北国に桜がひとつふたつ咲いた小雨の降る夜。
父と私と妹に見送られて母は逝った。

延命はしないことにしていたので点滴などもせず、いつも生活していた施設の母の部屋で静かに安らかに母は最期のときを迎えた。

その日の昼前から血圧が計れなくなる。血中の酸素濃度も低下。
今ふりかえると数値は母の死が近いことを知らせていたのに、まさかその晩に逝くことになるなんて私たちは考えが及ばなかった。というより考えないようにしていたのだと思う。

前の晩は私が泊まったのでその晩は父が泊まることになっていた。
連日の通いで疲れていた妹はその日家に戻って休んでいた。
午後、妹とライン。
妹「ばあちゃんどう?」私「変わりないよ」妹「じゃあ行かなくていいかな?」
私「だいじょうぶ。予定通り4時のバスで帰るよ」妹「えー6時半の最終のバスでいいんじゃん?」
それもそうだなと思い、また母のベッドの横のソファに座る。

施設の看護師さん介護士さんが入れ代わり立ち代わり来ては声をかけてくれたり、体の向きを変えたり口の中を湿らせてくれたり。
ずっと眠ったままで呼びかけにも反応はなかったけれど、手足もぽかぽか温かく呼吸も確か。母の様子を見ながらも私は横でスマホのゲームなんかしていた。

夕方5時ごろのこと。
母の足の指先が紫色になっている!
看護師さんは血圧、酸素濃度を計りに来るとまつ毛の反射も見て帰りがけにいつも足の裏を見る。足のむくみを見てるのかな、それとも足の裏に刺激を与えて反応あるかないか見るのかなとずっと思っていた。
それは違った。こういうことだったんだ。

「あー・・指が紫色。あぶなくなってきたんでしょうか」と私が言うと「んーこれがね足の裏全体に広がってくるんですよね。きょうはお家に帰らないでお泊りになったほうがいいですね」と看護師さん。
え?まさかね、と思いながらも電話で妹も来るように言う。

夜7時過ぎ。
足の裏の紫色は全体に広がっていた。私は足の裏のことは父にも妹にも言えないでいた。
疲れていた父は用意してもらったベッドで早々といびきをかいていた。
妹が頂き物だといちごを持って母の部屋に到着。
「なーんだ。お姉ちゃんがあぶないかもって言うから急いで来たけど、ばあちゃんだいじょうぶそうだね。いちご食べよう」妹がそう言っていちごのパックを開ける。
この2日間コンビニ弁当ばかりだったのでいちごのみずみずしさがとてもおいしくて生き返るよう。

母の部屋にもいちごの香りが広がる。
私たちは寝ている母の鼻先にいちごを持っていって匂いを嗅がせようとしたり2人で奪いあって笑いながら食べたりしていた。
「お姉ちゃんは昔からくいしんぼで人の分までとって食べたよね。おばあちゃん」と妹が言い母を見ると・・・何かそれまでと様子が違う。
いよいよの時は胸と横隔膜の呼吸ではなく下顎呼吸になる。その通りに母は下あごで弱々しく息をしていた。
ベッドでいびきをかいている父を起こし、看護師さん介護士さんを呼び、私たちは母の手をとった。
まだまだ温かく柔らかく死にゆく人の手ではない。それでもマヒがあって握ったままだった左手は力なく開き息も途切れ途切れになる。

こういうときは変に呼び戻さないほうが安らかに逝けると妹が言うので、それが本当かどうかわからなかったが私たちはただ母の手を握ったりさすったりしていた。
「ばあちゃん、がんばったよ。がんばった」「桜が咲いたよ。お花見だよ」「桜が咲くまでがんばったんだね。もうだいじょうぶだからね」・・・。
何度目かの息が止まったかと思うと母はひといき深く吐いて、そしてそのまま逝ってしまった。

コメント

ポピー
2015年4月16日23:53

題名を見て驚きました。ずっと小康状態が続いていたようなので、まさか最期の時がこんなに早く来るなんて。
でも、桜の季節にいちごの香り、優しいご主人と娘さんたちに看取られて、お母様は幸せだったと思いますよ。しばらくは悲しむ暇もないほど大変でしょうが、どうかお体大切に。ご冥福をお祈りします。

ありす
2015年4月17日7:33

苺の香りと娘さんたちの笑いあう声を聞いて、安らかに逝かれたのですね。安らかで本当にステキなご最後だったと思います。聴覚が最後まで残ると言いますから、お母様はお二人の声をずっと聞いて幸せな気持ちになられてたでしょうね。

お父様がお力落としかと思います。どうぞお体お大切に。

なおっち
2015年4月17日8:11

一番近いお身内を亡くされたのですから、他人が何を言っても悲しいかもしれませんが…
私は父を亡くしておりますが、最期の日はたまたま仕事を休んでいて病院に付き添っていたのに、夕食を買いに少し席を外していた間に父は逝ってしまいました。
私もまさかその日に父が逝くとは思っていませんでしたので驚きました。
だから、まず最後まで一緒に居られて家族みんなでお母さまを見守ることができたのは、それだけでとても幸せなことだったかと思います。
私がお母さまだったら、最後まで話しかけてもらえて、とてもうれしかったと思います。
身内を亡くすつらさが減るわけではないけど、色々な最期がある中で、とても良い最期だったと思いますよ。
どうか皆さまお身体ご自愛なさってください。

磯野コンブ
2015年4月18日15:57

ポピーさま・ ありすさま・ なおっちさま
連名でごめんなさい。
あたたかいお言葉本当にありがとうございます。
文章だけのおつきあいでもこんなふうに本当に心が通いあってる気持ちになって胸が熱くなりました。
花がいっせいに咲き始めるこの季節だったことがなにより、かな?
それにしても葬儀中・葬儀後のさまざまな手続きとか後始末ときたら。
余韻にひたるどころじゃなく、これで疲れきってしまいました。

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