今このとき

2005年11月26日 日常
きのうの夜、寝る前にハムゲージのそばを通るとクリーム♂が動かないでまるまっている。
いつもなら勢いよく回し車をまわしていて、そばを通りかかるとすぐさまゲージにのぼってくるはずなのに。
「クリーム?」と声をかけ、ゲージを開けてふわふわの白い背中を触るが反応なし。
手にのせると目は閉じ耳はたれて体に力がなく、なにより足が冷たい。
今までの経験からいって、足が冷たくなっているハムはもうダメ。

夕方までは元気だったはずなのに・・・とファンヒーターをつけて部屋をあたため、タオルで包んでホットカーペットの上に乗せ手で温める。
こうなってしまってはもう時間の問題だ。
今までのハムもドライヤーやコタツであっためてもダメだった。
死ぬ前に気がついてよかった。

これは神様がくれたクリームとのお別れの時間・・・と思い、しばらくそうして手の中であたためる。
息はしているが手の中で動かなくなった生き物からほわーっと白い魂が抜け出し、今にも天に召されるかと思うほどだった。

クリームを手であたためながら、もう二度と会えないだろう利用者さんのことを思う。
90歳のおじいさん、仮にIさんとする。
Iさんはもう自力では何もできなくなりここ一ヶ月はほとんど寝たきり。
「ちょっともう3分の2くらいあちらの世界に行ってるみたいであぶないよね・・・」とヘルパー同士話していた。

その日の朝、私はIさんの顔を拭きヒゲをそり食事を食べさせた。
ヒゲがうまくそれなくてやり直しをするのもなんなので、「次に来たとき一度でじょうずにやろう」とそのままヒゲそりを片付ける。
しばらくして私が洗濯物をたたんでいてふとIさんを見ると目が合う。
白い障子越しの小春日和の日差しに包まれ、小鳥のコドモのようなポヤポヤの髪の毛のIさんは、とてもかわいらしい赤ちゃんのような笑顔を私に向ける。
ああ、なんて無邪気なかわいい笑い顔なんだろう・・・と私もつられて微笑む。

Iさん宅は新人のころから訪問していて、元気だったころのIさんには何度もどなられた。
認知症が進み誰に何を怒っているのかわからない瞬間があるらしい、とアタマで理解してはいたものの、まだ新人の私にはそれがイヤでIさん宅訪問が気が重くなることもあった。
季節がめぐり秋が深まるにつれて、すっかりIさんは力がなくなり赤ちゃんに戻っていっているかのようだった。

私が行った日の夕方、Iさんは入院した。
もうダメだろう・・・とのこと。
最後のIさんの菩薩のような笑顔と部屋いっぱいに広がる白くて明るい日差しは、きっと何年たっても私の頭の中で鮮明に思い出せるだろう。

訪問介護のお仕事を始めて1年が過ぎ、亡くなったり入所したりでもう二度と会えない人も何人かいる。
それでも、Iさんのように長く訪問していて愛着がわいて・・・もう会えなくなる、というのは初めて。
つきあいが長くなるほど哀しく寂しいものだ。
この仕事はまさに出会いと別れ、人との触れあいだなあとしみじみ思う。

学校のお仕事をしていたときもそれこそ毎年たくさんの人との出会いと別れがあった。
それでもこの空の下元気で生きているんだから、また縁があったらどこかで再会するだろうと思えた。
でも、介護のお仕事は・・・「次」や「今度」はないかもしれない。
普段はあまり意識せずに「次はこうしよう」「今度はああしよう」と思うことは多々あるが、「今このとき」は一度しかない。

なんだかそんなことを思いながら、自分ではどうしようもない流れの中に身をゆだねざるをえないやるせない気持ちでクリームをしばらく温めた。
30分ほどそうしていて、「クリームありがとう」とお別れを言ってタオルに包んだままゲージに戻してやる。

朝、目が覚めて、クリームのこと娘に言わなくちゃとか、どこに埋めてあげよう、ビワの木の根元がいいかなとか、あれこれふとんの中で思う。
居間に下りていってクリームのゲージをのぞく。

すると!
クリーム、元気にゲージをのぼってくるではないか!
手にのせるといつものように元気で足もあたたかい。
あーよかった!蘇生した!
100パーセントだめだと思っていたのでこちらがびっくり。
きのうに夜中に気がついてお別れのつもりであたためたのが良かったか。

あのときああすれば、と後悔が残るようなことはしたくない。
一瞬一瞬を大切にしたい。
Iさんのヒゲのそり残しは病院で看護師さんにでもそってもらっただろうか・・・。

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