「アイムソーリー、ママ」桐野 夏生 を読む。

本文中より。
「今やるべきは、都合の悪いことをしゃべったりするヤツを探し出して消すことだ。
消しゴムで消さなければノートはもう一度使えない。新しいノートを買ったもらえないアイ子は何度も消して使っていた。うまく消せないとノートは汚くなってやがて破れる。
そのうち、どうせ消すのなら最初から書かないほうがいいと気づき、授業中もノートをとるのはやめにした。
・・・めんどうになったら誰かにしゃべったりするから始末しなくちゃならないんだもん。と、アイ子は簡単に結論に達した。それがアイ子の生き抜く知恵だった」。
「他人の死は自分を自由にするってことがわかったのもあの日だ。他人の死は、ノートを真っ白に変える消しゴム。あたしは消しゴムの使い方がうまい」。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

盗み・殺人・逃亡を繰り返すアイ子。
父も母も知らず戸籍もなく、売春宿の物置で育ち、愛も知らない。
生まれ育った環境が最悪劣悪で悪意だらけなら、人はどんな思考回路になるのか、そしてどこまでその罪は情状酌量になるのか・・・そんなことを思う。

最近の作品では、「グロテスク」は東電OL殺人事件をもとにし、「残虐記」は新潟少女監禁事件をもとにする。
「アイムソーリーママ」は本題材があるかどうかはわからないが、同じ系統のもの。

読んだあと、「うーん・・・なんかなあ・・・。よしもとばななでお口直しが必要だなあ」ってな気分になる。
それでも私は一気読み!

読ませるのは「好奇心」。
自分は普通に育ったからまっとうに人生を生きてるよ。だけどアイ子はこんな生まれじゃしょうがないさ・・という一段上からの好奇心で読んでいることに自分で気づくとき、ものすごく居心地の悪い思いをする。
それはまさに「心の闇」。
桐野作品を読んで後味の悪い思いをするのは、作者が主人公の心の闇とともに「読者」の心の闇にも光をあてるからだ。

前ニ作に比べると、実際の出来事の描写が弱くややインパクトに欠けるのだが、やはり「心の闇」に光をあてるのが上手いなあと思うのだった。

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