先週末、実家で。

黒の着物があったはずだから、と妹。
妹の結婚前にいつも着物屋さんが来ていて母は私たちの着物を何着も作っていた。
私より先に妹が結婚しているし、当時は私も一人暮らしで仕事も忙しかったので盆暮れくらいしか家には寄り付かなかった。
着物屋さんが来ていたことはうっすらと記憶にあるが、黒い着物まで仕立てていたことは初耳。
「初耳って、おねえちゃん、言われても話まともに聞かなかったんじゃないの?」と妹。

ああ・・・。きっとそうだ。
着物が仕上がったときに、きっと母は私を呼んで「ほら見て。着物作ったから」と言って見せようとしただろう。
でも、着物にもまるっきり興味がなく自分に直接かかわること以外関心がなかった若い頃の私は「あとで見るから」とかなんとか言ってそっけない態度をして母をがっかりさせたに違いない。
そんなやりとりが想像できるだけにとても心が痛む。

着物が包まれているたとう紙をタンスから出して妹が座敷に並べ始める。
奥の座敷なので空気も冷たく畳の冷たさが足から伝わる。
母の命が短いかもというときに不謹慎ではあるけれど、非日常に接したときの独特の高揚感に私たちは包まれていた。
まるで遠足に行く前の準備のように、私たちはいそいそと部屋を片付け着物の包みを引っ張り出しひとつひとつ包みの紐をほどいてみる。

どれだけの年月、着物たちはこうしてタンスで眠っていたのか。
蛍光灯の青白い光の下でぱーっと息をふきかえしたようだった。
柔らかい桃色の着物、春の青空のような水色の着物、うすい紫がかった着物・・・私と妹にそれぞれ3着ずつ。
それはまさに、これから輝かしい未来が約束されている嫁入り前の20代の娘たちを思って母が用意したものだった。

私たちはそれから子育てやら生活やらに追われ、結婚も子育てもそれほどいいことばかりではないことを思い知らされ、今に至るわけで。
着付けにかかる手間とお金を惜しんで、せっかく母が用意してくれた着物を来たのは息子の七五三と従妹の結婚式程度だったか。

これこれ、と妹が最後に出してきたのが黒の着物と帯。
襦袢とセットで黒の夏用の着物まである。
黒のバッグ草履、その他小物類も箱に入ったまましまってあった。
「おじいちゃんの葬式用に、ってそのころおばあちゃん言ってたよ」と妹。


母はどんな思いで私たちに着物を用意してくれたんだろう。
準備のいいことに葬式用まで。

25年以上も前のことなので当時母は50代前半。今の私とそう変わらない年齢のはず。
私は家から出て働いていて妹は家から仕事先に通っていた。
娘たちに学費も手もかからなくなり、父は仕事人間で不在のことが多かった。
母は神主である祖父の手伝いやお世話をしながら代々の神社を守っていた。

母が寝込んでからというもの、母の人生はどんなもんだったのか考える機会も多かったが、どうも母の感情を私は思い出すことができないのだった。
旧家の長女として厳しくしつけられたらしく、いつでも母はきちんとしていてとても禁欲的で自制心の強い人だった。
私たちに特に厳しいとか声を荒げるとかいうことはないかわりに、なんだかあまりいっしょに楽しんだとか、そんな記憶もない。
が、タンスに眠っていた未来ある娘たちにあつらえた幸せ色の着物を見ると、間違いなく母は私たちの幸せを願っていたことがわかり、胸がいっぱいになった。

母は何か楽しみがあったのだろうか、母の人生でいつの時期が幸せだったのだろうか・・・今となっては聞くこともできない。


母が入院して3日目。
父の話は枝葉末節ばかりで肝心なことがわからないし、忙しい中病院に足を運んでくれる妹に何度も何度も電話するのもはばかられるから情報が入らないが・・・。

今わかっているのは「腹水がたまっていて、これじゃあ食べられなかったでしょう」と病院で言われた、ということと「ずっと食べていなかったにしては栄養状態はそう悪くない」ということ。
妹「やっぱりよかった。安心だ。入院して」と。

いや。結果的にはまったくその通り。
施設から病院へは救急車で迅速に運んだというし、すぐCTを撮って腹水がたまっていることがわかったというし。
ただ、お腹のあたりに影がうつったということで何か腫瘍でもあるのかどうか。
母は数年前に子宮ガンの手術をしているし大腸にポリープもあるはずだし、そこらへんがどうかなっているのか。
とにかく原因がわかるということはなんとなく安心する。
安心、というか、施設でこのままでいいかどうかという迷いがなくなるということは気持ちが落ち着く。

その後どうなったことか。腹の中の影の正体は判明したのか。
でも、食べてなくても栄養状態は悪くないなら「もって年内」というのは回避できたのかな。

コメント

ブラックMJ
2012年12月20日18:52

親の最後を考える事も看取る事も
血を分けた兄弟姉妹がいると半減出来そうで羨ましいです。
それを一人で迎えるのかと思うだけで
今の私は想像だけでも押しつぶされそうです。(^_^;)
思い出を語る相手もいなくて、今までは愛情を独り占めしてのうのうと生きて来たけど
一人っ子ってこんなに孤独とは。(苦笑)

その分、母達も死に支度に忙しくて すべて済むまでは死ぬに死ねないだろうから
少しは長生きしてくれると思いたいですけど。

本当に せめて少しでも親孝行が出来るまで頑張って欲しい毎日です。

ありす
2012年12月21日8:11

着物作るお母さんは幸せだったんでしょうね。そして、今それを妹さんと二人で開けて見ている事がお母さんとしてはうれしいのでしょうね。

お母さん食べられるとうれしいでしょうね。腹水しんどかったでしょうね。
今って、すごく中途半端な時間だと思いますが、後から振り返ると一番思い出す時間だと思います。

磯野コンブ
2012年12月22日18:18

☆ブラックMJさま
MJさんはご両親の近くにいるからそれだけでじゅうぶん親孝行ですよ!
やっぱり近くにいて顔を見せたり様子を話したりすることが大切だったなあ、と。頼っても迷惑かけても時間を共有することで絆は深まるっていうか。

☆ありすさま
もうホントに親不幸な娘で・・・今さら気づいても遅いんですけど。
やっぱり何かあったらすぐ行けるようなところにいるのがいいですね。
娘にもよく言っておこう。

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索