七夕の昨日。娘の小学校参観日。
4月には不義理を働いてしまったので今回はお仕事を調整して参加。

といっても、授業は「総合学習」。
・・・前もあったが、えんえんと子供たちの発表が続くだけ、というおそろしく退屈な授業である。
たしかに「全員発表」なので、児童の活動とすればいいのかもしれないけどなあ。
ウチの子の発表場面だけ見れば、あとはよそさまのお子様の発表なんて別にどうでもいい。そんなもんでしょ。
蒸し風呂のような教室で、拷問のような時間が続くだけ・・・。
どうせ児童の活動なら、体育とか音楽とかのほうが動きがあってまだマシ。

最近、多いんだよなあ、こういう「発表形式」の授業参観。
私からすれば先生が「勝負」をさけているとしか思えない参観内容。
だって、先生は発表見てるだけだもん。
参観としては一番ラクなパターンだろう。
先生、あなたがどんな授業をしているのか、そしてその授業の中で子供たちにどう働きかけ、子供たちはどう反応しているのか、その姿を見せてくださいよ、と私は思うけどね。
だから、○組で「算数」の授業をすると聞くと、よし、あの先生は見所があるな、とか思うのだった。

懇談会、少しでも風が入る窓側の席を確保するも、眠気には勝てず。
場所からして、先生に一番近い席なのに・・・。
役員を決めるなどという緊迫した場面もなく、毎年同じ「夏休みの過し方」などというありきたりなお話なので、座れた安心感もあって眠くて眠くて。
配られたプリントの挿し絵の水着姿の小学生に色塗りなどして目を覚まそうとするのだが、だめ。
「磯野さん、先生の横で寝てたよね」とあとで何人かのおかあさま方に声をかけられる・・・。

さて、七夕。
コドモたちが幼稚園のときは笹の葉に七夕飾りをつけたものを持ち帰ったり、家で飾ったりもしたが、おととしあたりからはスルー。笹の葉飾りも小学校低学年までがせいぜい。
季節の行事はひととおり押さえているのに、なぜ???
ここ何年か自分でもなにゆえ七夕はスルーしてしまうのかはっきりしなかったけど、朝の娘の一言ではっと気づく。
娘「おかあさん、七夕は何食べる日?」。

・・・・そうか!
節分は太巻きといわし、ひな祭りはちらし寿司とひなあられ、五月の節句は柏餅、土用はうなぎ・・・などなど、うちでは「季節の行事=何か食べる日」なのだった。
だから、「半夏生(はんげしょう)」というそれほどメジャーじゃない日も私の中では定着している。
だって「半夏生=タコを食べる日」だもん。

今年は7月2日が半夏生。
「稲の根がタコ の足のように大地に広がってしっかり育つように」との願いを込め、またこれからくる暑い夏に向けて体力をつけるように、ということでタコ。
・・・七夕には何だろう。
ここらでは、毎年、小中学校の給食にも「七夕スープ」として素麺や星の形の麩(ふ)やオクラの輪切りが入ったスープが出る。
「七夕スープ」と聞けば、ああまたこの季節がめぐってきたなあ、と思う。

まあ、一般的にはそうめんが七夕の食べ物なのかな。
でも、そうめんじゃ弱いのだ!
夏休みになれば「えーまたソーメン?」とコドモたちにいやがられるほど連日昼の食卓にのぼるものだし。
だいたい、商魂たくましい昨今、「七夕には流しそうめんを!」とかなんとかそうめん業界が一大キャンペーンでも起こせばもっと定着するのに。
ぐるぐる回る「卓上流しそうめん機」も売れるし。
それかいっそのこと「半夏生」と「七夕」、日にちも近いので「七夕にはタコ」としてしまえば・・・。

季節の行事が定着するには「食べ物」が不可欠だとあらためて思った七夕の日であった。

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