夏の帰省といえば。

青い空に入道雲。うるさいくらいの蝉の鳴き声。
冷えたスイカ。畑からとれたばかりの真っ赤なトマトや匂い立つみょうが。茹でたての山盛りのとうもろこし。
テレビから聞こえる高校野球。昼下がりのまどろみ。
お盆には大勢集まってバーベキューに花火見物。
そして父と母の笑顔。

そうして学生の頃も働いてからも母になってからも・・・ついこの前までずーっと私は夏の休暇を満喫してきた。
夏の休暇が終わって帰るときに「この幸せがいつまでも続きますように」と祈りながら。
今思えばなんて自分勝手で都合がいい祈りだったのか。

「とどめておきたい」と願うのはすでにその物事が終焉に向かっていることのしるし。
何かの小説のワンフレーズだったと思うが、頭ではわかってたんだよね。
父と母は必ず老いて、こちらが父母をお世話する側にまわること。
でも私はそれをあえて認めようとはしなかったし、いつまでも娘でいたかった。

母がうつ病になって体調をくずして早いもので3年半。
うつは良くなったが代わりに認知症が進み父ではお世話しきれなくなったので、この春からは特養にお世話になっている。

5月の連休の帰省。6月末の帰省。そして今回。
母が施設に入ってからこれで3度目の帰省になる。
そのたび外泊許可をもらって母を家に連れて帰っている。

行くたびに少しずつさまざまなことができなくなっている母。
食べ方がわからない。トイレの使い方や始末がわからない。言葉で教えても理解できずできない。まあそれはしょうがないとして。

何かこう・・・幼い子供に戻るというか。
人一倍人の目を気にして自分を律するきちんとした人だったはずなのに、こんなんなっちゃうんだなあと。
食べたいものがあると人のおかずまで箸を伸ばして食べる。
いただきもののお菓子の箱を自分で開けていくつも食べる。
スイカの皮やとうもろこしの芯まで食べようとする。
暑いからとズボンやリハパンを脱いでしまって下半身裸でいる。
父から離れたくなくてしょっちゅう「おじいちゃんおじいちゃん」と探して歩く。
父が風呂に入っていて居間にいないとなると「私もいっしょに入る」と入ろうとする。
「だめだよ」と言うと「おじいちゃんおじいちゃん、あんたの娘、ずいぶんいじわるで気がきかない!」と。

こうして書くと笑い話だし、たぶん他人の話ならほほえましい、くらいの気持ちで笑って聞くんだろうと思う。
実際私も人に「おばあちゃんてばさあー」と笑って話すことで気持ちが軽くなるのだけど。

でも、100パーセント受け入れられないんだよね。
あんなにしっかりしてきちんとした人だったのに。
私には「人様に笑われないよう」「他人に頼らないよう」「他人に弱みを見せないよう」そんなメッセージを何十年も送り続けた母だったのに。
年をとればだれだって、とか認知症なんだから、とか頭ではわかるし、他人のことなら「そんなもんでしょ」と思えるのに、いざ自分の母となると「情けない」「どうしてこんなになっちゃったの」と哀しくなる。

実家での最終日。
なぜか母は歌を歌った。
「うーさぎうさぎ なにみてはねる じゅうごやおつきさん みてはーねーる」・・・。
驚いた。
ここ何十年母の歌なんか聞いたことがなかった。
私や妹が幼いころはきっと子守唄など歌ったとは思うが、「音痴だから」「下手だから」と歌を歌うことはかたくなに拒んできたのだった。

母の少し音程がはずれた童女のような歌を聞き・・・もうここにいるのは以前の母ではないのだなと思い知らされたような気持ちになった。
もうあっち側にいってしまったのだな、と。

旧家の長女として母を縛ってきたものがどれほどのものだったのか・・・。
さまざまな苦労やしがらみから解放されたからこそ、歌を歌えるようになったんだよね。
それはそれで母にとっては重荷をおろしたことなんだろうね。
今までがんばって自分を律してきた分、幼い子供に戻ってやさしくお世話されることが必要なことなんだよね。

施設に母を送っていった。
すっかりやせて小さくなってしまった母の手をとり車から玄関に向かう。
とぼとぼと母は歩き、玄関で靴を脱がせ上履きにはきかえさせてやる。
やさしく出迎えてくれた職員さんに言う。
「もうなんかずっと父のことばかり呼んだり探したり、私も父もふりまわされて大変でしたよ。困ったもんです」。
すると職員さんにっこりとして「あらあら。かわいらしいおばあちゃんよね」と。
・・・こういう見方もあるんだな。こんなふうな心の余裕が大切なんだな。

以前のような夏の休暇はもうない。
久しぶりに会う人たちとバーベキューを囲んだあの日々はもう帰らない。
とうもろこしだって自分で買ってきてゆでなければ食べられないし、スイカだってそう。
生きていくと何歳になってもはじめてのことばかり。
父や母の老い。この先まだまだ難題ばかりだ。


コメント

美藤
2012年8月22日20:48

お久しぶりです。いつも拝見しています。

磯野さんがずっと以前に
「人生は進行方向に背を向けて乗る急行列車のようなもの。過ぎ去ってゆく景色だけが見えて行く先は見えない」
というようなこと書かれていたのが印象に残っています。

行く先は見えていないのに、確実に訪れる親の老い、別れ。自身の老い。そして遠ざかる風景は懐かしくて・・。

拝見して、とてもせつなかったです。

ありす
2012年8月23日7:17

お母さんは、普段お父さんと離れて暮らされているのですね。だから、一緒に生活できて、本当にうれしかったのでしょうね。つれて帰ってあげて、良かったですね。大変だったでしょうが、親孝行でしたね。

老いって・・・マイナスの方向にしか進まないのが、とても悲しいです。
老いていく親に寄り添って行くって、どういうことなんだろう・・・最近、母親をなくした友達が、「あんなに、一生懸命してあげるんじゃなかったかも。余計に自分が悲しい。離れて暮らしてあんまりかかわらなければ、きっとこんなに悲しくないのかも」と言っていましたが。辛い介護のあげくのお別れは彼女にしてみれば辛すぎる事だったらしい。でも、あれから数年たって、彼女の口から出るのは辛かったことより、「母は、こんなだった、あんなだった」といい思い出ばかりが出てくるのが救いです。

kazato
2012年8月23日8:16

 こんにちは。私もこの夏、4日ほど実家に帰省し認知症の母と過ごしました。母は私を娘とは思わず、「父が連れてきた若い女」と思い込んでいます。だから、父がいないところで私をつねったり、「出て行け」と言ったりするので辛いです……。自宅に戻ってから精神的に立ち直るまで、ちょっと掛かりました(苦笑)

もりのいずみ
2012年8月25日1:49

そう、そうなんですね。
私も、私の母も夫の母も老いて、今年は特に、どちらの実家に帰っても「古き良き時代」を思い出して、切なくなることばかりでした。
いずれは自分も・・・と思うと、子どもたちに余計な苦労はかけたくないと思い、それは今の母たちの気持ちであるのだろうなと思うとまた切ないです。

磯野コンブ
2012年8月25日10:49

☆美藤さま
ああ。そういえばそんな言葉書きました。すっかり忘れてました(笑)
4人がけのボックスシートをしらない世代には通用しない言葉ですね。
親の老いって認めたくないって気持ちがどこかにあるけど、避けては通れないことですよね。

☆ありすさま
いやいや。親孝行じゃないんですよ。
呼ばれる→今度は何?と身構える→「はいはい」と不機嫌な声が出る→「おねえちゃんはいじわるだ」といわれる→「せっかくやってることを中断して来たのにもう何もしないよ!」と心の中でイラっとする
・・・みたいなことになってしまい私はやさしくないな、と自分が嫌になります。

☆kazatoさま
あああー。うちの母も「おじいちゃんがヘルパーさんと浮気していて、じゃまな私を施設に入れている」妄想がひどくて。私や妹が父と話していても「おじいちゃんが私を大切にしない。私を見ていない」と。
なんだろね?
ときどき「だれ?」と私のこともわからなくなったので、その流れでいくとkazatoさんのおかあさまみたいになるのかな。ホント疲れます・・・。

☆もりのいずみさま
子供たち(父母にとっては孫たち)が小さくてにぎやかだった盆正月が「古き良き時代」だったのね・・・と。父母もまだ若くて元気だったし、当時の写真とか見るとせつなくなります。
これから先、父母も離れたところにいるし、呼び寄せるのも私が行くのも現実的ではないし一体どうすれば?と思います。

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