親不孝の罰

2009年1月6日 日常
遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。
ボチボチ書いていこうと思います。

きのうからお仕事始め。
ダンナも仕事に行き、息子は部活、娘は塾、とあわただしい日常が戻ってきた。

年末年始は実家に。
雪もなくて日差しが暖かく、穏やかなお正月だった。
おみくじは今年は「小吉」。
去年のおみくじが良かったことを思うと、ちょっとがっかり。
でも「調子に乗らずに地道にしっかりと努力しなさい」ということが書いてあり、まあそのとおりだなあ、と。

それよりも母の体調が良くないのが気にかかる。
数年前から手術をしたり入院したりで、やっぱりずいぶんと気力も体力も衰えたなあとあらためて思う。
ここ2年ほど調子がいまひとつなのはわかっていた。
それでも、電話では元気だし月イチの野菜など詰めた宅急便も欠かさず送ってくれていた。
この前の夏休みに行ったときも、しょっちゅう横になってはいたがまあ元気だった。

でも今回はちょっと違った。
ちょっと前までなら、新聞やドラマ・ワイドショーなども母はよく見ていたので話題にはこと欠かなかったのに・・・。
目が疲れるから何も見る気になれないという。
買い物に行くのも疲れるから父に全部頼んでいるらしいし、人と会うのがおっくうになったと。
あまり外に出ないで一日家で寝たり起きたりしている様子。
近所のいつも行き来していた知人がおととし亡くなり、去年は親戚の不幸が相次ぎ、実の妹も他界した。
気丈にふるまってはいたもののがっくりきていたんだな・・・。

離れているからせめて電話で、と週に一度は電話していたが、元気そうで今までと変わりなさそうだったのに・・・わからないもんだな。
心配かけないようせいいっぱい元気にしていたんだろうな。

正月明けて私たちが帰る朝。
いつものように父と母は私たちを乗せた車が見えなくなるまで庭先で手を振る。
うっすらと霜が降りて庭も畑も植木も真っ白くなっているその景色の真ん中にぽつんと父と母。
すっかり白髪になってしまった父とやせて一回り小さくなった母の姿を見て心が痛む。
どうして私は家と故郷を捨てるようにして家を出てしまったんだろう?
どうして私は父母のそばにいてあげられなかったんだろう?
どうして私は大切に育てられたのに恩を仇で返すようなこんな親不孝をしてしまったんだろう?

ついこの前まで、父も母も元気で悠々自適の田舎暮らしだった。
でもふたりとも75を過ぎ、お互いに補い合うような生活になってきた。
病院に行くのも買い物もちょっとした電化製品の取り扱いも困るときがあるらしい。
近くにいたら、日常のこまごましたことを助けてあげられるのに。

息子も娘もそれぞれ忙しくなり、「孫の顔を見せてあげたい」という私の親孝行につきあわさせるのもここらで限界かも。
正月オフの日を全部じいちゃんばあちゃんちに行くのに使わせ、コドモたちにも申し訳ないと思う。
でもやっぱり孫の元気な姿を見せることがせめてもの罪ほろぼしのような気がして・・・。
近くにいたら日帰りで行けるからこんなことも悩まなくてよかったのに。

こちらに戻ってから電話すると、電話の向こうには元気そうな明るい声の母がいた。
元気じゃないのはわかってるのに。娘に心配かけないように、と。
私は・・・「近くにいればよかったねえ。ほんと失敗したねえ。なんでこっちに来ちゃったかね」と冗談めかして自分で言って、その言葉に涙がにじんで自分でもびっくりした。
泣いているのを母にさとられないよう笑って電話を切った。
身を切られるような思いも・・・私に与えられた罰なのかもしれない。

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索