「銀のエンゼル」鈴井貫之 を読む。
最近ちょっと読書づいてます。

本文中より。
「『チョコボールだよ』。
・・・チョコボールという菓子では特典として、おもちゃのカンヅメという、漠然とはしているものの夢のようなアイテムを手に入れることができた。金のエンゼルなら1枚、銀のエンゼルなら5枚。
・・・しかしこれがなかなか思ったように集められない。
銀なら何回か出会ったことがあるが、ましてや金などお目にかかったことがない。
また、何枚か集めた銀のエンゼルも、いつの間にかどこかへいってしまった。
学習机の引き出しの中にしまいこんでいたはずなのになくしてしまっている。
だから由希はいまだに5枚集めたことはないし、当然、夢箱を手に入れたこともなかった。
何とはなしに、まだ20年しか生きていないが、自分の人生に似ているのかなと思う。
夢を手に入れようとしてもなかなかそれをうまくつかむことはできない。
あと少しというところでまたスタートに押し戻されたりして、いつも5人の天使には出会えないでいる」。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「銀のエンゼル」・・・という題名は郷愁を誘う。
「出会えない5枚目を探して」というサブタイトルも上手い。

この小説は「銀のエンゼル2」であり、映画「銀のエンゼル」の1年後のお話。
小説の最後に「銀のエンゼル3」として「予告編」もある。
映画の監督でもあり著者の鈴井貴之は「北島家の成長を僕は映画の撮影中から見たかったから今回小説という形でまとめてみた。これが映画化されるということではない」と前書きで書いている。
本の最初に、映画「銀のエンゼル」のあらすじも写真付きで紹介してあるので、映画を見ていなくても登場人物やストーリーはわかる。

家族の日常を描いた淡々とした内容なので、小説として「銀のエンゼル2」を読むのは・・・私は引き込まれなかった。
文章は読みやすいし、きっと美しい北海道の景色や叙情的な音楽を背景に、上手い俳優さんが演じれば思わずほろりとさせられる映画になるだろうな、とは思った。
だから、この小説はあくまでも映画の続編として、映画を見た上で読むべきものかなというのが正直な感想。

さて「銀のエンゼル」。
私だって、5枚目の銀のエンゼルにいまだに出会えない。
子供の頃、たしか3枚までは集めたはず。
それはやっぱり由希と同じく机の引き出しの迷宮入りしてしまったが・・・。
自分が母となってチョコボールをスーパーで見かけ、なつかしくエンゼルを思い出し何度もコドモたちにも買ってやった。
2枚は出たが、でもやっぱり5枚目のエンゼルには40年以上かかっても出会えないでいる。

そんなことから思えば由希が「20年の人生でエンゼルに出会えないで人生に絶望しかかっている」なんてまだまだ・・・なんて思う。
というよりも、今となっては「出会えそうで出会えないからこそいいんだよ」とも思うのだった。
夢や希望というのは、あともう少しで手に届きそう、そんなときが一番いい。
20歳くらいで夢箱を手に入れちゃったら楽しくないじゃないか。

私だって自分が子供の頃に手に入れられなかったからこそ、いまだに「おもちゃのカンヅメ」という言葉には当時のまま心が躍る。
子供にとってはとてもすばらしい「夢箱」だって今の私にはたいしたことがない、ということだってわかる。
でも、オトナになっても「夢」を持ち続けたままチョコボールを買うことができるのは、実際手に入れていないから。

・・・このまま5枚目のエンゼルに出会えなければ、おばあちゃんになってもコドモのころのわくわくした気持ちそのままにチョコボールを買えるのだ。
それって素敵なことだなあ、と今の私は思うのだった。

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