梅仕事・・みたいに栗仕事という言葉があるらしい。
栗の皮をむいたり渋皮をきれいにしたりってことだよね。
栗は食べられるまでにものすごく手間がかかる。
その「栗仕事」。先週末実家に行き2泊3日のうち6時間以上はコレについやしたね。。はあー大変。
今年はいつもより栗が豊作。たぶん父が終活として敷地まわりのケヤキを何本か伐採して日当たりが良くなったからだと思う。
大粒でツヤツヤした栗の入ったイガがあとからあとから落ちてくる。実家の栗の木は車庫の横にあるからいやでも目に入る。外から戻ってくるたびに父のズボンのポケットは栗でいっぱい。
栗の外側の皮は包丁で切れ目を入れればむきやすい。でも渋皮がねー。
りんごの皮みたいにうまくつるんと包丁でむけるわけでもないしホント大変。
買えばお高いものだしせっかくだからとむいたむいた。
手は忙しいけど耳と口は空いてるので栗をむきながら父の話につきあう。
年だなあーと思うんだけど最近の父の話はグチが多い。近所の人や親戚の人との何十年も前のトラブルエピソードだったり昨今の「続きはwebで」に関するあれやこれやの不満だったり。だいたいは「あーまたその話か」のたぐい。
普段ならバカバカしくてまともに聞いていられない話もなんだか手作業をしながらだと素直に聞けたりするのでフシギ。
そして「昔はこうして何か手仕事をしながらどうでもいいような話をいろいろしたなあ」と思い出す。
母と妹とくるみの実を出しながら。母とセーターをほどいた毛糸を巻き巻きしながら。娘と梅のヘタをとりながら。
最近はいっしょに何かやる人もいないからすっかり忘れてたけど。ほんとに「どうでもいいような話を延々とする」ことが全くなくなった。それはそれでいいことなのに、なんだか懐かしいような気持ちになる。
おかげで栗ご飯もおいしくいただけて栗の甘煮をきんとんにしてみたり栗とさつまいものシチューを作ってみたり。渋皮煮は私のレベルでは難しそうなのでやめたけど来年も栗仕事ができたら挑戦しようかな。
栗の皮をむいたり渋皮をきれいにしたりってことだよね。
栗は食べられるまでにものすごく手間がかかる。
その「栗仕事」。先週末実家に行き2泊3日のうち6時間以上はコレについやしたね。。はあー大変。
今年はいつもより栗が豊作。たぶん父が終活として敷地まわりのケヤキを何本か伐採して日当たりが良くなったからだと思う。
大粒でツヤツヤした栗の入ったイガがあとからあとから落ちてくる。実家の栗の木は車庫の横にあるからいやでも目に入る。外から戻ってくるたびに父のズボンのポケットは栗でいっぱい。
栗の外側の皮は包丁で切れ目を入れればむきやすい。でも渋皮がねー。
りんごの皮みたいにうまくつるんと包丁でむけるわけでもないしホント大変。
買えばお高いものだしせっかくだからとむいたむいた。
手は忙しいけど耳と口は空いてるので栗をむきながら父の話につきあう。
年だなあーと思うんだけど最近の父の話はグチが多い。近所の人や親戚の人との何十年も前のトラブルエピソードだったり昨今の「続きはwebで」に関するあれやこれやの不満だったり。だいたいは「あーまたその話か」のたぐい。
普段ならバカバカしくてまともに聞いていられない話もなんだか手作業をしながらだと素直に聞けたりするのでフシギ。
そして「昔はこうして何か手仕事をしながらどうでもいいような話をいろいろしたなあ」と思い出す。
母と妹とくるみの実を出しながら。母とセーターをほどいた毛糸を巻き巻きしながら。娘と梅のヘタをとりながら。
最近はいっしょに何かやる人もいないからすっかり忘れてたけど。ほんとに「どうでもいいような話を延々とする」ことが全くなくなった。それはそれでいいことなのに、なんだか懐かしいような気持ちになる。
おかげで栗ご飯もおいしくいただけて栗の甘煮をきんとんにしてみたり栗とさつまいものシチューを作ってみたり。渋皮煮は私のレベルでは難しそうなのでやめたけど来年も栗仕事ができたら挑戦しようかな。
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