昭和の大横綱・千代の富士が亡くなった。
なんといったらよいのか・・・北の湖に続きまた一時代を築いた人が亡くなったのだなあという思いは当然ある。それもそうだし、私にとって千代の富士は永遠の憧れのような人だった。今も昔もお相撲さんの中では千代の富士が一番好き。
だから九重親方(千代の富士)がすい臓がんに侵されていること、手術をしたこと、闘病して激やせしたことなどアンテナにかかってきていたのでニュースで流れたように「急死」とは思わなかった。とうとう・・といった感じ。

思えば千代の富士が一世を風靡した時代は私の20代に重なる。
まだまだ娘盛りの20代の私を魅了したのはトシちゃんでもチェッカーズでもなくウルフ千代の富士であった。

それまでの「おすもうさん」といったら北の湖のように目が細くどっしりぽっちゃり。
ところがウルフ千代の富士ときたら!
筋肉質の体つき、精悍な顔つき。今、若い頃の映像がニュースで流れているのを見ても「ああ、やっぱりカッコいい!」と思う。
今の人気ナンバーワンの遠藤もイケメン力士だが、若い頃の千代の富士はほんとうにイケメン。見た目だけでなく取り口も素早く力強く、横綱土俵入りは風格もありまさに相撲史に残る大横綱だなあと思う。

その千代の富士が横綱を引退するきっかけとなったのが貴花田との一戦。
忘れもしない平成3年5月場所初日。
まだ18歳の貴花田(のちの貴乃花)との一戦で寄り切られてしまう。
テレビの前で正座して見ていた私は「相撲界のプリンスだかサラブレッドだか知らないがこんな若造に・・」とこぶしを握ったものだ。
貴花田とその偉大な父である二子山親方、そして千代の富士との因縁について書くと長くなるのでここではカット。

コレを書くと歳がバレるのでアレなんだけれど、千代の富士が引退を表明したまさにその日は忘れもしない私の20代最後の日であった・・・。
「体力の限界・・・気力もなくなり・・」で言葉がつまってしまった千代の富士の涙は何度思い出しても泣ける。
そして私もその平成3年には一児の母となり娘時代の終焉を迎えたのだった。
それもこれも私と彼との間には何か特別なめぐり合わせがあったのではと思うに足る(?)出来事だった。・・・妄想劇場炸裂でしたね。

だからなんというか、一時代を築いた人の訃報というだけではなく、若い頃に憧れていた先輩が闘病の果てに亡くなったと伝え聞いた・・・みたいな。胸の奥がキュンと痛むようなそんな気持ち。

千代の富士関。安らかにお眠りください。合掌。

コメント

ねこって
2016年8月1日22:22

今でも「千代の富士関」の大銀杏が一番かっちょいい!と思っています。
(他の力士さんとどこかが違う・・・髪が豊かだから?)
確か、樹木希林さんと同じように、抗がん剤使わずに頑張ってはったんですよね・・・

磯野コンブ
2016年8月2日5:43

ねこってさま
精悍なお顔立ちのかっこいいお相撲さんでしたね。
すい臓がんって聞いたときに「ああ、これは・・・」って思いました。
抗がん剤はやってもやらなくてもあまり長くなかったみたいです。やるとかえって副作用で体力消耗して命縮めてたかも?って。

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