実家に行って片付けをしてきた。
お盆もそうだったが、こんなご時世なので近所の方々にもごあいさつにも行けない。
コロナのために昔から親しくしていた近所の方々とも会えず誰もいない実家のカギをひとりであけてひとりで閉めて帰ってくる・・・。
玄関先まで行く通路にはずーっと落ち葉がたまっていた。まるまると太った栗の実がいがからはみ出してあちこちに転がっていた。
住む人がいれば落ち葉は毎朝はくからきれいに道ができているのにだれもいないというのはこういうこと。こうなって初めて今までは人の手によってきれいに掃除されていたと気づく。栗もこの季節は毎年父といっしょにむいてゆでて食べたり栗ご飯や栗シチューを作ったのに。
彼岸花が秋の庭に彩りを添えていたのだろうが、すでに枯れかけてかえってうら寂しい風情になって小雨混じりの曇天とともに私を出迎えてくれた。
裏庭や畑には草が伸びていたが妹夫婦やお隣さんが片付けてくれたとのことで庭や家の中はきれいに片付いていた。
9月のままの壁にかかったカレンダー。入院した9月15日付けの新聞。夏掛けのままの父のベッド。あるじの急な不在を思わせる様子があちこちに見られた。
草が乾いていれば伸び放題の草刈りをする予定だったがあいにくの小雨。ひざの高さより伸びた草や枯れた彼岸花を刈り込み、1年分の新米が届けられ積んであるまわりをねずみ粘着シートで囲ったりネズミ除け超音波装置を設置したり。
冷蔵庫の中の生物や野菜は妹が片付けたのですっからかんだが、瓶詰めのご飯のおとも的なものがいくつも。たいていが蓋を開けたまま賞味期限が切れている。2015年とか。
最近でこそ宅配おかずをとるようになったけどもうすぐ90のじいさんのひとり暮らし。こういうごはんのおともで白飯を食べることも多かっただろう。塩分過多だし栄養は偏るよね。
夏の間は意識して水分とってても9月になって涼しくなれば水分も足りなくなり脳梗塞の原因にもなったのだろう。
いただきものの外箱やダンボールも箱のまま大量に倉庫に重ねたまま。
仕事でもよくダンボールたたみをするけど高齢者は力がないしおっくうになるのでダンボールや外箱をたためない。箱を使うかもと捨てられないってのもある。
冷凍庫の中には私が来たとき小分けして冷凍した肉類や父が好きなベビーホタテ、今度いっしょに食べようと買ったうなぎや水餃子など冷凍してあり捨てるにはしのびず持ち帰ることにする。
母が倒れてからの10年間。母が亡くなってからもこうして私は行ったり来たりしてこの家で父と過ごしてきたんだなとあらためて思う。
もう父はこの家に戻って生活することはないんだろうな。わかってはいる。
神主なので神様に守られている父は今までも何度かひとり暮らしの危機を乗り越えてきた。
今回も思ったよりも軽くすんだのはラッキーだったと思うがさすがに手助けなしの自宅でのひとり暮らしは無理なよう。
でもそれを受け入れられない私がいて、また戻れるんじゃないかと頭のどこかで思ったりもする。
今までのように父が作ったじゃがいもや大根や白菜をいっしょに収穫したり、その季節季節のおいしいものをいっしょに食べたり。お盆や正月には孫たちもみんなで集まって父を囲んでバーベキューや餅会食ができるんじゃないかななんて思ったりもして、いやいやコロナもあるしそんなことはもうないのだと現実を思い、考えが行ったり来たりする。
次回年末年始に来るつもりでそのときは寒いだろうと自分のベッドに電気毛布をしいてボアシーツにかえて、扇風機を洗って片付けてファンヒーターを出して灯油を入れて。
でもとにかく実家県は首都圏からの人には風当たりが強く、コロナがさらに流行ったら年末年始も来れないかもしれない。
あんな大きくて古い田舎の一軒家でひとりでは泊まれないと思ってたけどなんてことはなかった。神社の御堂も母屋につながっているので、怖いとか考えはじめて眠れなくなったら嫌だなと思っていたが何の心配もなし。あっという間に寝てしまった。
夜はスーパーでおいしい刺身を買ってきてひとりごはん。テレビ見たりゲームしたり。違うのは父に「早く寝ろ」「風呂入れ」と言われないこと。自分が60近くなっても父が90近くなっても親はいつまでもそんなこと言うんだなと思ったがもうそんなこともなくなる。
「お刺身おいしいね」「やっぱりこっちのはしいたけも舞茸も都会のと違って香りががあるね。最高だね」そんなことを言いながら食べる相手もこれからはいない。
お盆もそうだったが、こんなご時世なので近所の方々にもごあいさつにも行けない。
コロナのために昔から親しくしていた近所の方々とも会えず誰もいない実家のカギをひとりであけてひとりで閉めて帰ってくる・・・。
玄関先まで行く通路にはずーっと落ち葉がたまっていた。まるまると太った栗の実がいがからはみ出してあちこちに転がっていた。
住む人がいれば落ち葉は毎朝はくからきれいに道ができているのにだれもいないというのはこういうこと。こうなって初めて今までは人の手によってきれいに掃除されていたと気づく。栗もこの季節は毎年父といっしょにむいてゆでて食べたり栗ご飯や栗シチューを作ったのに。
彼岸花が秋の庭に彩りを添えていたのだろうが、すでに枯れかけてかえってうら寂しい風情になって小雨混じりの曇天とともに私を出迎えてくれた。
裏庭や畑には草が伸びていたが妹夫婦やお隣さんが片付けてくれたとのことで庭や家の中はきれいに片付いていた。
9月のままの壁にかかったカレンダー。入院した9月15日付けの新聞。夏掛けのままの父のベッド。あるじの急な不在を思わせる様子があちこちに見られた。
草が乾いていれば伸び放題の草刈りをする予定だったがあいにくの小雨。ひざの高さより伸びた草や枯れた彼岸花を刈り込み、1年分の新米が届けられ積んであるまわりをねずみ粘着シートで囲ったりネズミ除け超音波装置を設置したり。
冷蔵庫の中の生物や野菜は妹が片付けたのですっからかんだが、瓶詰めのご飯のおとも的なものがいくつも。たいていが蓋を開けたまま賞味期限が切れている。2015年とか。
最近でこそ宅配おかずをとるようになったけどもうすぐ90のじいさんのひとり暮らし。こういうごはんのおともで白飯を食べることも多かっただろう。塩分過多だし栄養は偏るよね。
夏の間は意識して水分とってても9月になって涼しくなれば水分も足りなくなり脳梗塞の原因にもなったのだろう。
いただきものの外箱やダンボールも箱のまま大量に倉庫に重ねたまま。
仕事でもよくダンボールたたみをするけど高齢者は力がないしおっくうになるのでダンボールや外箱をたためない。箱を使うかもと捨てられないってのもある。
冷凍庫の中には私が来たとき小分けして冷凍した肉類や父が好きなベビーホタテ、今度いっしょに食べようと買ったうなぎや水餃子など冷凍してあり捨てるにはしのびず持ち帰ることにする。
母が倒れてからの10年間。母が亡くなってからもこうして私は行ったり来たりしてこの家で父と過ごしてきたんだなとあらためて思う。
もう父はこの家に戻って生活することはないんだろうな。わかってはいる。
神主なので神様に守られている父は今までも何度かひとり暮らしの危機を乗り越えてきた。
今回も思ったよりも軽くすんだのはラッキーだったと思うがさすがに手助けなしの自宅でのひとり暮らしは無理なよう。
でもそれを受け入れられない私がいて、また戻れるんじゃないかと頭のどこかで思ったりもする。
今までのように父が作ったじゃがいもや大根や白菜をいっしょに収穫したり、その季節季節のおいしいものをいっしょに食べたり。お盆や正月には孫たちもみんなで集まって父を囲んでバーベキューや餅会食ができるんじゃないかななんて思ったりもして、いやいやコロナもあるしそんなことはもうないのだと現実を思い、考えが行ったり来たりする。
次回年末年始に来るつもりでそのときは寒いだろうと自分のベッドに電気毛布をしいてボアシーツにかえて、扇風機を洗って片付けてファンヒーターを出して灯油を入れて。
でもとにかく実家県は首都圏からの人には風当たりが強く、コロナがさらに流行ったら年末年始も来れないかもしれない。
あんな大きくて古い田舎の一軒家でひとりでは泊まれないと思ってたけどなんてことはなかった。神社の御堂も母屋につながっているので、怖いとか考えはじめて眠れなくなったら嫌だなと思っていたが何の心配もなし。あっという間に寝てしまった。
夜はスーパーでおいしい刺身を買ってきてひとりごはん。テレビ見たりゲームしたり。違うのは父に「早く寝ろ」「風呂入れ」と言われないこと。自分が60近くなっても父が90近くなっても親はいつまでもそんなこと言うんだなと思ったがもうそんなこともなくなる。
「お刺身おいしいね」「やっぱりこっちのはしいたけも舞茸も都会のと違って香りががあるね。最高だね」そんなことを言いながら食べる相手もこれからはいない。
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