2013年。もう1月も下旬になりますが、今年もよろしくお願いします。
1月20日が寒さの底の大寒(だいかん)。
寒いわけだよねー。日陰の雪も溶けないし。
ユニクロのおかけでぬくぬくしてるけど、ヒートテックとかフリースとか暖パンがない時代はどうしていたか?と思う。
今シーズンのヒットはヒートテックのハイソックス。あったかい!
それにしても思いがけない大雪に大混乱な一週間でした。
北国育ちの私から言わせると10センチにも満たない雪で大混乱って何?ってハナシですが、実際雪の備えがないここらでは一大事で。
一年に4回5回も降るってのならともかく、そうでもないので雪の備えはまったくゼロ。長靴なし。冬靴なし。雪かきスコップなし。雪かきの習慣もなし。
ノーマルタイヤで立ち往生の車続出。・・私も普通タイヤで出動して会社に置いてきました(泣)
そしてまたここらは降ったあとが大変で。
北国の雪と違ってバリッバリのボコボコツルンツルンの状態で凍る。
日があたる場所はぐちゃぐちゃに溶ける。
やっときのうあたり平常に。
さて、年末年始から今まで落ち着いてパソの前に座る時間もなくて。
一番の原因は夕食作り?
こんなんじゃまともな主婦の皆様には申しわけないですが、ここのところ毎日夕食を作っています。毎日コメをといでいます。
いやホント。こうなってみるとゴハンの用意が毎日じゃなくていかに自分がラクしてたかってわかるね。
息子も娘も連日のようにバイトだの飲みだのお泊りだの食べてくるだのと夕食がいらなかったのに、ここんとこ「家で食べる」と。
ええー?
ひとりゴハンだと毎日ちゃんとした用意がいらないし好きなテレビやDVD見ながら食べられるし快適だったのに。
食べ終わったらパソコンでもなんでもし放題だったのに。
ああ・・・一人暮らししたいよ。将来の夢は独居老人。
母は病院に入院中。
なんだかんだいって医療の力はすごいなとつくづく思った。
あのまま何もしなかったらきっとそのまま逝っていただろう。
食べられなくなったのは死期を迎えたからだと思っただろう。
12月中旬に様子を見にいったときは「年内だ」と覚悟した。
何も食べられず、酸素を入れなければ酸素もとりこめず、反応も弱くただ寝かされているだけ。時間の問題と思われた。
入院し検査をしたところ「食べられないのは腹水がたまっているため」「酸素不足は肺血栓ができているため」とわかり、血栓をとかす処置をし中心静脈に高カロリーの輸液を入れる処置をした。
年末に行ったときは、病院のベッドに横たわり肩口から中心静脈に輸液を入れ、それに触らないよう両手は大きなミトンでおおわれていた。導尿もされているので動けない状態。
話しかけにはうんうんと反応するものの眠いのかだるいのか目も開かず。
「ばーさんもかわいそうだな。正月も病院で身動きもとれないでベッドの上で。施設であのまま眠るようにして逝ったほうがよかったんじゃないか」と父。
それでも年始には酸素もとれ導尿もとれぽっかりと目もあくように。
看護師さんが「朝は起きていてお話しますよ」「起きていれば食事も食べられるようになりましたよ」と。
少し峠を越したのかな?と思った。
最近の父の話では、腹水もなくなり中心静脈栄養の管もとれ、ときどき車イスに乗ったりもしもうすぐ退院か、というところ。
すっかり痩せこけてしゃれこうべのようになったとは言うが、医療の力で延命されたのだなと思う。
いつどうなるか?と毎日ひやひやドキドキしていたのが、ここにきてちょっと落ち着いて・・・よかったと少しホッとした。
少し日も伸びて17時すぎまで明るいけれど窓の外は雪景色。まだまだ溶けません。
1月20日が寒さの底の大寒(だいかん)。
寒いわけだよねー。日陰の雪も溶けないし。
ユニクロのおかけでぬくぬくしてるけど、ヒートテックとかフリースとか暖パンがない時代はどうしていたか?と思う。
今シーズンのヒットはヒートテックのハイソックス。あったかい!
それにしても思いがけない大雪に大混乱な一週間でした。
北国育ちの私から言わせると10センチにも満たない雪で大混乱って何?ってハナシですが、実際雪の備えがないここらでは一大事で。
一年に4回5回も降るってのならともかく、そうでもないので雪の備えはまったくゼロ。長靴なし。冬靴なし。雪かきスコップなし。雪かきの習慣もなし。
ノーマルタイヤで立ち往生の車続出。・・私も普通タイヤで出動して会社に置いてきました(泣)
そしてまたここらは降ったあとが大変で。
北国の雪と違ってバリッバリのボコボコツルンツルンの状態で凍る。
日があたる場所はぐちゃぐちゃに溶ける。
やっときのうあたり平常に。
さて、年末年始から今まで落ち着いてパソの前に座る時間もなくて。
一番の原因は夕食作り?
こんなんじゃまともな主婦の皆様には申しわけないですが、ここのところ毎日夕食を作っています。毎日コメをといでいます。
いやホント。こうなってみるとゴハンの用意が毎日じゃなくていかに自分がラクしてたかってわかるね。
息子も娘も連日のようにバイトだの飲みだのお泊りだの食べてくるだのと夕食がいらなかったのに、ここんとこ「家で食べる」と。
ええー?
ひとりゴハンだと毎日ちゃんとした用意がいらないし好きなテレビやDVD見ながら食べられるし快適だったのに。
食べ終わったらパソコンでもなんでもし放題だったのに。
ああ・・・一人暮らししたいよ。将来の夢は独居老人。
母は病院に入院中。
なんだかんだいって医療の力はすごいなとつくづく思った。
あのまま何もしなかったらきっとそのまま逝っていただろう。
食べられなくなったのは死期を迎えたからだと思っただろう。
12月中旬に様子を見にいったときは「年内だ」と覚悟した。
何も食べられず、酸素を入れなければ酸素もとりこめず、反応も弱くただ寝かされているだけ。時間の問題と思われた。
入院し検査をしたところ「食べられないのは腹水がたまっているため」「酸素不足は肺血栓ができているため」とわかり、血栓をとかす処置をし中心静脈に高カロリーの輸液を入れる処置をした。
年末に行ったときは、病院のベッドに横たわり肩口から中心静脈に輸液を入れ、それに触らないよう両手は大きなミトンでおおわれていた。導尿もされているので動けない状態。
話しかけにはうんうんと反応するものの眠いのかだるいのか目も開かず。
「ばーさんもかわいそうだな。正月も病院で身動きもとれないでベッドの上で。施設であのまま眠るようにして逝ったほうがよかったんじゃないか」と父。
それでも年始には酸素もとれ導尿もとれぽっかりと目もあくように。
看護師さんが「朝は起きていてお話しますよ」「起きていれば食事も食べられるようになりましたよ」と。
少し峠を越したのかな?と思った。
最近の父の話では、腹水もなくなり中心静脈栄養の管もとれ、ときどき車イスに乗ったりもしもうすぐ退院か、というところ。
すっかり痩せこけてしゃれこうべのようになったとは言うが、医療の力で延命されたのだなと思う。
いつどうなるか?と毎日ひやひやドキドキしていたのが、ここにきてちょっと落ち着いて・・・よかったと少しホッとした。
少し日も伸びて17時すぎまで明るいけれど窓の外は雪景色。まだまだ溶けません。
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