今月に入ってダウン。
春先からの全力疾走の疲れか。
たまにこういうことあるんだよね。
気持ちは走ってるのに体がストップしてしまう。
しつこいせきから気管支炎になって持病のめまいまで出てしまった。
熱はないからなんとか動けるんだけどめまいで不調。
6月はけっこうコドモ関連の行事も多く、体育祭や大会・懇談会など目白押しで。
はやいもので息子も最後の大会を迎えてしまう。
ついこの間高校生活が始まったように思ったのに、先日の相模湖での関東大会・近々あるインターハイ県予選が最後の大会になる。
高校生の生活は駆け足だなあー。
中学生まではなんとか伴走したつもりでも、高校生は自分の足ですいすい走っていって頼もしくもありちょっと寂しくもあり。
まあそれが成長ってことだよね。
そんな中、月イチの実家訪問もして母を風呂に入れたり家中のおそうじをしたり。
体調が悪いことを父母には気づかれちゃいけない、と思ってがんばったのもあるし。
母が体調を崩したのは今年に入ってからだからもう半年になる。
一日3度の食事の支度をする父にはほんとうに頭が下がる。
それと同時に近くにいないために父の助けになれなくて申し訳なくて。
先月までは少しずつ回復の兆しを見せていた母だったが、今回の訪問でもうすでに母はあっちの世界の人になったような気がした。
糖尿とか心臓とか血圧とか体のほうは確かに回復している。
でもうつ症状と認知が。
つい半年前の正月まではあんなに気丈でしっかりした人だったのに、どうしてこんなになってしまったのかと哀しくなる。
「もう何もわからない。頭がワーッとなる」「薬が命令するまで足も手も動かない」そう言ってつらそうにする母。
明るいのも騒々しいのも嫌がるので、昼でもカーテンを閉めテレビもつけられない。
献身的にお世話をする父にたいして攻撃的な言葉も吐く。自分のつらさを力説する。
以前の母は一言のグチも後ろ向きなことも言うことはなかったのに。
「こうして3人いれば気が紛れるんだよなあ」。
食卓を囲みながら父がポツっと言う。
・・・それはよくわかる。
子育てのときもそうだったし、とにかくなんにしろ「閉鎖した空間に二人きり」という状態はダメだ。
空気がどんよりと重くよどみちょっとしたことでイラっとする。
自分しかいないという崖っぷちに立っているような重圧が重くのしかかる。
父の言うことがものすごくよくわかるからこそ、近くにいられなくて申し訳ないと思う。
「孫たちは元気かな。夏には来られるかな。顔見たいなあ」。
父がそう切り出した夏の泊まりの話題も「でも来てもしょうがないよね。テレビも見られないし」と母は一言で切り捨てた。
つい半年前まで、盆・正月の年に二度のお泊りは恒例だった。
父も母も孫たちの成長が楽しみだったし、私にとってもコドモたちを連れての帰省は親孝行のつもりだった。
でも今の母にとっては孫の存在が心配の種でしかないのだ。
春に娘の中学の卒業アルバムを持っていったときも、母は顔をゆがめて「見たくない」と言った。
娘ががんばって県立高校に合格したことも聞きたくなかったようだった。
今年は息子の大学受験もあるからますますだ。
母にとっては孫の話題は禁句。
私にとっては、母がダンナよりも誰よりも孫の成長を共に喜んでくれる相手だったのに・・・。
近くにいればちょっと父にだけでも顔を見せに行けるのに。
父はやっぱり孫たちの顔を見たいだろう。
母がこんなふうになったことも、父に孫の顔を見せてやれないこともとても哀しい。
そんな中でのちょっとした安らぎはわんこ。
体調が悪いのでここのところお仕事も行かないで家にいるけど・・・。
一日二回外のベンチでブラッシングしながらのんびり景色を見たり、いっしょにお昼寝をしたり。
ちょうどお散歩デビューの時期なので、お散歩に出てみたり。
うちの中でも私の顔を見るとしっぽをふって駆け寄ってくる。
台所でお仕事しているとふせをしてまるい目で見つめてじーっと待っている。
「わんこを置いて仕事に行かなくちゃいけないのもストレスのもとだったんだ」と気づく。
あんなにちっちゃいうちから一日中お留守番させてなんてかわいそうなことを、と今思う。
「お散歩は週に一度30分でいい」とショップのおねえさんは言ったけど、実際お散歩に出てみるとものすごくうれしそう。
息をはっはっとはずませてあっちの匂いをかいだりこっちの匂いをかいだり。
たまにお散歩中のワンちゃんに会ってほえられたりお互いに鼻をくっつけてごあいさつしたり。
もんしろちょうやカナヘビを追いかけたり。
息子や娘の子育て中のときのゆったりした時間の流れが戻ってきたみたいだ。
わんこのために気が休まることがなくてこんなはずじゃなかった、と何度も思った。
いなければもっと自由な時間が増えるし仕事も出来るのに、と。
でもなあ・・・。
いなかったらどうだっただろうね。
息子も娘も夜9時近くまで帰ってこなくて、父母のこともあってなんとなく寂しかったり空しかったり、だったんだろうか。
わんこがいるとさびしいとか考えているひまもないもんな。
「おかあさん大好き!」という気持ちをストレートにぶつけてくる存在。
大歓迎でお出迎えするわんこに戸惑いながらもかわいがる息子や娘たち。ああ、ダンナも。
大変は大変だけど生活の中でのうるおいにはなってるのかな。
あじさいも咲いて、去年植えたタチアオイも今年は花をつけそうだ。
この時期いつもなら青梅を手にとるはずだけど、あまりの余裕のなさにやめておいた。
こういう心のゆとりのなさがちょっとさびしい。
春先からの全力疾走の疲れか。
たまにこういうことあるんだよね。
気持ちは走ってるのに体がストップしてしまう。
しつこいせきから気管支炎になって持病のめまいまで出てしまった。
熱はないからなんとか動けるんだけどめまいで不調。
6月はけっこうコドモ関連の行事も多く、体育祭や大会・懇談会など目白押しで。
はやいもので息子も最後の大会を迎えてしまう。
ついこの間高校生活が始まったように思ったのに、先日の相模湖での関東大会・近々あるインターハイ県予選が最後の大会になる。
高校生の生活は駆け足だなあー。
中学生まではなんとか伴走したつもりでも、高校生は自分の足ですいすい走っていって頼もしくもありちょっと寂しくもあり。
まあそれが成長ってことだよね。
そんな中、月イチの実家訪問もして母を風呂に入れたり家中のおそうじをしたり。
体調が悪いことを父母には気づかれちゃいけない、と思ってがんばったのもあるし。
母が体調を崩したのは今年に入ってからだからもう半年になる。
一日3度の食事の支度をする父にはほんとうに頭が下がる。
それと同時に近くにいないために父の助けになれなくて申し訳なくて。
先月までは少しずつ回復の兆しを見せていた母だったが、今回の訪問でもうすでに母はあっちの世界の人になったような気がした。
糖尿とか心臓とか血圧とか体のほうは確かに回復している。
でもうつ症状と認知が。
つい半年前の正月まではあんなに気丈でしっかりした人だったのに、どうしてこんなになってしまったのかと哀しくなる。
「もう何もわからない。頭がワーッとなる」「薬が命令するまで足も手も動かない」そう言ってつらそうにする母。
明るいのも騒々しいのも嫌がるので、昼でもカーテンを閉めテレビもつけられない。
献身的にお世話をする父にたいして攻撃的な言葉も吐く。自分のつらさを力説する。
以前の母は一言のグチも後ろ向きなことも言うことはなかったのに。
「こうして3人いれば気が紛れるんだよなあ」。
食卓を囲みながら父がポツっと言う。
・・・それはよくわかる。
子育てのときもそうだったし、とにかくなんにしろ「閉鎖した空間に二人きり」という状態はダメだ。
空気がどんよりと重くよどみちょっとしたことでイラっとする。
自分しかいないという崖っぷちに立っているような重圧が重くのしかかる。
父の言うことがものすごくよくわかるからこそ、近くにいられなくて申し訳ないと思う。
「孫たちは元気かな。夏には来られるかな。顔見たいなあ」。
父がそう切り出した夏の泊まりの話題も「でも来てもしょうがないよね。テレビも見られないし」と母は一言で切り捨てた。
つい半年前まで、盆・正月の年に二度のお泊りは恒例だった。
父も母も孫たちの成長が楽しみだったし、私にとってもコドモたちを連れての帰省は親孝行のつもりだった。
でも今の母にとっては孫の存在が心配の種でしかないのだ。
春に娘の中学の卒業アルバムを持っていったときも、母は顔をゆがめて「見たくない」と言った。
娘ががんばって県立高校に合格したことも聞きたくなかったようだった。
今年は息子の大学受験もあるからますますだ。
母にとっては孫の話題は禁句。
私にとっては、母がダンナよりも誰よりも孫の成長を共に喜んでくれる相手だったのに・・・。
近くにいればちょっと父にだけでも顔を見せに行けるのに。
父はやっぱり孫たちの顔を見たいだろう。
母がこんなふうになったことも、父に孫の顔を見せてやれないこともとても哀しい。
そんな中でのちょっとした安らぎはわんこ。
体調が悪いのでここのところお仕事も行かないで家にいるけど・・・。
一日二回外のベンチでブラッシングしながらのんびり景色を見たり、いっしょにお昼寝をしたり。
ちょうどお散歩デビューの時期なので、お散歩に出てみたり。
うちの中でも私の顔を見るとしっぽをふって駆け寄ってくる。
台所でお仕事しているとふせをしてまるい目で見つめてじーっと待っている。
「わんこを置いて仕事に行かなくちゃいけないのもストレスのもとだったんだ」と気づく。
あんなにちっちゃいうちから一日中お留守番させてなんてかわいそうなことを、と今思う。
「お散歩は週に一度30分でいい」とショップのおねえさんは言ったけど、実際お散歩に出てみるとものすごくうれしそう。
息をはっはっとはずませてあっちの匂いをかいだりこっちの匂いをかいだり。
たまにお散歩中のワンちゃんに会ってほえられたりお互いに鼻をくっつけてごあいさつしたり。
もんしろちょうやカナヘビを追いかけたり。
息子や娘の子育て中のときのゆったりした時間の流れが戻ってきたみたいだ。
わんこのために気が休まることがなくてこんなはずじゃなかった、と何度も思った。
いなければもっと自由な時間が増えるし仕事も出来るのに、と。
でもなあ・・・。
いなかったらどうだっただろうね。
息子も娘も夜9時近くまで帰ってこなくて、父母のこともあってなんとなく寂しかったり空しかったり、だったんだろうか。
わんこがいるとさびしいとか考えているひまもないもんな。
「おかあさん大好き!」という気持ちをストレートにぶつけてくる存在。
大歓迎でお出迎えするわんこに戸惑いながらもかわいがる息子や娘たち。ああ、ダンナも。
大変は大変だけど生活の中でのうるおいにはなってるのかな。
あじさいも咲いて、去年植えたタチアオイも今年は花をつけそうだ。
この時期いつもなら青梅を手にとるはずだけど、あまりの余裕のなさにやめておいた。
こういう心のゆとりのなさがちょっとさびしい。
コメント
環境がかわればまたなんか変化するのかもしれません。
めまい外来とか行ってますか?ずいぶん楽になるお薬があるから、ぜひ使ってくださいね。
ご実家のこと、本当に大変ですね。お母さんの様子を見れば心配、離れていても心配。つらいですよね。少しでもよくなるきっかけがあるといいなと心から思います。(私も母が一人でだんだん不安な状況なのでしみじみ思います。)
わんちゃんいて良かったですね!それも、本当におりこうなわんこで、可愛いなあー。相手ができるときはいっぱい遊んであげてね。
外に出られるようならいいんですよね・・・。
この半年、通院以外は一歩も外に出ず、心配して来てくれるご近所の方とも会わず、電話も出ず。外界との関わりはシャットアウトしてしまってます。これがうつの症状なんでしょうが、なんともねえ・・・。
以前は人一倍しっかりした人だっただけに壊れていく母を見るとああー・・どうして?と思います。と同時にいくらしっかりしててグチひとつ言わない人生でも晩年こんなふうになってしまうんじゃ人間ダメだよとも思ってしまいます。
☆ありすさま
めまいは耳鼻科で薬を出してもらってます。あまりひどいときは点滴もしてもらってるけど、即効性はないみたい。めまい外来も近くの病院にあるんだけど、行った人の話だとやっぱりすぐよくなるわけでもなさそうで。飲んだらすぐ効くっていう薬があればいいのに、って話してます。
よくコドモの手が離れたら親が、って言うけどほんとにそのとおりだわ・・・。