夏休み初日

2006年7月21日 日常
息子・娘はきょうから夏休み。
昼過ぎに私が仕事から戻ると、テーブルの上には息子の食べ散らかしたカップラーメンやお菓子のゴミが散乱し、「プリ撮り」という娘の書き置きが。

「夏休みが天王山」と気合が入っていたはずの受験生の息子、どうやら朝からゲーム三昧だったらしい。
娘は早朝から部活に出かけ帰ってきたと思ったらプリクラ。
よくもまあ毎度毎度同じメンバーでプリに行くもんだ。

今年の夏はセミが鳴かない。
先週と違って涼しいし。
夏休みってカンジがしない。

何年か前までの夏休みはホントに夏休みらしかった。
自分もコドモたちといっしょに仕事がすっかりお休みになり、どこに出かけるのもコドモたちといっしょ。
今思うと、そのころの夏休みは解放感とのんびりした時間の流れでキラキラしていた。
主婦仲間たちと子連れでプールに行ったり食事に行ったり旅行に行ったり。
花火大会やお祭りにも行ったな。
そんな夏の企画を考えるだけでわくわくするから夏休みはとっても待ち遠しかった。
コドモをだしにして自分も楽しめた。

今ではコドモたちはどこに行くにも友達同士で出かけるようになった。
家族で楽しむ、ということはもともとウチにはなかったからもう「家」に求心力はない。
おとうさんとおかあさんの会話がない家だし、金がなくて何か買ってもらえるわけでもどこにも行けるわけでもないし、コドモたちだって家に魅力はないだろう。
もうウチは家族という形は崩壊しつつあるなあ・・・と思う。

日々コドモの成長につきあっていると、その過程で自分の人生を追体験している気になる。
息子を見ていると、希望の高校に入れるのか不安でもなんだかモヤモヤした中3の夏休みを思い出すし、娘を見ているとちょっぴりオトナの中学生という世界にポンと入ったときのときめきや感動を思い出す。
そしてそのときどきの自分の父母の言葉や気持ちをも思い出す。
コドモがいることで自分の今までの体験がいろんな角度から肉付けされるようなカンジ?

それにしても、やらなくちゃいけないことがたくさんありすぎて余裕がない。
主婦友に「最近、生活変わったよね?だいじょうぶ?」と言われた。
前の私はいろんな映画やテレビを見たり本を読んだりしていたから、気持ちや生活にゆとりがあって楽しそうだった、らしい。
そしてそこんとこが私らしいところだった、と。
そうかー・・・。
でも「私らしい」っていったい何?

もうねえ、何がなんだかさっぱり。
すべてが「働いて金を稼ぐ」ということの前では無力になる。
いろんなことで迷走できたり悩んだりできたりするのは、生活にゆとりがあったからなんだろうな。

仕事できょう訪問した家ではすいかをゴチになった。
一個3800円のスイカをざっくり大きく2カット。
・・・先日、コドモたちにスイカくらい食わしてやらないと、とスーパーで買った安売りの6分の1カット298円とは比較にならない甘さ。
ここの家では以前4分の1カットのつゆだくメロンをゴチになったっけ。
半分もらって帰ってコドモたちに食べさせたい・・・なんてことを思った自分がちょっぴりカナシくなった夏休みの初日。

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