父退職のお祝い

2005年9月21日 日常
父退職のお祝い
←実家近くで。コスモスの向こうは萩の花。秋ですね。

連休中。結婚後、初めてひとりで実家に行き一泊する。
コドモたちを置いておひとりさまで新幹線に乗るのはほんとに初めて。

帰省理由は、父の退職祝いの会が開かれるのでそのお手伝い。
定年退職してから天下って役所で働いていた父だが、平成の大合併で役所が閉庁するのでいよいよ今度こそ退職。
役職にある者が退職する場合は、自宅にみなさんをお招きして宴席をもうけるという困った慣例があったらしい。

9月に入りその日が近づくにつれて、電話の向こうで母がソワソワしているのがわかる。
「天ぷら、30人前揚げなくちゃ」「お寿司はとるけどお赤飯も炊いて」とか「畳も表替えして」「草取りも大変」とか「『枯れ木も山の賑わい』だし、身内も多いほうが」とか・・・。
夜の宴席なんだから草取りなんかしなくてもいいし、お盆に天ぷら10人前揚げたのだって大変だったのに、30人前?ありえないー・・・。

60で父が定年退職したのは14年前になるか。
当時は私も妹も小さいコドモとの生活に追われていて正直言って父の退職を祝う心のゆとりもお金のゆとりもなかった。
本当はよく雑誌などで見るように、娘たちで「温泉招待旅行」などしてあげればよかったのだろうが。

・・・金銭的なゆとりがないのは今でも同じでやっぱり招待旅行はムリ。
逆に、盆暮れにはいまでもおこづかいをもらったりしている娘たちである・・・。
でも、それぞれコドモたちも大きくなり気持ちのゆとりは少しはできた。
お祝いのフラワーアレンジメントを前もって送っておき、学校の都合で行けないコドモたちのメッセージも写真といっしょに書かせた。
「父の退職祝いリベンジ」といった気持ちもあり、ちゃんと祝ってこようと思った。

9月の北国は、歩けば汗ばむしツクツクホウシが力なく鳴いたりもしているが、空気の匂いはすっかり秋。
田んぼは見渡す限り黄金色。刈り取りの終わった稲があちこちにたてかけてある。
道端に咲き乱れるピンクや白のコスモス。
高く青い空に群舞する赤トンボ。
どことなく枯れた草木のようなひなびた懐かしい香りを風が運ぶ。
もう少し季節がすすめば葉が色づき柿がなり・・・ともっと風情が出てくるんだろうな。

会は夕方からだし、結局仕出しのお料理をとることにしたので、天ぷらや煮物の準備に追われることはなくてほっとする。
が、続きの和室にテーブルや座布団を並べ、皿やコップを並べ・・・
母と妹と私、近所のおばちゃんとで、山のような水菜を洗いサラダを作り、漬物のきゅうりを50本以上も切り、メロンやぶどうでフルーツ盛り合わせを作り・・・
田舎の家らしく、40人50人の宴会などいつでもできまっせ、みたいな食器やグラスの数々に驚く。
実家のどこにこんなに眠っているのか。

夕方6時過ぎ、続々とお客様が到着。
意外と若い方々が多く、しかも外人の方(ALTの方々)も来たりして、あたらめて父はこんな方々に囲まれてお仕事してたんだなあ・・・と。
みなさんの拍手の中、花束をいただいた母が涙ぐむ場面もあり、ああよかったなあ、ホントに長い間おつかれさまでした・・・としみじみ。

お客様たちがお帰りになったあとには、洗っても洗っても終わらない洗い物の数々。一時間以上洗ったか・・・。
そして、手付かずのお料理が大量に残る。
「足りないよりはいいんだから」と母が多めに発注した模様。
フライ類はいいとして、寿司や刺身はすぐ痛んでしまう。
もったいないー。
残った身内で夜中11時すぎにそれぞれのおなかにおさめたり、刺身などを甘辛く味付けして火を通したり。
寿司大好きなうちの子たちがいればなあー。

次の日も朝から、寿司桶にまだまだびっしり残っている寿司を食べねばならず・・・。
もったいない病が発動して、残ったエビフライやら串カツやらをタッパー3つ分つめこんで帰りの新幹線に乗ったのであった。

息子も娘も「ばあちゃんち行けばよかったー」とデジカメで撮った豪華料理を見てくやしがる。
妹のコドモたちが皿洗いやテーブル運びをしてお金をもらったというのも悔しかった様子。
きのうの夕ご飯は実家からテイクアウトしてきたエビフライや角煮などなど。
コドモたちは喜んで食べたが、私はなんだかもうしばらく何も食べたくないという気分・・・。

退職してやっとゆとりができるかと思った父だが、けさ電話すると何やらまた新市の役所関係のお仕事の打診があったらしい。
秋野菜も植えないと、とのんびりする時間はなさそう。
「貧乏ひまなしだ」と電話で笑っていたが、生涯現役でこれはしあわせなことだよなあ・・・と思う。

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