つらい事件

2007年5月17日 日常
「その日は母の誕生日でした」・・・。
男子高校生が母親を殺したニュースに心が痛む。

私も同じ日に誕生日を迎えたばかりだ。
年もひとつ違うだけだし進学校に通う男子高校生を持つ。
とても他人事とは思えなくて、ニュースを見るたび胸がキリキリと痛む。

どうしてこんなことになっちゃったんだろうなー・・・。
おかあさんには自慢の息子だっただろう。
息子を家から離れたいい高校に通わせるためがんばって働いていただろう。
・・・息子が高校になじめていないと気づいたとき、不登校になってしまったと知ったとき、どんなにつらかっただろうか。
どんな思いで60キロ離れた息子の下宿先へ毎週末通っていただろうか。
母の日には感謝の気持ちを伝えてもらえただろうか。
誕生日にはおめでとうの言葉が聞けるかなと少しの期待とあきらめの混じった気持ちで床についたのだろうか。
おかあさんの気持ちを考えるとつらくて涙がにじんでしまう。

私も地方の県立進学校の高校生だった。
広い県内に進学校は数えるくらいしかないので、通えない子は親元を離れて生活していた。
そんな下宿生がクラスに10人以上はいただろうか。
親戚の家に世話になっていたり、食事つきの高校生専用の下宿だったり。
親戚や下宿のおばちゃんなどのオトナの目があればまだいい。

当時のこと、同じ部活にアパートでひとりで生活していた子がいた。
学年が進むにつれて勉強と部活と生活が追いついていかず、生活が乱れなげやりになっていった。
大人の目が届かないアパートもたまり場になりがちだった。
中学ではそこそこ一目置かれていた存在の生徒たちが集まる進学校の中で埋もれていって、自分を見失ってしまった彼女は学校にこなくなってしまった。
みんながみんなそうではないけれど、まだ15や16くらいで親元を離れるのは早いだろうとコドモが高校生になった今なら思える。

それでもそれは地方の現実。
子供に高い教育を受けさせたいと思ったら、高校からか大学からは家から出してやらねばならない。
田舎に住む親はそのためにがんばって生活をきりつめ寝る間も惜しんで働く。
いったん都会に出て行った子供は、親のありがたさも忘れ田舎の親元には戻らなくなってしまう。
私もまさにその親不孝モノの典型。
ここは自分の住処じゃないと感じつつも田舎にも戻れない、40過ぎた今となって自分の安住の場所がわからない根無し草になってしまっている・・・。

そして、いくら中学でいい成績しかとっていなくても高校では確実に1番から360番まで順番がつく。
それだって進学校の現実。
そのへんの事情もよくわかるだけにつらい事件だ・・・。

きっと男の子はおかあさんが大好きだったんだろう。
だからこそこんな事件になっちゃったんだろう・・・。
思春期の男の子は谷川にかかった一本橋を渡っているみたいに見ていて危うい。
うちの高校生ももうすぐ洗礼の一学期中間テスト。

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