その名も「激落ち(ゲキオチ)くん」。
掃除嫌いの私の人生を変えた一品!
先輩ヘルパー御用達のメラミンスポンジ。
これにはまいった。というかハマった。
特に威力を発揮するのは、台所の流しの扉や電化製品などの汚れ。
水につけてきゅっとしぼりそのへんをこするだけで・・・ピカピカに!
その存在を知ってはいたが、「水だけでえー?」と信じてなかったから使ったことはなかったのだが、先輩と同行したときに使ってびっくり。
台所の汚れはついつい放置してしまい気が付いたときには手がつけられなくなっている、というのが私のいつものパターン。
だいたいはどうしようもなくなって重い腰をあげ、ボンスター(洗剤つき金属タワシ)とか、オレンジオイル配合の洗剤とかで掃除することになる。
・・・これって指先が荒れるんだよねー。
でもこの「激落ちくん」と出会ってからというもの、お掃除が楽しい。
だって水でこするだけでピカピカになる。
ご飯作りながらの少しの時間でもできるし。
私はもともと掃除が好きじゃない。
平均的な家庭ではどんなもんか知らないが、私はトイレ掃除も台所掃除も思いついたときにしかやらなかった。
日々のルーティーンワークに「掃除」は入ってないのであった。
料理も同じく。
義務感にかられて掃除や料理をしたところで、自分の家のことだと「やって当たり前」の扱いになる。
そこがますます嫌いにさせる要因だろう。
せっかく作ってもお子様たちは「焼肉がよかった」だの「から揚げがよかった」だの文句をたれ、「給食のハンバーグはやわらかくてうまいんだよな」とか「コロちゃんのコロッケが食べたい」だのつぶやく。そして残す。
作っていただいている、という感謝のかけらもないのであった。
そして今もって忘れもしない15年前のダンナの発言(一生忘れないー根にもってやるー)。
「女の人は本能的に料理を作りたいと思うんじゃないの?」
・・・・はあっ!?
少なくとも私は本能的に「食べたい」とは思っても「お料理したい」なんて思わないよ!
あー思い出すたびに力が抜ける。
てなわけで、もともと好きでもなくてしかも感謝もされないことなのでマイナスの強化しかされないのであった。
が!
「激落ちくん」に出合って私は変わった。
まさに「掃除の神様」が宿ったかのよう。
神様が宿った私には、なぜか汚れが「見えて」しまう。
・・・ふだんは見えない家中の汚れが見える。
電気のかさに積もった綿ぼこり。
くもの巣が垂れ下がりホーンテッドマンションのようになった天井のすみっこ。
およそ2センチもあるかと思われる冷蔵庫のうえの塵やほこり。
換気扇やガス台周辺の油汚れ・・・。
普段はまるっきり気にならないものなのに、神様の力が宿った私の目にはみえてしまうのであった。
「汚れ」が見えてしまうと気になる。
そういう目でみると家中、あそこもここも掃除しなければならない箇所だらけ。
今では訪問介護で人んちの掃除をした日には、掃除の神様モードになっているので勢いでお風呂掃除だのトイレ掃除だのやってしまう。
料理だって、「冷蔵庫にあるものだけで工夫していかに短時間で仕上げるか」を人んちでやるとその達成感がだんだん快感になり、創作料理がやけに得意になった。
食材を見て何を料理するか決め、その何品かをどの順番でどうやっつけるかの段取りを考えるとき脳は超高速で回転してるって気がする。
それにしても同じことやっても家でやるのは「当たり前」で無償。
人んちでやると「ありがとう」の言葉とともに感謝され、けっこうな時給がいただける。
家事はだれかがやらなくちゃいけないものだし、そのだれかのおかげで家の中は快適に保たれているのだとすると・・・
そして「家事」を外注するとけっこうコストが高いことを考えると・・・
「家事」をもっと評価しなくちゃいけないよ。ご家庭のみなさん。
掃除嫌いの私の人生を変えた一品!
先輩ヘルパー御用達のメラミンスポンジ。
これにはまいった。というかハマった。
特に威力を発揮するのは、台所の流しの扉や電化製品などの汚れ。
水につけてきゅっとしぼりそのへんをこするだけで・・・ピカピカに!
その存在を知ってはいたが、「水だけでえー?」と信じてなかったから使ったことはなかったのだが、先輩と同行したときに使ってびっくり。
台所の汚れはついつい放置してしまい気が付いたときには手がつけられなくなっている、というのが私のいつものパターン。
だいたいはどうしようもなくなって重い腰をあげ、ボンスター(洗剤つき金属タワシ)とか、オレンジオイル配合の洗剤とかで掃除することになる。
・・・これって指先が荒れるんだよねー。
でもこの「激落ちくん」と出会ってからというもの、お掃除が楽しい。
だって水でこするだけでピカピカになる。
ご飯作りながらの少しの時間でもできるし。
私はもともと掃除が好きじゃない。
平均的な家庭ではどんなもんか知らないが、私はトイレ掃除も台所掃除も思いついたときにしかやらなかった。
日々のルーティーンワークに「掃除」は入ってないのであった。
料理も同じく。
義務感にかられて掃除や料理をしたところで、自分の家のことだと「やって当たり前」の扱いになる。
そこがますます嫌いにさせる要因だろう。
せっかく作ってもお子様たちは「焼肉がよかった」だの「から揚げがよかった」だの文句をたれ、「給食のハンバーグはやわらかくてうまいんだよな」とか「コロちゃんのコロッケが食べたい」だのつぶやく。そして残す。
作っていただいている、という感謝のかけらもないのであった。
そして今もって忘れもしない15年前のダンナの発言(一生忘れないー根にもってやるー)。
「女の人は本能的に料理を作りたいと思うんじゃないの?」
・・・・はあっ!?
少なくとも私は本能的に「食べたい」とは思っても「お料理したい」なんて思わないよ!
あー思い出すたびに力が抜ける。
てなわけで、もともと好きでもなくてしかも感謝もされないことなのでマイナスの強化しかされないのであった。
が!
「激落ちくん」に出合って私は変わった。
まさに「掃除の神様」が宿ったかのよう。
神様が宿った私には、なぜか汚れが「見えて」しまう。
・・・ふだんは見えない家中の汚れが見える。
電気のかさに積もった綿ぼこり。
くもの巣が垂れ下がりホーンテッドマンションのようになった天井のすみっこ。
およそ2センチもあるかと思われる冷蔵庫のうえの塵やほこり。
換気扇やガス台周辺の油汚れ・・・。
普段はまるっきり気にならないものなのに、神様の力が宿った私の目にはみえてしまうのであった。
「汚れ」が見えてしまうと気になる。
そういう目でみると家中、あそこもここも掃除しなければならない箇所だらけ。
今では訪問介護で人んちの掃除をした日には、掃除の神様モードになっているので勢いでお風呂掃除だのトイレ掃除だのやってしまう。
料理だって、「冷蔵庫にあるものだけで工夫していかに短時間で仕上げるか」を人んちでやるとその達成感がだんだん快感になり、創作料理がやけに得意になった。
食材を見て何を料理するか決め、その何品かをどの順番でどうやっつけるかの段取りを考えるとき脳は超高速で回転してるって気がする。
それにしても同じことやっても家でやるのは「当たり前」で無償。
人んちでやると「ありがとう」の言葉とともに感謝され、けっこうな時給がいただける。
家事はだれかがやらなくちゃいけないものだし、そのだれかのおかげで家の中は快適に保たれているのだとすると・・・
そして「家事」を外注するとけっこうコストが高いことを考えると・・・
「家事」をもっと評価しなくちゃいけないよ。ご家庭のみなさん。
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