今月に入ったころからか左ひざが痛い。
歩くのは普通なのだが、痛くてしゃがめない。
階段を下りたり上ったり、立ったり座ったりがつらい。
ひざに厚い布地をぐるぐるまきにされたようで、もちろん正座もできない。

ついに私もじいさんばあさんと同じ「変形性膝関節症」の初期か・・・とがっくり。
老化によりひざの軟骨がすり減り40代より発症するもので、60代では3人にひとり、70代では2人にひとりがコレだそう。
じいさんばあさん、立ち上がりがつらそうだし階段もきつそうだもんな・・・。

私の場合、お仕事でしゃがむ動作が多いので知らず知らずのうちにひざを酷使していたのかも。
しゃがめず床の水ぶきができないお年寄りが多いからこそ、私たちの出番があるわけで。
腰には気をつけていたけどひざまでは・・・。
働かなくちゃ!とここ2年ほど来る仕事はこばまず、だったし。
・・・働きすぎたのか?

春は何かと物入りで稼ぎ時だけど、とりあえずしゃがむのが多い仕事を減らしてもらう。
そうすると、別に普通の生活をしている分にはしゃがめないことは思ったほど困るわけでもない。
イスの生活をすればいいし、家の階段はしょうがないが、外ではエレベーターやエスカレーターを使えばいいし。
そう思うと、やっぱり人よりひざは酷使していたんだろうなあと思う。

整形外科は行ってどうなるというわけでもないけれど、原因をはっきりさせるために行ってみた。
行くと、杖をつきながらやっとやっと歩いているおばあちゃん、車イスのおじいちゃん・・・私なんかスイスイ歩けてもうしわけないと思うほどの歩行困難な人たちであふれかえっている。
年をとるということは関節がうまく機能しなくなる、ということなんだな。
自分の体の重さをささえきれずに階段があがれない・・・なんて想像したこともなかったよ。

よくお年寄りが「きょうはひざが痛くて・・・がくんがくんするのよ」と言い、「大変ですよね。寒いからよけいそうですよね」なんて返していたが、私はさっぱりそのつらさがわかってなかったんだなと今思う。
ひざの痛みは、年をとればとるほど「このまま歩けなくなるのではないか」という不安につながる。
痛みそのものよりもその不安におしつぶされそうになる。
私でも夜中の3時ごろふと目覚めて「このまま働けなくなったら?歩けなくなったら?」と考え始めると、もう不安でたまらない。
80代のお年寄りだったらなおさらだろうな・・・。

レントゲンをとったらひざ関節は加齢により減っている気配はあるが半月板とともに特に問題なかった。
「じん帯かな?湿布をはって様子をみて、2週間してまだ痛みがあったらまたきてください」とのことだった。
・・・変形性ひざ関節症じゃなかった。ほっ。

それでもひざは曲げると痛いのでしばらくはイスの生活。
「もう曲げるとひざが痛くてさー。これじゃあ春になっても草とりもできないし、野菜も植えられないよ。庭仕事ができないよ。新聞だってしばれないしさ」。
息子にそう言う。
すると息子、「じゃあ『語り』もできないね」。
・・・語り?
私をふくめて主婦友たちがコンビニの前でしゃがんで『語って』いる様子が目に浮かび笑ってしまう。
「アンタたちと違っておかあさんたちはウンコ座りしませんから」と私。

その会話を聞いていて娘も何か気の利いたことを言わなくちゃと思ったらしい。
多少カミながら「き・金魚すくいもできないね」。
・・・金魚すくいーー?
どこからその発想が?
たしかにお祭りで金魚すくいやヨーヨーつりもできないけどさー・・・。

理科のテストで「ネコはたまごで生まれる」と解答し採点する先生をなごませたという娘。
小学生のときは「豊臣秀吉はなんと呼ばれたか?」みたいな問題(正解は「摂政」or「関白」だったか)で「さる」と書いていた・・・。
ナイス天然!である。

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