運転中、ラジオで流れていた話。
高校生の履修漏れの話題を世間話のノリで軽くしゃべっていたパーソナリティとゲスト。
ゲストは大学の講師だか助教授だかで理系の方。

「お客様のニーズに、よりお応えするのが私立学校のウリなんだから、私立なんて必修しかやらないのはあってもおかしくない話だよね」
「でもやっぱり学生の本分は広く教養を深めることだし」
「そうはいっても実績を数字に出したモン勝ちでしょ。ヤバい橋でも渡るって」。

息子といっしょに高校訪問をしたときの説明と重なって、そうだなあと思った。
ここらの私立高校は最近やたら勢いがあって、どこでも「○○大学合格△人!」だとか「全員MARCH以上合格!」だとかそんな説明が多かった。
予備校じゃないんだから・・・肝心の高校生活はいったいどうなってんの?と思うような説明。
今回のニュースで、履修漏れしてないほうがフシギと思っていたらやっぱり、だった。

なんて思っているうちに「歴史」の話題に。

理系の大学助教授、
「だってさ、オレはっきり言って聖徳太子がどうしたこうしたなんて知ったこっちゃねえもん。今まで45年以上生きてきたけど、聖徳太子のことなんて知らなくても生きてこられたもん」。
「『社会』の学習のうち世界史とか日本史とか、とにかく覚えなくちゃ話になんなくてものすごい負担だった。しかも興味持てないし。
たとえば同じ『日本史』だとしたって現在の世界の状況からさかのぼれば実感があって興味持てるかも知れないけど、稲作がどうのこうのとか石器がどうのこうのって・・・ねぼけてんじゃねえよって話だよ?」。

へえー。そうなんだあー。
理系の人ってやっぱり考えが違うなあー。
私からすれば、今まで40ウン年生きてきたが、二次方程式や関数なんて知らなくても生きてこられた。
それこそ知ったこっちゃない、のだった。

今では物覚えが悪くなったからダメだが、学生の頃なら「暗記すればいい」だけならこんなに簡単なことはなかった。
ロマンが感じられて日本史も世界史も好きな科目だった。
同じ歴史でも現代のことより昔のことのほうが興味が持てたし。

助教授続けて、
「そこからいくと、数学や物理なんてのは学問としては美しい。まる暗記なんてくだらないことしなくていいもんな。数式や放物線の美しさなんて何時間しゃべっても足りないくらいだ」・・・と。
映画にもなった「博士の愛した数式」でもそんなこと言ってたな。

忘れもしない「数列」で落ちこぼれた私。
高校を卒業したときに何がうれしかったかっていうと「もう数学を勉強しなくていい!」ってことだった。
でもそんな数学も、見る人から見れば「美しい学問」なのだね。

オトナになって「人に教える」立場から見ると、たしかに数学や英語みたいに考え方や答えが決まっているものはわかりやすい。
逆に、自分の専門だった「現代文・古典」なんて教える側の人間性が問われる学問だろう。
「地理歴史」もどんなふうに興味持たせるか大変だろうなあ。
自分が好きな科目だからって、人に興味を持たせたりうまく教えられるわけでもないし。

ハンドルを握りながらいろいろと考えたお話。

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