思い出はミックスベジタブル
2008年3月19日 日常仕事の移動途中。
コドモたちが通った幼稚園の前を通りかかる。
髪にふわふわの白いリボンを結んだ女の子、紺のハイソックスが初々しい男の子、明るい色のスーツ姿の若いおかあさん、カメラをかまえるおとうさん・・・おねえさんのような先生たちはりりしいはかま姿。
急いでかけつける親子連れは、正装の卒園児を真ん中に仲良く3人で手をつないで走る走る。
ああ・・・卒園式だ。
門の前でかわるがわる写真に収まる親子連れに、園庭の桃や梅がいろどりをそえる。
卒園・・・ってことは四月から一年生になるんだな。
小さい子が周囲にいなくなったため、園児たちのあまりの幼さが頼りなくもかわいらしい。
・・・うちの子たちの卒園のときもこんなにちっちゃかったっけ?
晴れの日に笑顔いっぱいの園児たち。
自分の子でもないのになんだかそんなことだけで涙が出そうになるのは、ほーんと私も年をとったってことだよ。
年をとると涙腺がゆるくなるのは、経験値があがったことでいろんな場面に自分の経験を重ね合わせることが増えるからだな。
あのときはこうだった、このときはこうだった・・・と。
ちょうど朝、なかなか起きなくて何も食べないで出かけようとする娘にキレたばかりだった。
ゆうべだって塾のことでぐちゃぐちゃもめたばかり。
「いってらっしゃい」も言わずにそのまま登校させて、いやな気分で車を走らせていたところだった。
そこに、この卒園式。
しっかりと手をつないで登園する親子連れを見ていると・・・ああーそうだったんだよ、と思う。
うちは当時から父親不在だったから、24時間、私とコドモたちと3人いっしょの生活。
いっしょに寝て起きて食べてテレビを見て絵本を読んで友達と遊んで。
ダンナへの失望はこのころからずーっと心の奥底でドロドロと澱のようにたまってはいたけれど、それでもコドモといっしょの生活は楽しかった。
今みたいに、時間に追われたり縛られたりすることもなかったし、勉強ができるとかできないとかそんなこともどうでもいいことだったし、教育費がかかってかかってまったく、と次から次へと迫り来る金策ハードルをやっとやっとの思いで越えていくこともなかった。
「おかあさんが大好き」というコドモの笑顔は絶対のもので、今みたいにこっちが一生懸命やっているのに不機嫌な顔をされることもなかった。
・・・というのは今だから思うことで、当時は当時で大変だったんだけどね。
でも、ふり返れば、思い出は時間によって浄化され、母子の蜜月の期間はキラキラと輝いている。
そんなことをふっと思い出すと、人の子の卒園式でなんだか涙が出てくるんだよー・・・。
俵万智の短歌にこんなのがある。
「思い出はミックスベジタブルのよう けれど解凍してはいけない」。
思い出にとらわれそうになるとこの短歌を思い出す。
見た目はキレイなミックスベジタブル。
お料理に入れたら彩り鮮やかでさぞおいしそう。
・・・でもそんなにおいしいものでもないことを私は知っている。
ミックスベジタブルはビニールの袋に入ったまま冷凍庫にあって「ああ、おいしそうな色」って見てるのがいいんだよ。
解凍してグズグズにしちゃいけないんだ。
コドモたちが通った幼稚園の前を通りかかる。
髪にふわふわの白いリボンを結んだ女の子、紺のハイソックスが初々しい男の子、明るい色のスーツ姿の若いおかあさん、カメラをかまえるおとうさん・・・おねえさんのような先生たちはりりしいはかま姿。
急いでかけつける親子連れは、正装の卒園児を真ん中に仲良く3人で手をつないで走る走る。
ああ・・・卒園式だ。
門の前でかわるがわる写真に収まる親子連れに、園庭の桃や梅がいろどりをそえる。
卒園・・・ってことは四月から一年生になるんだな。
小さい子が周囲にいなくなったため、園児たちのあまりの幼さが頼りなくもかわいらしい。
・・・うちの子たちの卒園のときもこんなにちっちゃかったっけ?
晴れの日に笑顔いっぱいの園児たち。
自分の子でもないのになんだかそんなことだけで涙が出そうになるのは、ほーんと私も年をとったってことだよ。
年をとると涙腺がゆるくなるのは、経験値があがったことでいろんな場面に自分の経験を重ね合わせることが増えるからだな。
あのときはこうだった、このときはこうだった・・・と。
ちょうど朝、なかなか起きなくて何も食べないで出かけようとする娘にキレたばかりだった。
ゆうべだって塾のことでぐちゃぐちゃもめたばかり。
「いってらっしゃい」も言わずにそのまま登校させて、いやな気分で車を走らせていたところだった。
そこに、この卒園式。
しっかりと手をつないで登園する親子連れを見ていると・・・ああーそうだったんだよ、と思う。
うちは当時から父親不在だったから、24時間、私とコドモたちと3人いっしょの生活。
いっしょに寝て起きて食べてテレビを見て絵本を読んで友達と遊んで。
ダンナへの失望はこのころからずーっと心の奥底でドロドロと澱のようにたまってはいたけれど、それでもコドモといっしょの生活は楽しかった。
今みたいに、時間に追われたり縛られたりすることもなかったし、勉強ができるとかできないとかそんなこともどうでもいいことだったし、教育費がかかってかかってまったく、と次から次へと迫り来る金策ハードルをやっとやっとの思いで越えていくこともなかった。
「おかあさんが大好き」というコドモの笑顔は絶対のもので、今みたいにこっちが一生懸命やっているのに不機嫌な顔をされることもなかった。
・・・というのは今だから思うことで、当時は当時で大変だったんだけどね。
でも、ふり返れば、思い出は時間によって浄化され、母子の蜜月の期間はキラキラと輝いている。
そんなことをふっと思い出すと、人の子の卒園式でなんだか涙が出てくるんだよー・・・。
俵万智の短歌にこんなのがある。
「思い出はミックスベジタブルのよう けれど解凍してはいけない」。
思い出にとらわれそうになるとこの短歌を思い出す。
見た目はキレイなミックスベジタブル。
お料理に入れたら彩り鮮やかでさぞおいしそう。
・・・でもそんなにおいしいものでもないことを私は知っている。
ミックスベジタブルはビニールの袋に入ったまま冷凍庫にあって「ああ、おいしそうな色」って見てるのがいいんだよ。
解凍してグズグズにしちゃいけないんだ。
コメント