3月11日より自分の中では時がとまったような気分だった。

津波の被災地は復興のきざしが見えつつあるけれども、福島原発がどうなるかわからず。
原発近くに住む人々や農業や漁業を営む人々、前線で命をかけて働いている人々を思うと胸がつぶれるような気持ちで・・・。
仕事と犬の散歩と買い物には行くけれどもそれ以外には出かける気にもなれず自粛ムード。

こんなに新聞を熟読しニュースを見続けた日々もなかったなあ。
民放も各社見てみたもののやっぱりしっくりくるのはテレ朝のニュース関連。
日テレではご自身も阪神淡路を経験したというミヤネ屋さんに元気づけられ、あまり好きではなかった古舘さんのなかなか心温まる言葉にほっこりした。
なんだかんだ言って「がんばろう、日本!」のムードには勇気づけられる。

が、あらためて認めざるをえないNHKの底力。
なんていうの?安定感?
地味で華やかさはないから見ていておもしろみはないんだけれど知りたい情報が無駄なくもれなく伝えられる。
やっぱりニュースはNHKだよ!と思う。NHK見てれば間違いないだろう、みたいな。
今回の地震、民放や新聞では「東日本大震災」と言い、NHKでは「東北関東大震災」と言う。
はじめはNHKだけ違うなあと思っていたが、よく考えれば東北は「東日本」というより「北日本」。
被害が大きかったのが東北関東の東海岸だということを考えれば、どっちもいいようなよくないような。

3月中はニュースと現実の落差にうまく気持ちがついていかなかった。
特に震災後一週間したころ。
父や妹との電話で被災地の物資の不足や寒さや不便さを聞き、テレビで津波の被害や避難所の様子を見て心を痛める。
が、こちらではスーパーも物不足も3日もすれば解消し一週間もすれば以前と変わらず棚に物があふれるほどで、一部水や納豆などを除けば手に入る状態に。
なんだかとても申し訳ない思いでいっぱいだった。
交通が整わないので行くこともできず、自分にできることは義援金くらいしかない。
何かしたいけれど何もできないことがますます苦しかった。
結局のところ自分に今できることをやることしかないんだよね。

4月に入り少しずつ明るいニュースも多くなる。
特に被災地の市や町の入庁式、入社式で未来ある若者たちが前向きにがんばっていこうとする姿に胸を打たれた。
避難所となっている体育館で、いっしょに避難しているおじいちゃんおばあちゃんに送られる卒業式も心にせまった。

ある避難所で、みんなでこれから食べるおにぎりを握っている場面があった。
幼稚園くらいの小さな女の子もほっぺが真っ赤な中学生くらいの女の子も、陽気に笑うおばちゃんもほっかむりをするおばあちゃんも、みんなでにぎにぎしている。
そのしわしわの手やちっちゃな手から繰り出されたおにぎりはサイズがばらばら。
大きいのも小さいのもある。
でも、ラップに包まれてテーブルの上に並べられたおにぎりは、不恰好ながらもみんながみんなまんまるおにぎり。
あっ・・・と思い胸がつまった。

どの地方からどの地方までがそうなのかわからないが、私が育った北国では家で作るおにぎりはまんまるだった・・・。
首都圏に来てから「おにぎりは三角」と学習し、コドモたちが恥ずかしい思いをしないようにときっちりと角がついたおにぎりを練習して作れるようにはなったが。
そしてそれが当たり前のようになっていたが。
私はまんまるのおにぎりを食べて大きくなったのだ・・・と思い胸が熱くなった。


きょうはひさびさにお出かけ。ショッピングモール。
世の中は季節がめぐり春になっていたことにびっくり。
畑には菜の花が咲き乱れ桜並木が三分咲き。
今年は春の訪れが遅い。
東北新幹線が全線再開することを待ちわびている春。

コメント

ありす
2011年4月7日7:16

うちの姑(仙台出身)のおにぎりもまんまるです。ついでに、おはぎは大きくて枝豆のつぶしたのが必ずありました。(ずんだもちっていうのかな?)
私のおにぎりは俵型どうしても三角はきれいに出来ません。
早く行ってあげたいでしょうね。もどかしいお気持ちわかります。

磯野コンブ
2011年4月13日17:49

☆ありすさま
関西のほうは俵型なんですよね。
コンビニおにぎりは東北でも三角でパリパリののりを後で巻くタイプで全国同じだと思うけど、家で作るおにぎりは地方色ありますね。
おはぎも餅もずんだは定番!豆を打ってつぶしたことから「豆打(ずだ)」→
東北なまりで「ずんだ」。

夜中の震度6の余震のため、新幹線再開が4月下旬予定から5月に伸びてしまいました・・・。余震も原発も早く落ち着いてほしいです。

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