今となっては道明寺氏宅への最後の訪問。
その日も契約時間をすでに1時間半超過していたが、道明寺氏の「指導」は続いていた。
返すべき言葉もみつからず黙るしかない・・・。

沈黙が続いたと思うと、「はい。もうお引取りくださってけっこうですから!あなたのような方でも『よくいらっしゃいました』と待っている方もいらっしゃるんでしょう」と道明寺氏。
こうなっては一刻も早く解放されたいと思っていた私は「・・・失礼いたしました」と玄関のほうに向かう。

すると・・・道明寺氏、おもむろに立ち上がり「はあーまったく!じゃあ私は掃除をしますよ。他の人たちは私が何も言わなくてもちゃんと掃除もしていってくれるのに」という。
時間(もなにもあったもんじゃないが)はとっくに過ぎていたし、「やるべきこと」に「掃除」という項目はない。
ただ、「時間がある場合は掃除」とは聞いていたが。

掃除しろってことかと思い、「・・・お掃除いたします」と戻ろうとすると、「お引き取りください!」と道明寺氏私を玄関のほうへ追いやる。
もうどうしようもなく、私は玄関から外へ出た。
一歩出たとたん、ガチャッガチャッと二箇所の玄関の鍵を閉める音が高らかに鳴る。

はあーーー?とも思うが、お客様なのに不快な思いをさせて申しわけないなあとも思う。
たしかに私はこうして離れればとりあえずそれで終了だし、その場にいた時間はお金がもらえるわけだし。
まあ、とにかく「解放された・・・」と思いながら会社へ戻る。

「戻りましたー・・・」と一歩入ると・・・何人かの人が「だいじょうぶ・・・?」と心配そうな顔をして出迎えてくれた。
たった今、道明寺氏からものすごい剣幕で苦情の電話がきたところだ、と。
たまたまその場には私の前に実際に道明寺宅に入って撃沈した先輩が何人かいた。
「がんばったよね。がんばったよ、磯野さん」といって肩を抱いてくれる先輩。
・・・思わず私は先輩に抱きついてホロリとしそうになる。

やっぱり先輩たちも同じように大変な思いをしたんだ・・・と思うと、そうして「がんばったよ」と声をかけてくれたことがとってもとってもうれしかった。
その場にいた人たち、「一生懸命やったって難癖つける人だから」「早く忘れることだよ」「がんばったってあれほどがんばりがいがなかったお宅はない」「私が行ってから一年たつけど、今でも夢に見るくらいイヤな体験だった」「あれはイジメだよね」。
・・・・行く前は聞けなかった、現場のナマの声を初めてこのとき聞く。

「勉強になるから」なんて言葉は一体なんだったんだろう。
がんばろうががんばるまいが最初からダメだったのかもしれない。
行った人はみんな大変な思いをしてきたんだ。
現場のこの声は今までだって上の人たちに届いていたはずなのに、なんとかならなかったんだろうか。
それとともに、「みんなダメだったんだ。なら私が認められるようがんばっちゃうぞー」なんて思い上がっていた自分も恥ずかしかったしバカだなあとも思った・・・。

確かにものすごくたくさんのことを学ばせていただいた。
世の中にはああいう人もいるんだということ。
どう言えば人が最大級に傷つくのかを学んだこと。
そして、他の利用者さんのお宅に行って「待ってたよー」「ありがとう」「また来てね」と言われることがどんなにありがたいことなのかがわかったこと。
私たちは何気なく訪問していて、よそのお宅の冷蔵庫から押入れまで平気で開けることに慣れてしまっているが、訪問介護員という他人を家に入れることは実はその家の人にとってはストレスでもあるのだということ。
そしてその「慣れ」の中で、「どうせ年寄りだからわからないだろう」という気持ちが少しでも自分の中にできていたこと・・・。
いろんなことに気づかせてもらった。
その意味では感謝すべき体験だったんだと思う。

ここ一ヶ月、悪い夢を見ていてなんだかやっとその夢から覚めたような気持ち。
もう思い出したくない!と思ったが、こうして書くことでマイナスの経験もプラスにできた気分。
だいありーさんのおかげです。

やっとしつこいカゼも抜けて平穏な日々が訪れた。
どん底があると普通の何気ない日々がしあわせだと思える。
でもこの一ヶ月で白髪が増えたかも・・・ううう。

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