お仕事で一人暮らしや老夫婦のお宅を訪問すると、娘さんが来ていることがたまにある。
どこのうちでもそうだが「娘の来訪」というのは空気がパッと華やぐもの。
閉め切った部屋に春の風がさあっと吹き込んでくるような。
きのう訪問したYさん宅にもちょうど娘さんが来ていた。
1年ほど前にだんなさんを亡くしたYさんは一人暮らし。2週間に1度くらい娘さんが来る。
テーブルの上には娘さんが買ってきた春色の散らし寿司や桜餅が並べられていた。
持参したタッパー類には手作りのお惣菜が詰まっているのだろう。
お掃除をしながら、聞こえてくる母と娘の会話を聞くともなしに聞く。
「おかあさん、ちゃんと野菜食べてる?ほうれん草さっき買ってきたから。ゆでて冷凍しておくからチンして食べてよ。ひじきとか大豆とかこういうのも体にいいんだからね」。
「今、駅から来たんだけどね、いつものたい焼きやさん、すっごい混んでてきょうは買えなかったあ。じいちゃん元気なときよく自転車で買ってきてたよねえ」。
「この前、○○(子供)が友達とディズニーランドに行ってきてばあちゃんに、ってクッキー買ったみたいなんだけど電車に忘れちゃったって。バカよねえ」。
「今度病院いつ行く日?パート休みにして送っていってあげようか?」。
ひとり暮らしの母を案じる娘の気遣いがそこここにあふれていた。
そして、悪く言えばかわりばえのしないYさんの毎日が、娘の来訪によって華やいでいるのもわかる。
何年か先・・・私もこういうふうになるのかなあ、とこの前までぼやっと考えていた。
コドモたちが大学に行くようになったら、今よりひんぱんに実家に行けるだろう。
行ったら一週間くらい泊り込んで、車で病院や買い物に連れて行ってあげたり、物置の片付けや庭の草取りもできるだろう。
食事もまとめて作って冷凍しておいてもいいな。畑仕事をする父の休憩に合わせてお茶を入れて、日のあたる縁側で父と母と三人でお茶を飲もう。
滞在中に温泉に連れていったり、いっしょに紅葉や桜を見にいくのもいいなあ。
20年以上離れていた分の親孝行をしなくちゃな、と勝手に思っていた。
現実は違った。
ついこの間まで私も母とYさん母娘のような会話をしていたはずだった。
出歩く機会が多い父と違って母はたいてい家にいたから、電話すればいつも母とおしゃべりできた。
息子のこと娘のこと。ダンナのこと。次から次へとお金がかかって大変だ、とか、ダンナの借金さえなければこんなことにはなってなかった、とか。
母はドラマもよく見ていたから、今度の大河は、とか朝の連ドラは、とか話していても楽しかった。
息子や娘のことを私が褒めてもけなしても、何でもうんうんと聞いて気の利いたコメントをしてくれた。ダンナは反応がないのでコドモのことだって話す気にもなれないが。
何かと絡みがある主婦友にはウカツなことは言えないから、グチやホンネが言えるのも母だけだった。
正月明けからこっち。電話をしても出るのは父。
「ばあちゃんどう?」と聞くと「うん。まあ」となんとなく言葉を濁す。
家業で忙しいのに加えて母の週に一度の病院通いや食事の支度や家事、さまざまなことが父の肩にかかってきて大変だろう・・・。
「体の調子もそうだけど、心が弱ってて少しでもめんどうだとかイヤな話は聞きたくないみたいだな。薬飲んで寝て起きて、だな」と父。
夏には「そのうち温泉でも連れていってやる」と父が言っていたけれど、温泉どころかスーパーに買い物さえ出かけなくなったという。病院に行くのでせいいっぱいらしい。
父が不在のときは、電話しても呼び出し音が鳴るだけ。
母は横になっているのだろう。
私からの電話はミッキーマウスマーチが鳴るのでわかるはずなのに、もう娘からの電話に出る気力さえなくなったのかな。
今までなら母に話していた会話。今は頭の中で繰り返すしかない。
ばーちゃん、聞いて。
娘、もうすぐ受験なんだよ。いよいよ本番。私立なら近くていいけど県立に入ってくれれば月謝が安くて助かるよね。野球部が強い学校だから入ったら楽しみだよね。でもさ、ホント息子と違って「ここしかない!」って思い込みがなくて助かるよー。
息子は部活がんばってるよ。今、先輩に卒業の色紙書いてるみたいで毎日忙しくて勉強するヒマなんかないって。数学とか物理、赤点だったらしいけどどうなったかな?もう3年生になるんだよ。この前入学したばっかりなのにね。夏まで部活やってそれからガーッと受験勉強かなあ。
・・・・。
こんなに急速に人間が弱ってしまうってこと想像してなかった。
仕事で行くおじいちゃんおばあちゃんは85歳くらいでも元気な人が多いから、75の母はまだまだ、と思っていた。
でも「年じゃない」んだ・・・。
数年前まで、私は娘としてまだ親に「してもらう立場」だったように思う。
ここ2、3年かな。ああ、私が「してあげる」立場にならなくちゃいけないんだ、と思うようになったのは。
何年か前までは、ばあちゃんがいなくなったらどうしよう?と想像すらしたくなかったが、今はとにかくそういうときが来たらしっかりと送ってあげられるよう自分がちゃんとしなくちゃと思う。精神的に強くならなくちゃと思う。
でも、何かを誰かに話したくて、その言葉の行き先がなくて心の中にぐるぐるしているとき・・・広い野原でひとりぼっちで母に置き去りにされた子供のような気持ちになる。
どこのうちでもそうだが「娘の来訪」というのは空気がパッと華やぐもの。
閉め切った部屋に春の風がさあっと吹き込んでくるような。
きのう訪問したYさん宅にもちょうど娘さんが来ていた。
1年ほど前にだんなさんを亡くしたYさんは一人暮らし。2週間に1度くらい娘さんが来る。
テーブルの上には娘さんが買ってきた春色の散らし寿司や桜餅が並べられていた。
持参したタッパー類には手作りのお惣菜が詰まっているのだろう。
お掃除をしながら、聞こえてくる母と娘の会話を聞くともなしに聞く。
「おかあさん、ちゃんと野菜食べてる?ほうれん草さっき買ってきたから。ゆでて冷凍しておくからチンして食べてよ。ひじきとか大豆とかこういうのも体にいいんだからね」。
「今、駅から来たんだけどね、いつものたい焼きやさん、すっごい混んでてきょうは買えなかったあ。じいちゃん元気なときよく自転車で買ってきてたよねえ」。
「この前、○○(子供)が友達とディズニーランドに行ってきてばあちゃんに、ってクッキー買ったみたいなんだけど電車に忘れちゃったって。バカよねえ」。
「今度病院いつ行く日?パート休みにして送っていってあげようか?」。
ひとり暮らしの母を案じる娘の気遣いがそこここにあふれていた。
そして、悪く言えばかわりばえのしないYさんの毎日が、娘の来訪によって華やいでいるのもわかる。
何年か先・・・私もこういうふうになるのかなあ、とこの前までぼやっと考えていた。
コドモたちが大学に行くようになったら、今よりひんぱんに実家に行けるだろう。
行ったら一週間くらい泊り込んで、車で病院や買い物に連れて行ってあげたり、物置の片付けや庭の草取りもできるだろう。
食事もまとめて作って冷凍しておいてもいいな。畑仕事をする父の休憩に合わせてお茶を入れて、日のあたる縁側で父と母と三人でお茶を飲もう。
滞在中に温泉に連れていったり、いっしょに紅葉や桜を見にいくのもいいなあ。
20年以上離れていた分の親孝行をしなくちゃな、と勝手に思っていた。
現実は違った。
ついこの間まで私も母とYさん母娘のような会話をしていたはずだった。
出歩く機会が多い父と違って母はたいてい家にいたから、電話すればいつも母とおしゃべりできた。
息子のこと娘のこと。ダンナのこと。次から次へとお金がかかって大変だ、とか、ダンナの借金さえなければこんなことにはなってなかった、とか。
母はドラマもよく見ていたから、今度の大河は、とか朝の連ドラは、とか話していても楽しかった。
息子や娘のことを私が褒めてもけなしても、何でもうんうんと聞いて気の利いたコメントをしてくれた。ダンナは反応がないのでコドモのことだって話す気にもなれないが。
何かと絡みがある主婦友にはウカツなことは言えないから、グチやホンネが言えるのも母だけだった。
正月明けからこっち。電話をしても出るのは父。
「ばあちゃんどう?」と聞くと「うん。まあ」となんとなく言葉を濁す。
家業で忙しいのに加えて母の週に一度の病院通いや食事の支度や家事、さまざまなことが父の肩にかかってきて大変だろう・・・。
「体の調子もそうだけど、心が弱ってて少しでもめんどうだとかイヤな話は聞きたくないみたいだな。薬飲んで寝て起きて、だな」と父。
夏には「そのうち温泉でも連れていってやる」と父が言っていたけれど、温泉どころかスーパーに買い物さえ出かけなくなったという。病院に行くのでせいいっぱいらしい。
父が不在のときは、電話しても呼び出し音が鳴るだけ。
母は横になっているのだろう。
私からの電話はミッキーマウスマーチが鳴るのでわかるはずなのに、もう娘からの電話に出る気力さえなくなったのかな。
今までなら母に話していた会話。今は頭の中で繰り返すしかない。
ばーちゃん、聞いて。
娘、もうすぐ受験なんだよ。いよいよ本番。私立なら近くていいけど県立に入ってくれれば月謝が安くて助かるよね。野球部が強い学校だから入ったら楽しみだよね。でもさ、ホント息子と違って「ここしかない!」って思い込みがなくて助かるよー。
息子は部活がんばってるよ。今、先輩に卒業の色紙書いてるみたいで毎日忙しくて勉強するヒマなんかないって。数学とか物理、赤点だったらしいけどどうなったかな?もう3年生になるんだよ。この前入学したばっかりなのにね。夏まで部活やってそれからガーッと受験勉強かなあ。
・・・・。
こんなに急速に人間が弱ってしまうってこと想像してなかった。
仕事で行くおじいちゃんおばあちゃんは85歳くらいでも元気な人が多いから、75の母はまだまだ、と思っていた。
でも「年じゃない」んだ・・・。
数年前まで、私は娘としてまだ親に「してもらう立場」だったように思う。
ここ2、3年かな。ああ、私が「してあげる」立場にならなくちゃいけないんだ、と思うようになったのは。
何年か前までは、ばあちゃんがいなくなったらどうしよう?と想像すらしたくなかったが、今はとにかくそういうときが来たらしっかりと送ってあげられるよう自分がちゃんとしなくちゃと思う。精神的に強くならなくちゃと思う。
でも、何かを誰かに話したくて、その言葉の行き先がなくて心の中にぐるぐるしているとき・・・広い野原でひとりぼっちで母に置き去りにされた子供のような気持ちになる。
コメント
両親が弱っていくと言うのは辛いですね。
私も本当にこの1~2年で実感しています。
そして、頼られる存在でいたあげたいのに そう出来ない自分への葛藤でも苦しんでいます。
まずは、自分の生活が安定していない事が大きな原因の1つでもあるので
そこから・・・と思いつつも・・・。
お互い、頑張りましょうね。
仲がよくて何でも話せたお母さんだったから余計でしょうね。
電話に出られなかったら、短い手紙でもいいから出されてみてはどうでしょう?(できれば子供たちのスナップなんかも添えて)
落ち込んで殻に閉じこもっていても、娘からの手紙を枕元において繰り返し見ていたら、少しは電話に出ておしゃべりしたくなるかもしれないし・・
私は長いことご無沙汰続きだったり、言い出せなかった家庭のゴタゴタが解決した時なんかに、手紙で報告しています。
親元から遠くへ嫁いだことは今さら悔やんでも仕方ないもの。
元気出して、お母さんを力づけてあげてください。
連名ですいません。お返事遅くなってごめんなさい。
あたたかい言葉ありがとうございます。
先週、受験終わってすぐ実家に行ってきました。お正月のときとは別人の母がいました・・・。
あとでまた書きますね。