「将来の夢は?」と聞かれたら(聞かれることもないけど)。
ちょっと前までは「直木賞作家」と答えていたが、最近は「独居老人」。
「どっきょろうじん」ってのは一人暮らしのお年寄りのことね。
お仕事でよく使う言葉。
「新規来月から入ります」「独居?」「日中独居(にっちゅうどっきょ)」・・・みたいに。
意味・「来月から新しい利用者さん増えますよ」「ひとりぐらし?」
「ご家族と同居してるけど昼間は仕事に行ってるからひとり」。
だってさーもういろんなことで忙しいんだもん。
時間が不規則な息子が一番私の生活を乱している!
といっても何か世話をやいているわけじゃないけど、なーんか変な時間に起きてきたりシャワーしたり出かけたりで落ち着かない。
娘がいるとあれこれ話しかけてきたりバタバタうるさいし。
ダンナがいるとただ無言でテレビの前に座っているからこれまたジャマ。
わんこはお散歩やお手入れで手がかかるけど、癒し担当だし生活リズムが規則的なのでそれにあわせればなんてことない。
もう。一人暮らししたいです。わんこと。
子育てはもう終わってるんだから、だれにも自分の時間をジャマされずにいろんなことしたい。
それにしても・・・仕事で行く利用者さんや自分の父母を見て考える。
「年をとってコドモの世話にならない」。
今の時代みんなそう思うけど、これは実際問題キビしい。
世話になりたくなくなって、年をとるとどうしても自分ではいろんなことがどうしようもなくなる。
体力・気力・判断力が衰えると、どうしたって人の手を借りなければいけなくなる。
「行政や身内の世話にならない!」といくら拒否していても、今の世の中何か不都合が起きるとやっぱり身内に連絡が行く。
「子供の迷惑になるから」と遠慮していても、やっぱり不都合があれば子供身内が見てみぬふりをするわけにもいかないし。
「施設に入るからいい」と言っても、判断力が少しでも衰えたら自分で煩雑な事務処理はできないし。
どっちにしても多かれ少なかれ息子や娘に迷惑かけることになってしまうんだろうと思う。
だったらそれを最小にするように今からできることはやっとかなくちゃ、と50を前にして考えるのだった。
ダンナは楽しさのカケラもない人だけど、ほぼこちらの言うことが通るのでまあよしとする。リコンなんて面倒なことはもう考えない。
コドモたちはさっさと独立してもらいたい。
ちょっと前までは「コドモたちがいなくなってダンナと二人」はありえない設定だったから「出て行かないでよー」なんて思っていた。
でも「ダンナと二人」より「いい年をした息子や娘がパラサイト」は私的にはもっともっとありえない設定。
自分のことが自分でできる年になってもおかあさんにやってもらう、とかマジありえない。
同居してればそこらへんの線引きがあいまいになってこっちの精神的負担が増えるだけだから、「就職と同時に独立。就職と同時に独立」と今から念仏のように唱えておく。
ダンナが脳梗塞とかになって半身不随・・・とかもありえない、絶対介護なんてムリ!キモっ!と思っていたが、そこはもう「コドモに迷惑」にならないよう事務的にでもなんでもやるしかない。
施設に、とかヘルパーさんに、とか思っても、お金の問題もあるけどそれより今の介護制度では、リコンしない限り配偶者の世話は避けては通れないことになっている。(自分が年をとっても)
国の年金は、私などは一ヶ月3万くらいしかもらえないっぽいので、個人年金も用意したい。
理想は55歳のときに1000万一括払いで終身に加入。そうすれば65歳から月々5万ずつだが入ってくる。
・・・不可能!一体1000万の年金資金がどこに?
そして。
母が元気だったとき、実家に帰ると母は帰りがけに私に万札を数枚握らせてくれた。
そのたび私と母は同じ会話をした。
ビンボーだったのでありがたい!と思うが、いい年をしていつまでも情けないという気持ちもあり「いいよ。おばあちゃんの年金でしょ。好きなように使えばいいんだから。いらないよ」と一応言う。
すると母は、「年金をあげて喜ばれるのも楽しみのひとつなんだから。あげられるときはあげるんだから。その分あとで返してもらうから」と言った。
父の退職のときも、退職金の中から「無事退職できたお礼だし、あとで助かるだろうから」と私の通帳に定期預金をしてくれた。
母が言う「あとで返す」の意味や父の言う「あとで助かる」の意味なんかそのときは考えようともしていなかったが・・・。
その「あとで」が「今」なんだと思う。
ずっとずっとじゅうぶんなほど父や母に援助してもらっていた。
その思いがあるから、やっぱり娘としてできることはやろうと思う。
母亡き後父がこちらに来る気があるなら、父からの定期預金で増築でもして部屋も用意する心づもりもある。
援助があったから返す、なかったらしない、という単純なものでもないんだけど。
だから、やっぱり自分が親にしてもらったように、私もコドモたちにはしておかないとなあ、と思ったりもする。
お金を渡すってのは即物的なようでいかがか?金じゃない!とは思うが、気持ちをカタチにするひとつの方法だろう。
世話になるつもりなんかなくても、多かれ少なかれ厄介をかけるんなら、お互い気持ちよくできたほうがいいもんな。
父母世代のように私達世代はゆとりがない、ってモンダイもあるが。
今年はこれで書くのは終了です。
いや、来年もいつ書けるか。
でもお休みが続いて少しは書けてほんとによかった。
やっぱり書くのは楽しいわ。気持ちが吐き出せてすっきりするし。
では、みなさんよいお年を。
ちょっと前までは「直木賞作家」と答えていたが、最近は「独居老人」。
「どっきょろうじん」ってのは一人暮らしのお年寄りのことね。
お仕事でよく使う言葉。
「新規来月から入ります」「独居?」「日中独居(にっちゅうどっきょ)」・・・みたいに。
意味・「来月から新しい利用者さん増えますよ」「ひとりぐらし?」
「ご家族と同居してるけど昼間は仕事に行ってるからひとり」。
だってさーもういろんなことで忙しいんだもん。
時間が不規則な息子が一番私の生活を乱している!
といっても何か世話をやいているわけじゃないけど、なーんか変な時間に起きてきたりシャワーしたり出かけたりで落ち着かない。
娘がいるとあれこれ話しかけてきたりバタバタうるさいし。
ダンナがいるとただ無言でテレビの前に座っているからこれまたジャマ。
わんこはお散歩やお手入れで手がかかるけど、癒し担当だし生活リズムが規則的なのでそれにあわせればなんてことない。
もう。一人暮らししたいです。わんこと。
子育てはもう終わってるんだから、だれにも自分の時間をジャマされずにいろんなことしたい。
それにしても・・・仕事で行く利用者さんや自分の父母を見て考える。
「年をとってコドモの世話にならない」。
今の時代みんなそう思うけど、これは実際問題キビしい。
世話になりたくなくなって、年をとるとどうしても自分ではいろんなことがどうしようもなくなる。
体力・気力・判断力が衰えると、どうしたって人の手を借りなければいけなくなる。
「行政や身内の世話にならない!」といくら拒否していても、今の世の中何か不都合が起きるとやっぱり身内に連絡が行く。
「子供の迷惑になるから」と遠慮していても、やっぱり不都合があれば子供身内が見てみぬふりをするわけにもいかないし。
「施設に入るからいい」と言っても、判断力が少しでも衰えたら自分で煩雑な事務処理はできないし。
どっちにしても多かれ少なかれ息子や娘に迷惑かけることになってしまうんだろうと思う。
だったらそれを最小にするように今からできることはやっとかなくちゃ、と50を前にして考えるのだった。
ダンナは楽しさのカケラもない人だけど、ほぼこちらの言うことが通るのでまあよしとする。リコンなんて面倒なことはもう考えない。
コドモたちはさっさと独立してもらいたい。
ちょっと前までは「コドモたちがいなくなってダンナと二人」はありえない設定だったから「出て行かないでよー」なんて思っていた。
でも「ダンナと二人」より「いい年をした息子や娘がパラサイト」は私的にはもっともっとありえない設定。
自分のことが自分でできる年になってもおかあさんにやってもらう、とかマジありえない。
同居してればそこらへんの線引きがあいまいになってこっちの精神的負担が増えるだけだから、「就職と同時に独立。就職と同時に独立」と今から念仏のように唱えておく。
ダンナが脳梗塞とかになって半身不随・・・とかもありえない、絶対介護なんてムリ!キモっ!と思っていたが、そこはもう「コドモに迷惑」にならないよう事務的にでもなんでもやるしかない。
施設に、とかヘルパーさんに、とか思っても、お金の問題もあるけどそれより今の介護制度では、リコンしない限り配偶者の世話は避けては通れないことになっている。(自分が年をとっても)
国の年金は、私などは一ヶ月3万くらいしかもらえないっぽいので、個人年金も用意したい。
理想は55歳のときに1000万一括払いで終身に加入。そうすれば65歳から月々5万ずつだが入ってくる。
・・・不可能!一体1000万の年金資金がどこに?
そして。
母が元気だったとき、実家に帰ると母は帰りがけに私に万札を数枚握らせてくれた。
そのたび私と母は同じ会話をした。
ビンボーだったのでありがたい!と思うが、いい年をしていつまでも情けないという気持ちもあり「いいよ。おばあちゃんの年金でしょ。好きなように使えばいいんだから。いらないよ」と一応言う。
すると母は、「年金をあげて喜ばれるのも楽しみのひとつなんだから。あげられるときはあげるんだから。その分あとで返してもらうから」と言った。
父の退職のときも、退職金の中から「無事退職できたお礼だし、あとで助かるだろうから」と私の通帳に定期預金をしてくれた。
母が言う「あとで返す」の意味や父の言う「あとで助かる」の意味なんかそのときは考えようともしていなかったが・・・。
その「あとで」が「今」なんだと思う。
ずっとずっとじゅうぶんなほど父や母に援助してもらっていた。
その思いがあるから、やっぱり娘としてできることはやろうと思う。
母亡き後父がこちらに来る気があるなら、父からの定期預金で増築でもして部屋も用意する心づもりもある。
援助があったから返す、なかったらしない、という単純なものでもないんだけど。
だから、やっぱり自分が親にしてもらったように、私もコドモたちにはしておかないとなあ、と思ったりもする。
お金を渡すってのは即物的なようでいかがか?金じゃない!とは思うが、気持ちをカタチにするひとつの方法だろう。
世話になるつもりなんかなくても、多かれ少なかれ厄介をかけるんなら、お互い気持ちよくできたほうがいいもんな。
父母世代のように私達世代はゆとりがない、ってモンダイもあるが。
今年はこれで書くのは終了です。
いや、来年もいつ書けるか。
でもお休みが続いて少しは書けてほんとによかった。
やっぱり書くのは楽しいわ。気持ちが吐き出せてすっきりするし。
では、みなさんよいお年を。
コメント
どうせなら欲張らなくちゃ。夢なんだから。
でも私も最近は、子供がいないと寂しいと思いながらも
1人が最高!と思います。
まぁ、まだ体が動くうちだからでしょうけどね。
大体、朝(午前)に帰って来て・・・とか、夜中(朝方)帰って来て・・・
だとだんなも子供もいない(寝てる)ので1人満喫なんですが、
ゴハンの用意しなきゃとか、ソファで横になりたくても だんなが寝てたりとか
人のせいで邪魔される事はやっぱりあるので。
自分が元気で好きなことできるなら一人が最高!
んふふ。今夜は誰も帰ってこない。
ダンナは年末休み前で忙しいから帰宅は終電。
娘は合宿で年末までいないし、息子は冬休みに入ってオールの嵐。
バイトない日は連日夕方出かけてお泊りで朝帰り。
女か?とも思ったけど、朝帰ると風呂入ってから寝てるから女関係じゃないか。
おひとりさま満喫!でウレシイ♪