、衣替えのシーズン、特に秋にはとりあえずひととおり出したときに袖や足をとおしてみる。

息子は買い足さなくてもすべてOK。
が、成長期の娘、「そでが短い」「太ももがぱんぱん」「おなかがきっつーい」のオンパレード。
息子でさえまだ入る150サイズのジーンズが全滅。
次に買うときは160かレディスMか。
「やせたら着よう」としまいこんでいた私のトレーナーなどが合うようになる。
まだまだかわいらしい中学生の息子に背の高さも追いついて、ふたり並ぶとふたごのよう。

「背が高くなりたいなー」というのが娘の以前からの願いだった。
というのも、娘は3月うまれだったこともあって低学年の頃は小さいほうだったから。
背が高いお友達を見ては「いいな、いいな」と思っていたらしい。
去年あたりからか急に手足がスラスラと伸び始め、靴も服もどんどんサイズアップ。
クラスの集合写真を撮るときは必ず一番前の列、というのが定位置だった娘、今は後ろの段に並んでいる。
「もっと大きくなりたいな。170センチくらい」。
そっかあー。大きくなりたいかあー・・・。

私は5月生まれということもあり、子供の頃から大きい子だった。
集合写真はいつも一番後ろ。
小学校6年のときに163センチあった。
小学生時代の私は背が高いということが嫌でしょうがなかった。
今でも覚えているが、サイズに合うコドモらしいかわいい服がなかったし、かわいい靴もなかった。
当時「アキレスミーナ」という子供向けの運動靴が流行ったのだが、自分に合うサイズがなくショックだったことを覚えている。
背が高いというだけで、運動会のバトントワラーの最前列に選ばれたり(泣くほどイヤだった)、組体操ではいつも支える立場だったり・・・。
ちょっと気になる男の子がいてもたいていは自分よりちっちゃかったり。

今よりも「女の子は女の子らしく」の時代だった昭和40年代、かわいらしい女の子はかばってもらえる、とか泣けば許してもらえる、とかけっこうそんな空気があった時代だった。
ちっちゃくてかわいい女の子はトクだなあ・・・とデカくてかわいくもない私は妬んでもいたんだろう。
なんだかとにかく小学生時代は人より背が高くて嫌だった、という思い出が強いのである。

それが、中高生になると「スラッとしてるね」「スタイルがいいね」などと言われるようになり「えっ?」と思うようになる。
私がめざすのは女の子らしくてかわいいことではなく、凛としてかっこいい女性なのだと気がついたのもこの頃。
就職してからも背が高いことでけっこうハッタリが効いたり力強いイメージがあったり・・・と私のいる業界ではプラスに働いた。
同時に「人に弱みは見せない」ということも自分で引き受けていくことになったが・・・。

ダンナは今では170そこそことまあそれなりなのだが、小学校卒業のころ140センチもなかったという。
「いっつも一番前だった。かわいいかわいいと評判で年上にかわいがられた」という話を聞くと、ここにはまた別のものさしがあったんだなあとフシギな気がする。
ウチの中ではそうでもないが、外ではダンナは人当たりも良く甘え上手で人にうまく動いてもらうのが上手なタイプなのだろうと思う。
それはやっぱり子供の頃から小さいほうだった、ということが少なからず影響しているんだろう。

娘の「背が高くなりたいなあ」の言葉は、「時代」の空気を感じさせる。
今どきの小学校高学年の女の子たちのスタイルのいいことには、思わずほーっと見とれるほど。
手足がすらっと長くまだふくよかでもなく、花開く前の硬いつぼみのような少女独特の体形。
昔から女の子色とされたピンクや赤より青色を好み、スカートはいっさいはかずジーンズのみ。
娘も言うが、同じ学年の男の子が「コドモでコドモでしょうがない」らしい。

そうだろうなあー。
私が見ていても、中1の息子より小5の娘のほうがオトナだもん。
息子、最近妹の成長に脅威を感じて「ここらで上下関係をはっきりさせねば!」なんて言ってはいるが。
いまだに一人の部屋では寝られないとか夜中にトイレに一人でいけないとか、そんなおにいちゃんを見てればねえ・・・。

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索