ああ昭和の夏休み
写真は「ノウセンカヅラ」の花。
夏空にひときわ映えるビタミンカラーのこの花を見ると、「ああー真夏だなあー」と思う。
漢字では「凌霄花」と書いてノウゼンカ。つる状なのでノウゼンカヅラ。
霄(空=そら)を凌(しの)ぐほどに高く這いのぼる木という意味だという。

地方の知人から暑中御見舞いの葉書が届く。
そういえば「大暑(たいしょ)」の今が暑中見舞いの出し時。
7月23日から8月6日までが暦の上では一番暑いとされる時期で、8月7日には立秋となってしまう。

学校のお仕事をしていたときは、暑さ寒さをダイレクトに感じることができたし学校行事などで季節感もあったのだが、やめてからはなんとなく季節の変化に鈍感になっている。
利用者さんが気を利かせてエアコンをつけてくれることが多く、その室内でお仕事をするからか。
まあとにかく月日のたつのがはやすぎて、季節を味わうゆとりもないというのが当たってるかも。

「念力のゆるめば死ぬる大暑かな」。
大暑のころになるとこの村上鬼城の句を思う。

気力を緩めれば死んでしまいそうになるほどの暑さ・・・。
そういえば、私の子供のころの夏なんてそうだったか。
いやいや、実家にエアコンはなかったけれど私は北国育ちなのでそれほど暑くはなかったのだろうが。

それでも、自分が小学生のころの夏休みを思うと、真夏ならではの風情があった。
朝もやの中、自転車を走らせてラジオ体操に行き、戻ると朝食の味噌汁のいい香りがする。
ザルを持って畑からトマトをとってきたり、家の裏からミョウガをとってきたりするのも子供の仕事だった。
じりじりと太陽が照りつける昼には暑さを避けて昼寝をし、起きれば井戸で冷えたスイカが待っている。
庭に打ち水をするのも楽しかった。
夕暮れには、どこからともなく聞こえてくるヒグラシの大合唱。
遠く近くソロでハーモニーで・・夜風が混じった夕方の空気は、ヒグラシの鳴き声とともに暑かった一日が終わることを思わせた。

お盆近くなると、遠くの親戚が都会のお菓子などを持ってきてくれるのも待ち遠しかったし、1年に1度会えるいとこに会うのも指折り数えて待ったものだった。
お盆が過ぎるともう秋の気配がして、とんぼが空を飛ぶようになる。
そして北国の短い夏休みは終わる。
子供のころの夏休みを思うと、時間は季節といっしょにのんびりゆったり流れているのである。

そんな思い出があるからか、うちのコドモたちの夏休みの生活を見ていると、いいのかなあー・・・と思う。
私は仕事、息子は部活に出かけるので、娘は朝からテレビざんまい。
午前中なんてテレビを見ていればあっという間に過ぎるらしい。
息子が戻ったところで、置いてあるお昼ご飯。
弁当など作ればいいのかもしれないが・・・
すいません。きょうは一平ちゃん屋台のヤキソバでした。あしたはレトルトの金の親子どんぶりです・・・。
冷蔵庫にはペプシをはじめジュース類は冷えてるしアイスもお菓子もある。
ちょっと暑くなればすぐエアコンのスイッチオン。

私が3時ころ仕事から戻ると、外は暑いのにやけに冷えた室内でふたりでゲームなんぞしている。
近くにプールもあるのに、「外のプールは日に焼けるしお子様の行く場所」などと娘は言ってるし・・・。
真夏なのに、一日それほど汗もかかない生活。
これじゃあ夏を味わうことなんてないなあ。

トウモロコシ畑で友達と汗と泥だらけでかくれんぼをした・・・
夕方には一日の汗を流すために風呂に早く入りたくてしょうがない・・・。
そんな小学生の夏休みは昭和の時代のものになってしまったのね。

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