老年離婚

2005年11月16日 日常
父が退職してから2ヶ月が過ぎた。
北国はそろそろ冬の気配だろうと電話してみる。

父が出る。
「集まりがあったり神社関係の正月の準備があったり、畑もやらなくちゃいけないし、忙しくて書類の片付けもなかなかできない」とのこと。
まあ、やることがないよりいいしボケるヒマもないのは何よりのこと。

そして・・・「ばーさんはなんだかさっき隣に出かけたっきり帰ってこない。なんだか俺がいると『茶のみ友達もこなくなった』と言ったり、毎日弁当も作らなくていいから朝もラクだろうと思っていたのに、『弁当作るから出かけてくれたほうがよかった』と言う」と声を落とした。
ああー・・・。母の気持ちも父の気持ちもよくわかるなあ・・・。

父は昔から仕事熱心で現場が大好きな教師だった。
私が子供のころ家にはしょっちゅう父の教え子たちが出入りしていたし、休みの日でも教え子たちと遊ぶために学校に行くようなそんな古き良き時代の教師だった。
クリスマスや誕生日・花火大会などのイベントごとを約束していても仕事で帰ってこなくて、さびしい思いをしたことは数知れず。
昔のことなので「遅くなる」と電話一本するわけでもなく、私たちはただひたすら父の帰りを待ったものだった。

母がどんな思いだったかは知らないが、「出かけた人はいつ帰ってくるかわからないから」といつも力なく笑って言っていた。
きっと子育て中は「自分の子供たちよりよその子たちを優先するなんて」と母なりに残念な思いをしてきたにちがいない。

校長を定年退職したあともついこの前まで教育委員会に勤務していたので、父不在は当たり前。
母は母の気楽な老後を近所の茶のみ友達たちとのんびりと過していたのである。
そこへ父の退職。
本来なら「おとうさん今までお疲れさま。これからはゆっくりしてください」とねぎらうべきなのはわかるが・・・ううーん・・・。

木曜9時のドラマ「熟年離婚」を思う。
定年退職した夫に対して妻が一方的に「離婚させてください」というところからドラマは始まった。
おっとりとした妻役の松坂慶子のセリフは世の妻たちの言いたいことを丁寧に言ってくれている。
ダンナが退職して毎日家にいられるなんて私だって耐えられない。
お金さえ困らなくてあんな再就職先とあんなマンションに住めるなら即離婚である。

でも回が進むにつれて、不器用なおとうさんを演じる渡哲也が見ていてあまりにもいじらしくかわいそうにも見えてくる。
ドラマの中で、こんなやりとりがあった。
妻「あなたが家族のためにいったい何をしたっていうんですか!」。
夫「俺が家族のために何もしてこなかったというのか!」。

・・・ああーと思う。
「何かする」ということの認識がズレている。
「あなたは子供が熱で大変だったときもゴルフでいなかった」などあのときもああだったこうだったそんなことの積み重ねが・・・という妻に対して、「そんな昔のこと!」と言い聞く耳を持たない夫。
ううーわかるわかる。
ホントにそうだよ。ウチもそうだ。

「熟年離婚」の夫婦も私たちも、そしてうちの父母も。
言い古された言葉で言ってしまえば、「仕事のため家庭をかえりみない夫と、どうせ言ってもしょうがないとあきらめ家庭のことはすべて自分でやってきた妻」。
男側の論理としては仕事をするのは家族のため、というのはアタマではわからないわけではないけれど。
仕事仕事で夫がいないのがあたり前の状況で妻と子供たちの生活が回っていて、急に退職したからといって家にゴロゴロされたり食事を待ったりされたら・・・・。

母の様子が気になって、あとでまた電話する。
もし私が母の立場ならノイローゼっぽくなるかもしれないし、ひとりの気楽な時間がほしくてイライラするかもしれない。

・・・「じーちゃんこんなこと言ってたけど?」と聞いてみると、母は「ああーそうねえ。でも何かあったときひとりでいるよりだれかいれば安心だしねえ。もう年寄りじいちゃんとばあちゃんだからねえ」とのんびり笑う。
そうかそうか。
ドラマの夫婦はまだ60歳で若いけど、父母はとうに70過ぎてるしね。
心配しすぎだったみたいでよかったよかった。
北国の冬は長くて寒い。
年寄り二人暮らしのこと、ひと冬年を重ねるごとに心配だけれどなんとか長生きしてほしいなあと思う。

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