新米訪問介護員としてぼちぼちひとりで利用者さんのお宅に行くことも増えてきた。
初めて行くお宅には必ず先輩ヘルパーさんが同行。
利用者さん宅までの道、部屋の配置、ケア内容など教えてくれる。
それぞれのお宅によって掃除機やぞうきんの位置・お米や調味料などの位置など違うので、覚えることはたくさんある。
掃除・洗濯や買い物・調理だけならそうでもないが、これにトイレ介助や清拭などの身体介護が入ると、覚えることがありすぎて働きの悪くなった私の頭の中のメモリーはパンク寸前。
とりあえず一人デビューは、要介護度の低いお話好きなおばあちゃんのお宅から。
やることは、お部屋の掃除と雑巾がけ・トイレと風呂掃除。
調理補助。お散歩。
ひととおりお掃除が終わると、右手が少し不自由で力が入らない利用者さんにかわって固い根菜類を切るお手伝い。
お天気がいい日は、利用者さんのヒザの痛みを気遣いながらいっしょにお散歩。
ちょうど私の母と同じ年頃のおばあちゃん。
おばあちゃんの息子さんも私と同世代。
母と娘のような年頃。
利用者さん宅では「きょうは何をお料理します?」と聞き、「寒いからおでんにしようかな」「豚汁がいいかしらね」という言葉で切る野菜を決める。
根菜類は力がないと切れないので私が切ることになる。
そのおばあちゃんはお話好きで、若い頃の話とか息子さんが小さかった頃の話とか楽しいお話をたくさんしてくれる。
野菜を切りながら台所でふたり並んでお話。
「野菜は実と皮の間に栄養があるのよ」とか「レンコンを天ぷらにするときは一度甘辛く煮てから揚げるとホクホクにしあがるの」といった知恵を家事能力の低い私に授けてくれるおばあちゃん。
「わたしも娘がいればよかったわあ。息子はさっぱりだめ。お嫁さんはもっとだめよ。台所汚れるからって魚も焼かないの」と笑う。
「亀の甲より年の功」と昔から言われるがほんとによくいろんなことを知っているのだった。
何かの作業をしながらふたり並んで同じ方向を見ていると話はけっこうはずむもの。
面と向かって話をするより、視線が微妙にはずれるのがいいのだろう。
私は高校卒業と同時に都内への大学進学のために家を出たので、母に料理や家事を教えてもらう、といった時間がなかった。
私の家事は本を読んだりしての自己流。
自分が母になってからはコドモたちを連れて盆正月には実家に帰っているが、考えてみればあまりいっしょに台所に立つことはない。
「娘はいつまでも娘だから、わたしはよぼよぼのおばあちゃんになっても飯炊きババだねえー」などと笑っては、実家に来たときくらい楽しなさいと食事を作ってくれる母。
「たまにはいいよ。座ってなよ」と言って、母を居間に追いやって食事を作る私。
おたがいラクをしあう交代の食事当番。
まあこれで不便もなくていいと思っていた。
でもこうやっていっしょの作業をしながらとりとめのない話をする、って楽しいな。
父母と同年代の一人暮らしの利用者さんに接する機会が多いほど、人の数だけそこにはいろんな人生があることを思う。
親から子へと代々受け継がれてきたさまざまな知恵を、今の世代の私たちは軽視している・・・と思う。
便利さや効率やそんなことを優先しすぎている・・と思う。
お正月に実家に戻ったときは、正月飾りを父といっしょにしよう。正月料理を母といっしょに作ろう。
そう思った。
初めて行くお宅には必ず先輩ヘルパーさんが同行。
利用者さん宅までの道、部屋の配置、ケア内容など教えてくれる。
それぞれのお宅によって掃除機やぞうきんの位置・お米や調味料などの位置など違うので、覚えることはたくさんある。
掃除・洗濯や買い物・調理だけならそうでもないが、これにトイレ介助や清拭などの身体介護が入ると、覚えることがありすぎて働きの悪くなった私の頭の中のメモリーはパンク寸前。
とりあえず一人デビューは、要介護度の低いお話好きなおばあちゃんのお宅から。
やることは、お部屋の掃除と雑巾がけ・トイレと風呂掃除。
調理補助。お散歩。
ひととおりお掃除が終わると、右手が少し不自由で力が入らない利用者さんにかわって固い根菜類を切るお手伝い。
お天気がいい日は、利用者さんのヒザの痛みを気遣いながらいっしょにお散歩。
ちょうど私の母と同じ年頃のおばあちゃん。
おばあちゃんの息子さんも私と同世代。
母と娘のような年頃。
利用者さん宅では「きょうは何をお料理します?」と聞き、「寒いからおでんにしようかな」「豚汁がいいかしらね」という言葉で切る野菜を決める。
根菜類は力がないと切れないので私が切ることになる。
そのおばあちゃんはお話好きで、若い頃の話とか息子さんが小さかった頃の話とか楽しいお話をたくさんしてくれる。
野菜を切りながら台所でふたり並んでお話。
「野菜は実と皮の間に栄養があるのよ」とか「レンコンを天ぷらにするときは一度甘辛く煮てから揚げるとホクホクにしあがるの」といった知恵を家事能力の低い私に授けてくれるおばあちゃん。
「わたしも娘がいればよかったわあ。息子はさっぱりだめ。お嫁さんはもっとだめよ。台所汚れるからって魚も焼かないの」と笑う。
「亀の甲より年の功」と昔から言われるがほんとによくいろんなことを知っているのだった。
何かの作業をしながらふたり並んで同じ方向を見ていると話はけっこうはずむもの。
面と向かって話をするより、視線が微妙にはずれるのがいいのだろう。
私は高校卒業と同時に都内への大学進学のために家を出たので、母に料理や家事を教えてもらう、といった時間がなかった。
私の家事は本を読んだりしての自己流。
自分が母になってからはコドモたちを連れて盆正月には実家に帰っているが、考えてみればあまりいっしょに台所に立つことはない。
「娘はいつまでも娘だから、わたしはよぼよぼのおばあちゃんになっても飯炊きババだねえー」などと笑っては、実家に来たときくらい楽しなさいと食事を作ってくれる母。
「たまにはいいよ。座ってなよ」と言って、母を居間に追いやって食事を作る私。
おたがいラクをしあう交代の食事当番。
まあこれで不便もなくていいと思っていた。
でもこうやっていっしょの作業をしながらとりとめのない話をする、って楽しいな。
父母と同年代の一人暮らしの利用者さんに接する機会が多いほど、人の数だけそこにはいろんな人生があることを思う。
親から子へと代々受け継がれてきたさまざまな知恵を、今の世代の私たちは軽視している・・・と思う。
便利さや効率やそんなことを優先しすぎている・・と思う。
お正月に実家に戻ったときは、正月飾りを父といっしょにしよう。正月料理を母といっしょに作ろう。
そう思った。
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