テレビで「千と千尋の神隠し」をやっていた。
私としては宮崎アニメの中ではラピュタかコレか、ってところだし、娘も好きなのでもう何度も見た。
娘が映画をそのまま漫画にした単行本だって持っているので、それこそスターウォーズなみに次のセリフが出てくるほどである。

「もうわざわざ見なくてもいいじゃん。『トホホ人物伝』見て『金八っつぁん』でいいんじゃない。『Mステ』でリュ・シウォンも見たいし」と言う私の提案をシカトし、別室にひきあげようとする娘。
ま、「トホホ」は今までも何度かやったパターンみたいだし「金八」は録画すればいいか。

「Mステ」で、来日中の「微笑みのプリンス(だったか?)リュ・シウォン」の歌だけ見る。
「美しき日々」に出ている彼は「どこがいいの?」というほどアゴのラインもないコブタちゃんなのだが、体重も落としたと見えて本人なかなか良し。

ということで、展開もわかりきっている「千と千尋の神隠し」を見てしまう。
湯屋の独特の雰囲気や色使いは何度見てもいい感じだし、千尋がハクにもらったおにぎりを食べるシーンも何度見てもいい。

・・・と思っていたらいつのまにか千尋のおかあさんのように私はテレビの前で寝ていた・・・。
ありゃっ、と思ったときにはラストの歌。
ハクが自分を取り戻して空から千尋と落ちてくる感動的なシーンも見逃したよぅぅ・・・。

いやいやそれでもいいのである。
この映画の私の感動ポイントは「おにぎり」と「上に落ちる(?)涙」、そしてラストの歌「いつも何度でも」なのであった。

「千と千尋の神隠し」を見たのは2001年の夏のことだったか。
当時の私は精神的に落ちるところまで落ちていて、その泥沼の底から抜け出せないであがいていた頃。
そのとき映画館できいた「いつも何度でも」。
その歌詞の言葉ひとつひとつが砂漠にしみ込む水のように心にストンストンと入ってきたのだった。

「はじまりの朝の静かな窓
 ゼロになる体 満たされてゆけ
 海のかなたにはもう探さない
 輝くものはいつもここに
 私の中に見つけられたから」。

この部分は何度聞いてもいい。
言葉の持つ力は大きいと普段から思っているけれど、「いつも何度でも」も歌詞を繰り返し思うことで、私は浮上できた・・・のかもしれない。
「人はただ青い空の青さを知る」とか「かなしみの数を言い尽くすより同じくちびるでそっと歌おう」という言葉。
「粉々にくだかれた鏡の上にも美しい景色が映される」という言葉。
それらの言葉が木村弓さんのあの声とあの楽器(なんでしたっけね)で奏でられるとき、最大限の力を持つ・・・と思う。

物事のマイナスの面は見ないでプラスの面を見ること。
自分の人生は人や周囲に左右されるのではなく自分の足を地につけて歩いていくこと。
「輝くものは自分の中に見つけられる」のだから「海のかなた」ではもう探さないのだ。
「いつも何度でも」を聞いたその夏は転機だったなあ・・・と今思う。

それにしても何度見ても「ほうーっっ!」と感心するのは「千と千尋の神隠し」に出てくる豪勢な食事の数々。
おとうさんおかあさんがガツガツ食べる場面。
カオナシがグワグワ食べる場面。
並べてある食べ物をじっくり見ると本当にうまそうで、これまた何度見てもすばらしい。
間違いなく「千と千尋」が私の中で評価が高いポイントのひとつである。

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索