りっちゃんのエンゼルトランペット
2006年7月30日 日常
庭のすみっこに植えたエンゼルトランペットが黄色い花を咲かせた。
トランペットの形の花が夏の日差しに映えてなかなか豪華。
秋にりっちゃんにもらった株だからぜひとも根付かせて咲かせたかった。
りっちゃんはもういない。
訪問介護で初めてリツさん宅に行ったのは去年の夏のこと。
娘さん夫婦は近所でラーメン屋さんを営んでいるので日中はひとりになる。
90歳を過ぎて一日のほとんどを寝たり起きたりで縁側で過ごすようになったリツさん。
行くといつも縁側にちんまりと座って外を見ていた。
花が好きだというリツさんが若い頃育てた数々の草花が夏の日差しの中に咲き乱れる。
ノウゼンカズラやサルスベリ、ハイビスカス・グラジオラス・松葉ボタン・・・夏の日差しに負けないそれらの花たちが原色を競う。
夏だったから庭はどこまでも白く明るく、室内から見るとリツさんの小さい影が逆光になって一枚の絵のようだった。
庭の中でもひときわ目をひいたのがエンゼルトランペット。
子供のひじの先ほどの長さのある花弁が鈴なりに垂れ下がり、ピンクや黄色・白の15センチほどもある花を豪華に咲かせている。
「これはダチュラ」「よくふえる」とリツさん。
お店の合間に顔を出す娘さんに聞くと、アジサイといっしょで枝を切ってさしておけば簡単に増やせるという。
娘さん、「りっちゃんがこの花が大好きで、庭中たくさん増やしたの。これがまたバカみたいに増えるんだわ。みんなに持ってけ持ってけってりっちゃんが言うからあちこちにうちの花が嫁に行ってるよ」。
リツさんとのポツポツとした話の中で、ダチュラには甘い香りがあるけど毒があることや今はみんなダチュラとは呼ばないということを知る。
ダチュラという響きがいかにも妖婦らしいので名前が変わったんだろう、とも。
調べると、よく聞く「エンゼルトランペット」というのがこの花の名前。
天使のトランペットなんてうまい名前をつけたもんだ。
同じ花なのに受けるイメージがまるっきり違っていかにも真夏の花らしいパキッとした明るい響きがある。
夏が過ぎコスモスが咲くようになっても、リツさんの庭のエンゼルトランペットは次々と花を咲かせ続けた。
夕方になると窓からの風が冷たくなる秋のころまで。
そのころにはリツさんは寝ている時間が長くなり一日のほとんどを寝てすごすようになった。
「リツさん来月より入所のためケア中止」の連絡を見たのは10月の末だったか11月の末だったか。
週に2,3回ずつ訪れていてまだあまり利用者さんとのお別れを経験していなかった私にとってさびしいものだった。
最後の訪問の日、夢の中にいるようなリツさんにお礼の言葉をいい手を握る。
ニコっと笑うリツさん。いろんなしがらみから遠ざかった幼女のような笑顔。
娘さんが隣の部屋からエンゼルトランペットの枝を抱えてきて「よかったら持ってって。切っといたから」と言う。
10本ほどの枝にはマジックで「ピンク」「黄色」「白」などと書かれている。
「冬の間はね、バケツに入れといて水替えて。肥料はたくさん食うからね。色によって根付きにくいのもあるみたい」。
そうしてもらってきたエンゼルトランペット。
根が不精な私は寒い部屋での水替えをまめにはできず、それでもりっちゃんのエンゼルトランペットだから枯らすわけにはいかない、と気にしつつ冬を越した。
ただの枯れ枝みたいだった10本のうち、春になって小さな若芽を出したのは「黄色」と書かれた2本の枝のみ。
あとはどうやらダメ。
バカみたいに増えるはずだったのに、私のお世話が足りなかったらしい・・・。
2本の若枝を庭に植えた5月の連休明けの頃。
「リツさん施設にて逝去されました」との連絡を見る。
うちに嫁にきたりっちゃんのエンゼルトランペットは黄色い花を咲かせた。
ピンクや白はダメにしてしまったとチクンと胸が痛む。
去年の夏のリツさんとの時間を思い出す。
そのときの日差しのまぶしさや庭を渡ってくる風の心地よさもいっしょに。
それは私の中では永遠だ。
8月が来る。
トランペットの形の花が夏の日差しに映えてなかなか豪華。
秋にりっちゃんにもらった株だからぜひとも根付かせて咲かせたかった。
りっちゃんはもういない。
訪問介護で初めてリツさん宅に行ったのは去年の夏のこと。
娘さん夫婦は近所でラーメン屋さんを営んでいるので日中はひとりになる。
90歳を過ぎて一日のほとんどを寝たり起きたりで縁側で過ごすようになったリツさん。
行くといつも縁側にちんまりと座って外を見ていた。
花が好きだというリツさんが若い頃育てた数々の草花が夏の日差しの中に咲き乱れる。
ノウゼンカズラやサルスベリ、ハイビスカス・グラジオラス・松葉ボタン・・・夏の日差しに負けないそれらの花たちが原色を競う。
夏だったから庭はどこまでも白く明るく、室内から見るとリツさんの小さい影が逆光になって一枚の絵のようだった。
庭の中でもひときわ目をひいたのがエンゼルトランペット。
子供のひじの先ほどの長さのある花弁が鈴なりに垂れ下がり、ピンクや黄色・白の15センチほどもある花を豪華に咲かせている。
「これはダチュラ」「よくふえる」とリツさん。
お店の合間に顔を出す娘さんに聞くと、アジサイといっしょで枝を切ってさしておけば簡単に増やせるという。
娘さん、「りっちゃんがこの花が大好きで、庭中たくさん増やしたの。これがまたバカみたいに増えるんだわ。みんなに持ってけ持ってけってりっちゃんが言うからあちこちにうちの花が嫁に行ってるよ」。
リツさんとのポツポツとした話の中で、ダチュラには甘い香りがあるけど毒があることや今はみんなダチュラとは呼ばないということを知る。
ダチュラという響きがいかにも妖婦らしいので名前が変わったんだろう、とも。
調べると、よく聞く「エンゼルトランペット」というのがこの花の名前。
天使のトランペットなんてうまい名前をつけたもんだ。
同じ花なのに受けるイメージがまるっきり違っていかにも真夏の花らしいパキッとした明るい響きがある。
夏が過ぎコスモスが咲くようになっても、リツさんの庭のエンゼルトランペットは次々と花を咲かせ続けた。
夕方になると窓からの風が冷たくなる秋のころまで。
そのころにはリツさんは寝ている時間が長くなり一日のほとんどを寝てすごすようになった。
「リツさん来月より入所のためケア中止」の連絡を見たのは10月の末だったか11月の末だったか。
週に2,3回ずつ訪れていてまだあまり利用者さんとのお別れを経験していなかった私にとってさびしいものだった。
最後の訪問の日、夢の中にいるようなリツさんにお礼の言葉をいい手を握る。
ニコっと笑うリツさん。いろんなしがらみから遠ざかった幼女のような笑顔。
娘さんが隣の部屋からエンゼルトランペットの枝を抱えてきて「よかったら持ってって。切っといたから」と言う。
10本ほどの枝にはマジックで「ピンク」「黄色」「白」などと書かれている。
「冬の間はね、バケツに入れといて水替えて。肥料はたくさん食うからね。色によって根付きにくいのもあるみたい」。
そうしてもらってきたエンゼルトランペット。
根が不精な私は寒い部屋での水替えをまめにはできず、それでもりっちゃんのエンゼルトランペットだから枯らすわけにはいかない、と気にしつつ冬を越した。
ただの枯れ枝みたいだった10本のうち、春になって小さな若芽を出したのは「黄色」と書かれた2本の枝のみ。
あとはどうやらダメ。
バカみたいに増えるはずだったのに、私のお世話が足りなかったらしい・・・。
2本の若枝を庭に植えた5月の連休明けの頃。
「リツさん施設にて逝去されました」との連絡を見る。
うちに嫁にきたりっちゃんのエンゼルトランペットは黄色い花を咲かせた。
ピンクや白はダメにしてしまったとチクンと胸が痛む。
去年の夏のリツさんとの時間を思い出す。
そのときの日差しのまぶしさや庭を渡ってくる風の心地よさもいっしょに。
それは私の中では永遠だ。
8月が来る。
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