「親が元気」は永遠ではない
2017年8月19日 日常 コメント (6)お盆も終わり仕事も再開。また日常が戻ってきたなあー。ついでに夏も終わった感じ。
今年は曇り続きで、いつもの夏より涼しくて助かります。このまま秋に突入してほしい。
今年の盆も実家で。
今年は都内で働いているうちの息子や妹の娘が何年ぶりかでお盆に顔を見せたので(息子なんて盆は8年ぶり?)父は喜んでいた。ほかのときにポツポツ訪れるのじゃなくてお盆にみんなが集まれるってことが父にとってはやっぱりうれしいことなんだな。
墓参りに行き恒例のバーベキューをして花火大会を見に行って今年も楽しいお盆を過ごせた。それもこれも父が元気で家を守ってくれているから。
振り返れば私の人生50ウン年、1年も欠かすことなく盆正月は実家で過ごしている。
子供の頃は盆正月は親戚たちが入れ替わり立ち替わり訪れてにぎやかだったし、いとこたちがうちに預けられて一夏をいっしょに過ごした。
私と妹が母になってからも広々とした田舎の実家は夏休みを過ごすのに最適で、子どもたちが小さいころはみんな泊まりこみで2週間ほど過ごしていた。
子どもたちが手を離れたと思ったら今度は母が体調を崩して実家通い。母が亡くなってからも、長女なのに遠方に来てしまったという負い目もあって月に一度の実家通いが続いている。夏場は草刈り作業が必須だし。近くに住んでいる妹が父とそりが合わずあまりお世話してないってこともあるんだけど。
そんなこんなで父も85歳。なんとかひとりで暮らしているけれど、年齢を考えると・・。
「じいちゃんが元気なのはもう何年もないかもしれない。これが最後かも」。実家で過ごすたびにそう思う。
母のときもそうだった。「親が元気」というのは永遠に続くことではなく、私のように離れて暮らしている者にとっては突然日常が断ち切られるようにやってくる。
もし父が実家にいなくなったら。
ここは空き家になる。
父が生活しているから実家もなんとか保ててるけれど、住む人がいなくなったら今の季節なら一ヶ月で雑草が生い茂り家の中も湿気がこもってしまう。だれも住まなくなった家はたまに訪れて泊まれる状態ではなくなるだろう。
今は、忙しくて大変だ大変だと思いながらも1ヶ月に1度の実家通いが私の息抜きにもなるし生活のリズムになっている。
岩手はめずらしいものやおいしいものがいっぱいあるので「よし。今度行ったらあれを食べよう」と思うのもお楽しみ。緑豊かな自然に包まれるのも落ち着く。
父は大相撲も高校野球も好きなので実家でいっしょに観戦すればだれよりも盛り上がるし、テレビで見ててそのときすぐ「稀勢の里勝ったね!」とか「盛岡大付属見たー??」「仙台育英!!!心臓に悪いねー」とか電話すれば必ず見てるので話がはずむ。
父がいなくなったらこんな話できる人は私の周りにだれもいないよ。
妹が言うように「だったらおねえちゃん戻ってくれば?」なのだが、そんなに簡単なことではないのだ。
高校野球で東北勢を応援してしまうように、気持ちは岩手っ子。盛岡大付属vs花咲徳栄なんてカードももちろん岩手推し。
でも埼玉で生活することの便利さを肌で感じているのでもう戻れない。だからといって埼玉県人か?というとそうではなく宙ぶらりんなどこにも根をおろせない感覚をずーっとかかえている。
今の状態が続きますように。父が元気でケガも事故もなく過ごせますように。そう祈るしかない。
ヒミツに今後のこと↓
今年は曇り続きで、いつもの夏より涼しくて助かります。このまま秋に突入してほしい。
今年の盆も実家で。
今年は都内で働いているうちの息子や妹の娘が何年ぶりかでお盆に顔を見せたので(息子なんて盆は8年ぶり?)父は喜んでいた。ほかのときにポツポツ訪れるのじゃなくてお盆にみんなが集まれるってことが父にとってはやっぱりうれしいことなんだな。
墓参りに行き恒例のバーベキューをして花火大会を見に行って今年も楽しいお盆を過ごせた。それもこれも父が元気で家を守ってくれているから。
振り返れば私の人生50ウン年、1年も欠かすことなく盆正月は実家で過ごしている。
子供の頃は盆正月は親戚たちが入れ替わり立ち替わり訪れてにぎやかだったし、いとこたちがうちに預けられて一夏をいっしょに過ごした。
私と妹が母になってからも広々とした田舎の実家は夏休みを過ごすのに最適で、子どもたちが小さいころはみんな泊まりこみで2週間ほど過ごしていた。
子どもたちが手を離れたと思ったら今度は母が体調を崩して実家通い。母が亡くなってからも、長女なのに遠方に来てしまったという負い目もあって月に一度の実家通いが続いている。夏場は草刈り作業が必須だし。近くに住んでいる妹が父とそりが合わずあまりお世話してないってこともあるんだけど。
そんなこんなで父も85歳。なんとかひとりで暮らしているけれど、年齢を考えると・・。
「じいちゃんが元気なのはもう何年もないかもしれない。これが最後かも」。実家で過ごすたびにそう思う。
母のときもそうだった。「親が元気」というのは永遠に続くことではなく、私のように離れて暮らしている者にとっては突然日常が断ち切られるようにやってくる。
もし父が実家にいなくなったら。
ここは空き家になる。
父が生活しているから実家もなんとか保ててるけれど、住む人がいなくなったら今の季節なら一ヶ月で雑草が生い茂り家の中も湿気がこもってしまう。だれも住まなくなった家はたまに訪れて泊まれる状態ではなくなるだろう。
今は、忙しくて大変だ大変だと思いながらも1ヶ月に1度の実家通いが私の息抜きにもなるし生活のリズムになっている。
岩手はめずらしいものやおいしいものがいっぱいあるので「よし。今度行ったらあれを食べよう」と思うのもお楽しみ。緑豊かな自然に包まれるのも落ち着く。
父は大相撲も高校野球も好きなので実家でいっしょに観戦すればだれよりも盛り上がるし、テレビで見ててそのときすぐ「稀勢の里勝ったね!」とか「盛岡大付属見たー??」「仙台育英!!!心臓に悪いねー」とか電話すれば必ず見てるので話がはずむ。
父がいなくなったらこんな話できる人は私の周りにだれもいないよ。
妹が言うように「だったらおねえちゃん戻ってくれば?」なのだが、そんなに簡単なことではないのだ。
高校野球で東北勢を応援してしまうように、気持ちは岩手っ子。盛岡大付属vs花咲徳栄なんてカードももちろん岩手推し。
でも埼玉で生活することの便利さを肌で感じているのでもう戻れない。だからといって埼玉県人か?というとそうではなく宙ぶらりんなどこにも根をおろせない感覚をずーっとかかえている。
今の状態が続きますように。父が元気でケガも事故もなく過ごせますように。そう祈るしかない。
ヒミツに今後のこと↓
コメント
磯野さん姉妹は、いろんなことが自分たち姉妹に重なってて、ウンウンって頷きながら読みました(うちの妹もあればあるだけ…なタイプ)。幸いうちは固定不動産はもうないので、かなりその点は楽させてもらえそうですけど。
でも、イザとなってから考えるよりは、当事者も交えて時間をかけて先の話ができてよかったですね。
私も頑張ろう(^^;
実家の広い敷地と建物、都会にあればすごい財産なんでしょうが「負の遺産」です。
敷地の草刈りと植木の剪定だけでも大変。
相続なんて考えたくないから先送りしてたけど、向き合って考えてそれぞれの人の気持ちの中で受け入れるまでにも時間がかかるので早すぎるってことはないみたい。
「まだまだ元気でいないと」と自分に言い聞かせているのは頼もしい限りですね。でもホント、85過ぎたらいつ何が起こるかわからないのは確かだし、後悔しないように生きてるうちに親孝行したり、いろんなこと(どんな書類がどこにあるかとかも)聞いておかないといけませんね。
年齢を考えると、広い敷地を管理して家業の神社もやって家事や畑仕事をしてひとりで元気に暮らしている父はすごいと思うし感謝の気持ちです。父が元気でやってるので私たちも好きなように生活できてる。でも3年たったら88歳、5年たったら90歳と思うといつまでもこの生活が続くわけないし。
適齢期にさしかかった孫たちと話すことで父としても「あと少しがんばって長生きしないと」と思ったようです。
うちも、夫が先回りしても仕方ないから、その場その場で考えよう!と言ってますが。うちは舅91、姑89、実母87とみんな自分で生活してるのが不思議なくらいです。
ありすさんのところもお元気でなにより。
まさに「忍び寄る不安」。離れて暮らす長女の立場だからついつい先を考えてしまうのだけど、すぐそこかもしれないしずーっと先かもしれない。父亡き後の方向性は見えてきたものの、そこに至るまでがどんな形で進むのかわからない。せっかくなんとかなりそうなのに沸点の低い妹がブチ切れたらアウトだし。